事件125『お尻のマークを探せ』(第42・43巻)



『満月の夜の二元ミステリー』の後日談に当たる。

埠頭に蘭が乱入した経緯、その蘭への(表向きの)事件説明、
そして灰原がFBIから取引を持ちかけられた件が描かれる。

灰原は、今の生活を続けるか、別の地で別人として生きるかの選択肢に悩む。

その後、彼女は、通り魔事件の目撃者となった歩美と
立場を重ね合わせ、「逃げない」事を誓った――。

と、物語は一見、気高く美しい形で閉じる。

しかし、歩美と灰原との間には、実は決定的な違いがある。

歩美が事件から逃げないと誓った根拠は、彼女が他の人たちを心から信じているからだ。

対して灰原は、未だに周囲に心を開いているとは言いがたい。
FBIは元より、共に戦うべきコナンに対してさえ、
自分が抱えている組織の秘密について一切明かそうとしていない。

「逃げない」どころの話ではない。

まして、今後の灰原は、単に気ままに
生活しているだけのようにさえなっていく。
心苦しいが、彼女の凋落についても、後に語らねばならないだろう。



事件126『忘れられた携帯電話』(第43巻)



蘭が登場せず、メインはコナンと小五郎の二人という珍しいパターン。

代わりに動くのは、喫茶店「ポアロ」のウェイトレス・榎本梓。
彼女もまた、アニメ版を由来とするキャラの一人。

今後の『コナン』では、このような
「新展開=新キャラ登場」という
パターンが目立つようになっていく。

事件の内容は、なかなか硬派で新鮮だ。
落とし物の携帯電話から、汚職事件が暴かれる。
誰も死なず殺されず、そして小五郎も眠らない。
コナンは常識的かつ現実的に、周りにヒントを与えて誘導していく。

なお、小ネタとしては、レストラン「コロンボ」がついに登場した事を挙げておきたい。

『社長令嬢誘拐事件』で名前だけ登場していたものの、
まさしく「忘れられた設定」だった店が描かれたのは、興味深い点だと言えるだろう。



事件127『どっちの推理ショー』(第43巻)



上記のアニメ版タイトルは、良くも悪くも、事件内容に相応しい。

1997年4月17日から2006年9月14日まで読売テレビ・ハウフルスの共同制作、
日本テレビ系列で放送されたグルメ番組「どっちの料理ショー」のパロディである。

つまり、今回の事件は、そんなお気楽な話……のはずなのだ。
実際、甲子園決勝を見たい「平次(&コナン」と、
宝塚公演を見たい「和葉(&蘭&小五郎)」との
2チームは、総じてほのぼのとした雰囲気で、ゲームに興じている。

問題は、そのゲームの対象が、殺人事件だという事だ。

彼らは、赤の他人様の死を、遊びのタネにしてしまったのだ。

この事件は、登場人物、ひいては作者の倫理感が
麻痺した末に一線を超えてしまった決定的な瞬間だ。
何せ、ゲームの提案をした直接の戦犯は、
(本来なら最も常識的であるべき大人の)小五郎なのだから。

確かに他の事件でも、平次がコナン(新一)に敵対心を燃やした事はある。
だがその敵対心は、事件を一秒でも早く終わらせようというプラス方向に働いていた。

今回の最後、打算を忘れて犯人を指摘した平次こそ、寧ろ人としてあるべき姿だと、
私は思う。



事件128『見えない悪魔に負けず嫌い』(第43・44巻)



『どっちの推理ショー』の続き。
コナン達が平次の誘いでやって来た舞台は甲子園。
表向きは、作者得意の暗号解読を伴った爆弾事件が展開される。

しかし、この事件の本質はどちらかと言うと、背景たる甲子園決勝の内容にある。

『まじっく快斗』や『YAIBA』に続き、
青山氏他作品である
『4番サード』の後日談が、
事実上展開されているのだ。

魔法のバットを操る強打者・港南高校の長島と、
魔法のグラブを操る名投手・大金高校の稲尾と、
長島を見守る江夏父娘との、「その後」の姿を見られる事は単純に嬉しい。

彼らの名前が終盤まで伏せられている点や、
長島の背番号や得物などの設定が、
暗号のヒントになっているのも興味深い。

ただ、残念なのは、この作品はあくまでも『名探偵コナン』であり、
『4番サード』でないという事だ。
よって尺の都合もあるのだろうが、肝心の試合内容は今一つ魅力に乏しい。

