【4th Day】 (First part)


 翌朝、起きた時、何ともいい匂いが香の鼻をくすぐった。まさかと思いながらダイニングへ向かうと、
前代未聞の光景が繰り広げられていた。

「もういいかな。晴美ちゃん、トースターあっためて」
「はいっ」

 ぱたぱたと走る晴美のスリッパが鳴る音で、香はやっと我に返った。

「りょ、りょ、獠! あんた、いったい何やってんのよっ!?」
「何って分かるだろ。朝メシだよ」

 それが分かるから驚いてんのよ。香は獠を凝視した。この男がこの家でエプロンを着けている姿など、
UMAを見るに等しい。

「21世紀の現代は、家事男子がモテる! 獠ちゃんが元から主夫の才能もあるって事、
今のネット民にもアピールする必要があるわけよ。お分かり?」
「はあ?」

 前から変わった奴だとは思っているが、最近は特に妙な発言が増えた気がする。
香は、くらくらする頭を抱えながら、それでもキッチンへ入ろうとした。仮にも客の晴美にまで、
朝食の準備をさせるわけにはいかない。そう思った時。

「シャラップ!」

 その道を塞ぐような形で、獠が腕を突き出してきた。

「香。今日のお前には最重要の任務がある。まずコレを着ろ」

 どこからともなく出された布たち。洗濯した服一式が、几帳面に畳まれて重ねられていた。

「これ、昨日洗濯機に入れたやつ……あんたが畳んだの!?」
「当然だろ。どこに自分から小さくなる服があるんだ。靴下もあるから落とすなよ」

 言われるままに受け取ってしまう。

「いいか。着替えたらその後のお前は、家事禁止、着替禁止、運転禁止。用件は全部俺を通す事。
Are you all right?」
「い、いえっさー……」
「Okay!」

 ある種当然だが、やたら流暢な発音で締めくくられた。


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 香は自室でもう一度着替えてから、食卓の料理を口へ運んだ。認めるのは悔しいが、
獠の作る品はレベルが高い。ある依頼では、数十人規模の賄いを何日もこなしたほどだ。
 この腕があるくせに、自らは決して厨房に入らない……と思っていたのに。
 食事を終えた香は、釈然としない気持ちでポットを取ろうとしたが、それも獠に先を越された。
手際よく、晴美の分も注いでいく。

「あ。これ、シナモンティーですね」
「せっかくだからね。晴美ちゃんも好きだって言ってたろ」

 それで、これも飛び抜けて絶品なのだ。本当に悔しいほどに。

「俺が給仕してやるなんて超々レアイベントだからな。とくと味わえよ」
「はいはい。でも、フォークまでこんなプラスチックに変えるのはやり過ぎじゃない?
 かわいい色とは思うけど」
「何でもいいから。食べたら次の任務」

 そう言ってテーブルに箱を置いた。開けると入っていたのは、透き通った薄い両手袋だった。

「その手袋を一度はめたら、俺が指示を出すまで絶対に外すな。かゆいトコあったら今の内に済ませとけ」
「だから、これって何なのよ」
「説明役は別に用意した。話はそいつから聞くんだな」

 獠は涼しい顔で、食べ終わった皿を下げ始めた。


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 その後も異変は続いた。香は皿洗いすら外され、「暇なら運動でもしてろ」などと言われる始末。
ガレージでは車のドアまで開けてくれた好待遇のわりに、降ろされた場所は公園の裏の端。
指定された目的地まで歩くのに苦労した。
 予想どおり、待ち合わせには先に人がいた。ショートボブを揺らし、警視庁刑事・野上冴子は、
艶やかな笑みを湛えて言った。

「あら。今日は香さん一人?」
「ええ。獠は別の用事。あたしは、冴子さんから話を聞いてから来いって」

 付け加えれば、香は車中で獠からこうも言われていた。

『お前が今日使う魔術のカラクリについても、冴子から聞いてくれ。俺らの話だと、何かお前、
ちんぷんかんぷんな顔になってる』

 獠と香で食い違うのは、それだけデジタルへの耐性に差がある証拠だ。香も何とか理解しようと、
獠と晴美から例のゲームの内容を聞いてもみたが、どうにも話が見えない。
ゾンビに襲われる街を科学と魔術で守る話と言われ、その街の警察や自衛隊はどうしたのと尋ねたら、
二人とも絶句していた。

「そうね。あなたには知る権利があるわ。あなたが今日これから成す事も含めてね」

 冴子も獠から或る程度は聞いているのだろう。微苦笑してから、彼女は口火を切った。

「発端から説明しましょ。最初は単純。獠のいつもの遊びから始まった」
「遊び?」
「ハッキング。昔から警視庁内をチョロチョロしてたけど、近頃は大胆になってきてね。
セキュリティホールも何度見つけてくれたか。世が世なら、新聞の1面レベルよアレは」
「へぇ、凄いじゃない!」
「一応言っとくけど、犯罪ですからね」
「あ、はい」
「それで、ここで話が飛ぶんだけど。数ヶ月前、暗号資産――いわゆる仮想通貨の取引所が攻撃されて、
資金が流出した事件が続いたのは覚えてる? 大半は資金の流れを確認できたから、
犯人グループをいったん逮捕したけれど、証拠不十分で、私たちの課も気を揉んでいたの。
 そんな折、獠の流出させたゲームのバグデータの中に、秘密鍵に関する告発文が隠されてると分かった」
「ひみつかぎ?」