港南ナイン:長島のソロのホームラン2発、それもバックスタンド直撃。
大金ナイン:稲尾の連続三球三振。稲尾の2塁ランナーを送り出してのランニングホームラン。

なお、守備の捕球もほとんどが長島&稲尾によるファインプレー。
この試合内容で前年夏・春と続けて決勝まで上がってこられたとは。
一人だけが強くても、ままならないのがチームプレイだと思うんだけどな……。



事件129『本庁の刑事恋物語6』(第44巻)



高木と言ったら佐藤→
佐藤と言ったら刑事もの→
刑事ものと言ったら『踊る大捜査線』→
『踊る大捜査線』と言ったら和久刑事→
和久刑事と言ったらいかり屋長介→
いかり屋長介と言ったらドリフ→
ドリフと言ったら高木

……という作者の連想を、まざまざと感じさせる事件である。
事件関係者たちの名前も、加藤・仲本・志村と徹底。
なるほどこのラインナップなら、「長さん」の名前をミスリーディングされていくのも道理だ。

「刑事ってーのは、たとえどんないい奴でも疑わなきゃならねぇ、やな商売だからな」
と語る和久、もとい長さんの姿は印象深いだけに、
この一度きりで退場してしまうのはある種惜しい。
これほど元ネタの明らかな人物を出し続けるのも問題になるとは思うが。

というのも、やはりこの作品の警察官の行動は目に余る。
そもそも、この事件での騒動は、「高木が鳥取へ異動する」という話を立ち聞きした由美が、
まるで確認も取らずに疑わずに、無責任に吹聴した事が発端である。

しかもその上、「バーカ! 捜査一課に高木なんて野郎はお前しかいねーんだよ!」
という断言を誰も疑わない捜査一課の方々に至ってはもう、

おめでたいですねと言いたくなる
……仲間の名前も覚えない奴らに命を預けたくないなぁ。私は。

(追記。「録画ビデオの時間を詰めてアリバイを作る」というのは、ある推理小説で既出)



事件130『怪盗キッドの驚異空中歩行』(第44巻)



対キッド編専用装置こと鈴木次郎吉(&犬のルパン)が初登場。

この事件以降、キッドに関するエピソードは
「次郎吉の挑発を受けたキッドの活躍をコナンが解説する」
というパターンにほとんど固着してしまう。

更に言うなら、コナンはとうとう、
キッドと同格の存在として、本格的にマスコミの寵児となってしまう。
つまり、命を狙われて身を隠しているというコナンの基本設定が、
跡形もなく吹き飛んでしまったのだ。

つまるところ、
もうコレ完全に『まじっく快斗』そのものである
敢えて『コナン』の中で描くべきエピソードとは思えない。

事件の内容はズバリ、
『ルパン三世』旧シリーズ第2話「魔術師と呼ばれた男」のバリエーション。
オマージュ・リスペクト・インスパイヤ・パロディ・剽窃の内、
お好きな物をお選び頂きたい。

なお、この事件は、コナンとキッドが明確に対立していたと言える最後の回。
互いに隙あらば命さえ奪い合うような、
せめてこれくらいの緊張感を保っていてほしかったと、今も思う私である。



事件131『帝丹高校学校怪談』(第44・45巻)



『帝丹小七不思議事件』を連想させる「学校の怪談」がテーマの事件。

もっとも、小学校では「実は何も起こっていなかった」オチであるのに対し、
高校では、れっきとした死亡事故が背景にあるのが相違点だと言える。

注目すべき点の一つは、この時点ではコナンはまだ、
元の姿での生活に戻る事を渇望していると読み取れる事。
そしてもう一つは、
(本物の)新出が再登場した事

高校での幽霊騒動は、「眠りの園子」によって無事に解決するものの、
それ以外の根本的な疑問点は提起されたまま放置される。

なぜベルモットは小学校での灰原を見つけられなかったのか?というコナンの疑問と、
ベルモットは本当に悪人なのか?という新出の疑問が、
今後明かされる事は無いのだろうか……。



事件132『丸見え埠頭の惨劇』(第45巻)



原作サブタイトルの「海の上の開かれた密室」という表現にセンスを感じる。
対してアニメ版のは身も蓋もないというか。

阿笠の引率で、山でなく海を訪ねた少年探偵団。
例によってコナンのうんちく話を挟みつつ、例によって事件が発生。

ただし、コナンと阿笠の救助活動により、殺人未遂で止まった点は、不幸中の幸いだ。

ルアーフィッシングの要領で殺した?
なんてトンデモ理論を出したりしながら、やがて真相は解き明かされる。

警察が来る前に。

つまり、この物語の小学1年生たちはとうとう、
独力で犯人確保してしまうほどの権限を得てしまったのだ。

最後は、阿笠を気遣う元太で幕。
確かに、どんな時も、思いやりは大切です。



事件133『物言わぬ航路』(第45巻)



犯人が誰か冒頭で明かされる形式。
1/11のAM9:50に到着予定だった犯人が、AM9:33にその場所に現れて殺人を犯す。

この事件は、良くも悪くも、典型的な「アリバイトリックもの」だ。

何と言っても、発見された遺体を前に、
得意満面でアリバイを語る犯人の姿に唖然とする。

無実の人なら、ショックくらい受けてるだろうに、警察がほんの少し疑いの目を向けただけで、
しどろもどろに思い出しながらってわけでもなく、ペラペラと立て板に水の長口上。

自分にとって有利な情報なら、最低限だけ話して詳細は伏せて、
警察側から調べてもらった方が断然都合が良いだろうに。
アリバイトリック駆使できた事で舞い上がってるんだろうかと毎回思う。
お約束なのは分かるが、
半分ギャグの世界だ

ただ、こうした複雑な「アリバイトリックもの」は、対象年齢が上がる傾向が強いため、
小五郎は眠る事なく、コナンからのヒントに誘導され独力で謎を解く。
このように現実的な解決が描かれるのは実に喜ばしいと私は思う。

なお、この事件を境に、『満月の夜の二元ミステリー』で示された伏線が動き出す。
事実上、組織への最後の手がかりだ。



事件134『星と煙草の暗号』(第44・45巻)



少年探偵団と阿笠は、天体観測できるペンションへ赴く。
つまり舞台は、陸の孤島(クローズドサークル)である。

毎度毎度死体に出くわす彼らは、今回は白骨死体も発見する。
いつもとは趣向を変えた……といったら不謹慎が過ぎるか。

事件のテーマは、長さの異なる煙草を用いたダイイングメッセージ。
姓名表記の取り違えというのは、漢字圏ならではのトリックだと言えるだろう。

なお、今回はコナンでなく灰原が、
「子供の演技」で容疑者たちの素性を暴く。
なかなか興味深い場面だ。

そして、この話は最初も最後も、電話機に強い関心を示すコナンと、

鳥取の地名に反応する灰原が描かれ、次の話へと続くのである。



事件135『ストラディバリウスの不協和音』(第46巻)



『コナン』を純粋にミステリとして評価できる最後の事件
――と評しても過言ではあるまい。

メインとなるのは、30年にも渡って続く、
ストラディバリウスを巡る音楽家一族の連続怪死事件。

弾二朗→詠美→降人→弦三朗→絢音と、都合5人もの死が一つの事件で描かれる。
(作中に登場するのは最後の2件)

この事件の特徴として挙げるべきは、トリックよりも寧ろ犯人の行動原理であろう。

音楽に対するこだわりの下、一度は自分の命をかけて助けた人物を、
後に自分の手で殺すという異常な執念。
いっそ美しいとさえ感じてしまうほどの、恐ろしい狂気の沙汰だ。

その一方、コナンから組織へのアプローチもまた、
この事件で最後のクライマックスを迎える。

しかしながら素朴な疑問。
アメリカ人だろうベルモットが、何故あのメロディに寂しさを感じるのか。

それからもう一つ。
灰原は何故、蘭が助けてくれた事をコナンに言わないのか。
事実を打ち明ける事こそ、「逃げない」ための第一歩だと思うのだが……。



事件136『奇抜な屋敷の大冒険』(第46巻)