 先程から、未知の単語に追いすがってきたが、ついに香はここで脱落した。

「香さんにも分かるように言うなら、この場合は……銀行の現金輸送車の駐車場の住所、とかかしら。
 ねえ香さん、もしその住所を誰でも知る事が出来て、自由に車に乗れるなら、どうなると思う?」
「それは……大変じゃないの! お金が簡単に盗まれちゃう」
「そういう事。直ちに私たちは告発文の暗号を解析した。結果、『S.S.T.』社内で、その秘密鍵にまつわる
違法ソフトが取り引きされてる事が判明した。社の上層の人間が関わっている可能性が高いとも」

 そこで、冴子は口を閉ざした。香は先を促した。

「それで?」
「それでおしまい。私たち警察では、これ以上の手を出せないの。不正に流出したデータの暗号では
証拠として使えない。解析の手段も、胸を張れる物じゃないし。だから、ここから先はあなた達の領分」

 冴子は香に向き直った。

「香さん。私の考えが合ってるなら、獠はあなたにとんでもない実験をさせようとしてる。
あなたを具体的な戦力として使えるかどうかを計ろうとしてる。今からそれを説明するわ」

 その話を聞く間、香は我知らず両拳を握っていた。そんな事が自分に可能なのか。
しかも、獠が自分にそれを託すと。

「これはあなたにしか出来ない仕事よ。そんな事を任されるなんてね。ちょっと妬けるわ」

 そう言って、冴子は目を細くした。

「香さん。獠の事せいぜい見張ってて。アイツ、警視庁じゃ飽きたらず、
とうとうCIRO(サイロ)のネットワークでまで遊び始めてるから。
まあ、その代金として、私たちに協力してくれるなら構わないけど。じゃ、頑張ってね」
「ええ!」

 香は頭を下げてから、次の目的地を目指した。ただ、頭の中には、一つの疑問が渦巻いていた。
 サイロって、どうして牧場が出てきたんだろ?


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 一方、獠は晴美と共に彼女の自宅を訪ねていた。目的は、晴美の心当たりというディスクを探す事。
職場から間違えて持ち帰ってしまったかもしれないと言うのだ。当然、職務違反ではあるが、
今はそれをとがめる事態ではない。

「この部屋の、どこかにあるはずです」
「どこか、か」

 獠は苦い顔を隠さず、晴美の自室を見回した。「家捜しも無駄だった」と黒田の述べた意味を実感した。
 最低限の整頓こそ、されているものの、とにかく物があふれている。なるほど、これでは空き巣が
入っても分かるまい。
 引っ越ししてきた時の段ボール箱まで並んだままなのは、ある種あっぱれと言いたくなった。

「夢が壊れるよなー。現実はかくも厳しい」
「すみません。この頃は、掃除する時間もなくて」
「まあいいさ。こういうのが俺の仕事の本分だから」

 こうして、二人がかりの一日がかりの、大掃除を兼ねた捜索が始まった。

「あ!」
「あったか?」
「コレ、ツイッターの友達から譲ってもらったキーホルダーです! 見当たらないと思ってたら、
ココにあったんだわ!」
「……真面目にやろう」
「はい」

 時間経過。

「ここにも無いか」
「そんな奥の引き出しには入ってないと思うんです」
「そうとも限らんぞ。友達からもらった記念の下着の一つや二つ、がふ!」
「……真面目にやりましょう」
「はい」

 時間経過。

「あ」
「今度は何だ? インスタの友達でも出てきたか?」
「こんな所にあったのね……」
「……」

 今までとは違う声音に、獠は表情を改めた。晴美は積まれたCDの上から、一つのケースをつまみ取った。
何も書かれていないディスクを取り出し、自分のデスクトップPCに入れようとするのを、獠が止めた。

「待て。俺が一台持ってきてる。このエロ、じゃない、アローンのタイプを使った方がいい」
「そうですね。危ないところだわ」
「ああ、マジで危ねーわ。クソ筆者め、何て言い間違いさせんだよ」
「はい?」
「何でもない。行くぞ」

 机に置いたノートPCで、晴美はディスクを起動させた。

「どうだ塩梅は? あんまり見た事ない形式だが」
「ええ。これ、昔のCで細工してますね。大丈夫です。私Cなら誰にも負けません!」

 晴美が決然と言った瞬間、獠は奇声めいた声で失笑した。

「どうしました?」
「晴美ちゃん。そこは正しくC言語って言おう。人によっちゃ誤解する」
「はあ」

 しばらく後、晴美の操作が止まった。

「お約束だな。パスワードだ」
「困ったわ。ノーヒントじゃ……」
「そうでもないさ。このディスクを持って帰ったの、いつ頃だった?」
「そんな前じゃないと思います。ルークさんが3回目に暴露したのと、システムダウンが重なった時だから」
「じゃあ話は早い。社長の奴は、その例のプレイヤーをスケープゴート(犯人役)にしようとしてるんだから」
「まさか。そのままなんて事」

 半信半疑で入力した。Mik_Rook……決定。

「開いたわ!」

 晴美は、食い入るように画面を目を近づけた。見る見るうちに顔から色が失われていく。

「嘘……こんな滅茶苦茶なソフトが」
「そんなにスゲーの?」
「コレを適用すれば、多種にわたる資産の暗号へクラック可能です。でも、こんなノートじゃ
全部は動かせません」
「じゃ、もっとデカけりゃいいわけだ。例えば、ゲーム会社のサーバとか」
「!!」

 がばりと椅子から身を起こし、晴美は傍らに立つ獠を見上げた。獠は口角を微かに吊り上げた。

「これで準備は整ったな。後はラスボスを攻略するだけだ……!」


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