始まりも終わりも共に、
中途半端な不完全燃焼による消化不良、という印象が強い。

冒頭ではついに、組織の最後の手がかりである、具体的なメールアドレスが明かされる。
だが残念ながら、この手がかりが終盤で生かされる可能性は、ほぼ皆無だと言っていい。
時代の流れの残酷さ故だ。
『命がけの復活』でのMO同様、メディアの変化に完全に乗り遅れてしまったのだから。
もしかしたらこの作品世界では、スマートフォンでも
プッシュ音が鳴る設定なのかもしれないが。

しかも、コナンがそのアドレスを利用しようとするのを、何と灰原が全面的に阻んでしまう。
「ただでさえ信じ難い人物が浮かび上がって来るかもしれない」と言って。
せめてFBIに伝えるくらい、やっちゃいけないのかと思うのは、私だけではないだろう。

以降、組織の件は横に置かれて、キャンプ4回目の少年探偵団とキッドの
お宝探しが展開する。
ついでに死体も発見する。(←作中での扱いはこの程度)

事件解決後、コナンはキッドの正体を暴くと訴えながらも、仲間の恩人として一旦見逃す。
しかしキッドの正体が他作品の主人公である以上、
今後もずっと、コナンはキッドを見逃し続ける。
何とも虚しいループは、この事件から始まったのだ。



事件137『奇妙な一家の依頼・疑惑を持った蘭』(第46・47巻)



蘭が徹底的にキャラ崩壊した事件である。

申し訳ないが、サンデー掲載当時から、この事件には負の感情しか湧かない。

あの『命がけの復活』での健気さはどこへやら。
信じて待って耐えている決意はどこへやら。
蘭は、「新一は無垢な子供(コナン)をこき使って女遊びをしながら、
わたしを嘲笑っているズル賢い男」という、世にもおぞましい妄想に取り憑かれる。

それで、その間違い極まりない前提に基づいて、
(彼女の考えでは被害者だろう)コナンをいびる。
常に上から見下ろす半眼で。

蘭に言いたい。
まずはコナンや新一に問いただそうよ。
疑ったり悩んだり泣いたりするのは、それからでも遅くないだろう。

と言いますか蘭よ、お前は本当に新一を好きなのか。
他人様の携帯電話を盗み、意地でもロックを解除しようとする様は、
単純に人として終わってる。

もっとも、そもそもこの不和のきっかけを作ったのが、
当のコナンが不用意に携帯電話を置き忘れた事なのだから救えない。
その不用意を棚に上げて、(新一として)蘭を怒鳴りつけ、
そしてとうとう電話番号を明かしてしまうという更なる不用意。
「ちょっとヤバイ」どころじゃないだろう本来なら。

なお、殺人事件自体のトリックは、デジタル機器の変遷をメインとしている。
ただ、まるで連載開始時から既に携帯電話が存在していたかのような描写には、
正直なところ苦笑せざるを得ない。
連載初期の公衆電話は、この事件では「昔の名画」なのだ。
……昔は良かった。



事件138『宝石強盗現行犯』(第47巻)



『コナン』は台詞が多くて画に動きがない作品だという意見は少なくない。
今回は、その問題点が最も色濃く現れた事件の一つである。

こちらの記事の画像3番目を見ていただきたい。
名探偵コナンってそこらのラノベより文字多いんじゃねえの?

単行本の114・115ページ、FILE7「天空から地上へ」で
コナンが毎度おなじみのワイヤートリックを説明している場面なのだが。

明らかに
画が字を邪魔しているレベル

無論、紙面を文字で埋め尽くす手法自体を悪いと言うつもりは無い。
効果的に扱っている作品も少なくない。

だが、誠に申し訳ないが、この状態を漫画とは呼べない。
本来なら画で描くべき部分を全て、台詞で機械的に処理しているだけなのだから。

事件トリックについてもまた、機械的な描写だという印象が強い。
確かに理屈は通っているが、常識的に不自然というか。
引っ越しの際、トラックの上に死体が乗ってる事に
誰も気づかないのが前提でなければ、成り立たないのだ。

それからもう一つ。
佐藤をダシにして、男性たちから宝石をむしり取る由美が恐ろしすぎる。
警官は公務員――世のため人のための職業だって事を、作者は忘れていませんか?



事件139『コナン平次の推理マジック』(第47巻)



平次と和葉の関係が完全に崩壊した事件である。

しかもよりによって、彼にとっての彼女は「子分」。
対等な相手とさえ見なしていない。
そばに置いても大切にしないのに、他人に取られるのは嫌だというのでは、
所有物と変わらない。

もっとも、そんな平次に対して「ガキ」呼ばわりする
コナンもまた、ガキだと言わざるを得ない。
危うく『奇妙な一家の依頼・疑惑を持った蘭』
全く同じ失敗を繰り返そうとしている様には、ため息が出てしまった。

メイントリックは有って無いような物である。
「手品師の家だから仕掛けがあって当然」と言われても、こちら読者は推理の仕様がない。

それからコレは、手品をシュミとする者からの個人的な訴えだが。
「幕だ」と言って従業員を動かしてまで観客を煽るマジックショーを私は見たくないし、
マジックの種を詮索したり、ましてその種を得意げに人前で明かすような人たちとも
一緒に見たくない。

ところで、10年前に失踪したという「Mr.正影」なる人物は、結局何者だったのだろう。
これも未だに消化不良の謎である。



事件140『神社鳥居のビックリ暗号』(第48巻)



この事件の主役はコナンでなく、暗号である。
なかなか解けない暗号に振り回されるコナンは、言わば狂言回しのポジションだ。
(因みに少年探偵団キャンプ5回目)

厄介なのは、その暗号がちっとも難しくない事だ。
何と言っても、元ネタがある。
藤原宰太郎氏によるこの本を初出にして、
後の学習雑誌にも一度ならず登場している有名な物。
『月と星と太陽の秘密』の「モザリサワソデル」のような初歩的な問いである。

つまり、本来のコナンなら容易に解けるはず。
透けるような薄い紙に書かれている時点で察するはずだ。

だがしかし。にも関わらず。何故かコナンは全く解けない。
故に、この後のコナンの言動は支離滅裂な物になっていく。

「事件が絡んでないと燃えない」という危険な発言しかり。
人が亡くなっていると聞いたのに不謹慎に喜ぶ事しかり。

どんな暗号でも目を輝かせていた彼はドコへ行ったのか。
どんな殺人事件にも怒りを表していた彼はドコへ行ったのか。

あと、余談ながら。
どんな事情があっても、他人の携帯電話のデータを削除するのは犯罪です。

ともあれ、ミステリ作品で起きる事件は、登場人物を動かすための手段のはず。
だが今回は、事件のために登場人物が使われるという逆転現象が発生している。

物語の都合に人々が操られ始める、その兆しだったのかもしれない。



事件141『仏滅に出る悪霊』(第48巻)



潔癖性、先端恐怖症、高所恐怖症、神経質……といった
症状を持つ人々の住む屋敷で起こる殺人事件。

今回の事件のメイントリックは、古典中の古典とさえ言える単純極まりない物だ。
本来ならせめて、もっと初期の時点で扱われるべきテーマだろう。
(もっと言えば、『消えた死体殺人事件』で使用済み)

そもそも、人の手によって描かれている漫画の世界で、
完全に「同じ顔」の人物を並べるのは不可能だ。
(ただしゲーム作品の世界なら、まだ説得力を出せるだろう。
ドット単位で「同じ顔」を並べる事が出来る)

まして、『コナン』は最早、誰も彼もが赤の他人に変装できてしまう設定である。
「犯人は実は他人に変装できた」
という解でも成り立ってしまうのだ。
この事件は。

逆に言えば、この事件は
「『同じ顔』は双子しかあり得ない」
「赤の他人には変装できない」
という常識を、読者に思い起こさせるために
据えられたのかもしれない。

なお、この事件では、横溝参悟・重悟の兄弟が揃い踏み。
彼らが(恐らく一卵性)双生児である事がほぼ確定する。
ただ参悟の登場は、何故かこの事件をもって激減してしまう。
寂しい限りだ。



事件142『組織の手が届く瞬間』(第48・49巻)



この事件からである。
『名探偵コナン』という作品が、いよいよ本格的な引き延ばしを始めたのは。

ファンの間で「キール編」と呼ばれる一連の事件たちは、
実は全削除しても、影響はほとんど無い。

連載500話という事務的な区切りを皮切りに、
組織へのアプローチはやがて完全に停止する。

新たな組織員であるキールが初登場したと思ったら、
他にも新たな組織員であるキャンティやコルンなどが増えたと思ったら、
奇妙かつ難解な暗号をコナンが解いたと思ったら、
何とキールは交通事故で昏睡状態になってしまう。

彼女が眠り続ける限り、彼女が目覚めない限り、物語は進まない。
その彼女の動きは、作者のまさしく筆一本で決まってしまう。

永遠に無限に連載を続ける事も物理的には不可能でないという、
ある種の異常事態に突入したのだ。

問題点はまだ有る。
はじめは「コナンVS組織」だったはずの図式が、
「FBI VS組織」にスライドしてしまった事だ。

本来コナンは無力な小学1年生のはずなのに、
まるでFBI職員の一人のように扱われている点は、
私には歪(いびつ)な描写に感じてしまうのだ。



事件143『超秘密の通学路』(第49巻)



率直に申し上げて、よく意味の分からないサブタイトルである。

『組織の手が届く瞬間』の後日談に当たる回。
いかにも怪しい事件が起こったところに、いかにも怪しい人物が現れた、
すわ組織か!?といういつものパターン。

今までは、こういった事件や人物は、必ず何らかの進展が見られた。
それはメインキャラの親の登場だったり、FBIなど味方ポジションの登場だったり、
もちろん(灰原など)組織員そのものの登場だったりした。

今回は違う。
出てきた児童も教師も、
本筋には無縁にして無関係にして無益無害
「大山鳴動して鼠一匹」どころか、「幽霊の正体みたり枯尾花」で終わってしまうのだ。

このような「肩すかし」の手法は、一度限りなら成功するだろう。
二度目は無い。
読者は可能性として想定してしまうからだ。

そして残念ながら、次回からの展開こそ、
壮大な「肩すかし」の始まりなのである。



事件144『もう戻れない二人』(第49巻)



「キール編」の重要人物の一人である本堂瑛祐が初登場する。

ただし、前回述べたように、この瑛祐も、本筋には無縁にして無関係にして無益無害。
彼にまつわる伏線はあくまでも、キールにつながるそれしか無い。

また、殺人事件自体について一言。

事件の構造が似通っている事は今までしばしば有った。
『コーヒーショップ殺人事件』『偽りだらけの依頼人』での結婚指輪の件など。

今回はとうとう、メイントリック自体が以前のそれと重なる。

『バスルーム密室事件』を読了している読者なら、
少なくとも真相の途中まで見破るのは容易だろう。


ところで今回、私には意味深長のタイトルに感じる。

楽しかった蜜月に戻れないのは、果たして犯人と被害者だけなのだろうか。

我々読者と少しずつ溝を作って離れていく
主人公――あるいは作者――の事をも指しているのではないか。
そう思えてならない。



事件145『本庁の刑事恋物語7』(第50巻)



合コンをきっかけに発覚した誘拐事件をコナンが解く。
共に連れ立つのは高木と佐藤。

この事件では、この作品での警察官のモラルがまた一段と低下した。
仮にも天下の警視庁所属の現役警察官が、何故に合コンになど出てるのか。
参加するなとは言わないが、普通は(区役所職員のような)公務員とでも
名乗るものじゃないのか。

思わぬ所から機密が漏れて、無関係な一般人が巻き込まれたら
どう責任を取るつもりなのか。
まして、人前で泥酔して潰れたり、逮捕術を披露して自慢したりなど言語道断。

敢えて明かすが、私も警察関係者の『コナン』ファンなら会った事がある。
その人も、くれぐれも自分の身分は口外しないでほしいと周りに頼んでいたものだ。
いつどこに迷惑がかかるか分からないからと。

連載初期の頃、例えば横溝が簡単に他県に異動しているような世界観なら問題なかった。
が、わざわざMPDのプレートを身につけたり、
専門用語を頻発したりするような世界観では、もはや通用しないだろう。
ひとえに、
作者による世界観統一の失策である。

そもそも元を正せばこの事件、奥歯に物が挟まってる言い方してる、
被害者の親戚の彼を問いただしたら、それで話は終わっていた。
高木も血塗れにならずに済んだんじゃなかろうか。
被害者があっさり殺されたらどうする気だったのか。

この話もまた、作者による都合の上で成り立っている。
よって、佐藤による「誘拐は殺人に匹敵する最も卑劣な行為」という台詞も、
どこか空しく聞こえてしまうのだ。



事件146『探偵団に注目取材』(第50巻)



事件トリックは、『天下一夜祭殺人事件』とほぼ重なる。

ところで、主人公が小学1年生の子供だという点は、
この作品の最大の特徴であり、また欠点でもある。

確かに、子供が刑事と対等に会話して事件に立ち会っているのは不自然だ。
が、だからと言って、いまさら取って付けたような過剰な子供ぶりっ子は尚更不自然だ。
まして、実際に小学1年生であるはずの歩美・元太・光彦が完璧な子供演技を
してみせるのは、非現実が過ぎると言えまいか。

そして、そんな子供たちよりも不自然に感じられるのが、
担任である小林教諭の言動である。
自クラスの児童がマスコミに取り上げられている事も全く知らず、
子供たちがよりによって死体に接している事に注意するどころか興奮し、
唐突に顧問を名乗り出て、しかしその後のフォローも無し。
申し訳ないが、これでは
教育者失格と言わざるを得ない。

なお、今回、小林と佐藤の顔が似ているという設定も突如加わった。
これが将来恐ろしい結果をもたらす事を、
私を含めた読者は、連載当時はまだ知らなかったのである。



事件147『服部平次VS工藤新一』(第50巻)



事件トリック自体は、好評価したい。
あのような場所に隠れる事が実際に出来るかどうかは別にして。

ただ、今回の話は、そもそもの前提に問題がある。

今まで積み重ねられたエピソードとの矛盾が生じつつあるためだ。

まず、のっけから絶句の場面。
解いた事件の数を競い合って自慢しているコナンと平次は、
今までの事件の彼らと別人としか思えない。
あるいは彼ら、『外交官殺人事件』以降の記憶が飛んだりしてるんだろうか。

メインの話は、そんな彼らの中学時代。
高校1年次のGWに初事件に挑んだはずの新一が、
中学の時に既に事件を解いており、しかも平次とも会っていて。

その上、蘭も和葉も優作も有希子も静華も一堂に介していたという
トンデモナイ設定が加わってしまった。

個人的には、中学生にもなった子供の合宿に、
ビデオカメラ持って付いてくる母親たちにも絶句する。
そして、事件のヒントだけ与える一方、警察への具体的な協力は一切しない……。

あんたら、子供を保護したいのか放任したいのかどっちなんだ。
そんなツッコミを入れたくてならない私である。



事件148『お魚メールの追跡』(第51巻)



2週完結のショートストーリー。

どことも知れない場所から一方的に送られてくるケータイメールの文面をヒントに、
相手の状況を推理し、救出する。
こういう展開を描こうという着想は斬新だ。

ただし、コレは何度も書いている事だが、
そもそもの前提の時点で、この事件には問題がある。
当人が5歳でも何歳でも、この際は関係ない。
あくまで常識的な話だ。

携帯電話の、メール機能の新規作成&メール送信と、
電源管理をカンペキにこなしている一方で、
メール受信はおろか、肝心の通話機能については一切使わない。
死にそうだと自覚している一方で、誰にも「助けて」とは訴えない。

しかもこの子供、閉じこめられた車から出られなかったわけでもない。
ロックの外し方は知っているのに、「お父さんに言われたから」出なかったのだ。
携帯電話についてのムジュンも同じ。理由は全部お父さん。

サンデー連載当時はトリック部分に注視していて読み流したが、読み返してみると恐ろしい。
充分に知恵が回るのに、自ら助かろうとせずに死ぬ子供。
この事件では危うく、そんな物が描かれようとしていたのだ。

何はともあれ、車内放置は犯罪です。

美談にしてる場合じゃないぞ。



事件149『ため息潮干狩り』(第51巻)



例によって、「毒物は如何にして被害者にもたらされたのか?」をテーマとする毒殺事件。

パーカー、荷物、ペットボトル、砂浜……と、トリックに必要なモチーフが、

潮干狩りというキーワードに全て、綺麗にまとめられている。

純粋にミステリとしては、比較的良作と言えるだろう。

ただ、この事件の冒頭でもコナンがうんちくを語っている事を、難点として挙げておく。

主人公が誰よりも何でもかんでも知っているというのは、やはり不自然だ。
法律や科学などならまだしも、生活に密着した「潮干狩りのコツ」なら、
まさしく幼い小学生たちの見せ場となろう。

食いしん坊の元太が両親から訊いてきたでもいい、
友達の多い歩美が教えてもらったでもいい、
勉強家の光彦が図書館で調べたでもいい。
他にいくらでも描きようがあっただろうに、残念だ。




事件150『ロシアンブルーの秘密』(第51巻)



作者によるご都合主義が加速していく。

小五郎が事務所で突如預かる事になった、英理の飼い猫。
その種類、ロシアンブルーは、青山剛昌氏・高山みなみ氏の夫婦(※連載当時)の
飼っていた猫「カイト」と同じだった。

そのロシアンブルーを登場させるために犠牲になったのが、英理の初代の飼い猫である。
今までカレンダーのイラストで描かれただけの、
あくまで裏設定で止まっていたスノーショーを、
わざわざ「寿命で死んだ」と作中で断ったのだ。

この描写を見ると、私は今でも作者の良識を疑ってしまう。
何も死なせる必要など無い。
二頭飼いの設定にすればいい。
あるいはいっそ、はじめからロシアンブルーだったと設定を変えればいい。
だが現実には、
作者の都合で、英理の飼い猫は殺された
殺人事件の死体役もそうだが、架空であっても「命を奪う」事の重みを、
創り手は猛省すべきだろう。

なお、今回出てくる「暗号」は、本来の『コナン』読者層には常識レベルの符丁だ。
調べればすぐに分かる事は、ナゾ解きとは言えない。
かつて「月と星と太陽の暗号」を創った作者とは思えない凋落ぶりが、酷く悲しい。



事件151『封印された洋窓』(第51巻)



密室で人が死んでいた。殺人か?

扉に隙間があるから「針と糸」が有効

いやいや、そんな単純なネタ使いません!さてトリックは?

実は抜け道を使いました


……率直に申し上げて、ひどい出来。
わざわざ先に、凝ったトリックを挙げておきながら、まさか最も反則なのが真相だとは。

また、抜け道のある部屋について、間取りの説明に乏しいため、具体的に推理するのは厳しい。

読者は回答編を待つしかない。
しかも、ゲストキャラ達の部屋の位置関係もことごとく台詞のみ。
昔はこういう場面も全部図式化してくれていたのになあ。

なお、この事件では久しぶりに瑛祐が登場。
コナンを監視し続けるというアヤシイ行動をみせるが、
後に思えばコレ、ただ単に注意を払っていたってだけの話。

むしろ注目すべきは、そんな瑛祐に対するコナンの態度。
園子や山村などの「眠りの」探偵たちを使わずに、今回は事件を解くのだ。
つまり、この時代のコナンには、まだまだ真っ当な警戒心が残っていたのである。



事件152『因縁と友情の試写会』(第52巻)



何も知らない読者が読めば「何でスターウォーズなんだ?」と疑問を抱くだろう。
種を明かせば、サンデー連載当時、『スターウォーズ エピソード1』が
流行ってたというだけの話だ。

振り返ってみれば、この作者、無から有を創り出す才は少々厳しい。
『まじっく快斗』は『CAT'S EYE』、『YAIBA』は『ドラゴンボール』、
そして『コナン』は『金田一少年の事件簿』の追随なのだから。

事件内容は、殺人に見せかけて自殺しようとしたゲストキャラを、コナン達が阻止するという物。
失われかねなかった命が救われた、という一点においては、この事件には価値がある。

だが、一方で目に余るのは、
子供たちの傍若無人ぶりである。
彼らの行動は、あくまで結果オーライで許されているだけである。
ゲストキャラの事情を探ろうと、そのバッグを無断で漁り、
カメラマンの命だろうカメラの中まで開くのは、やり過ぎだ。
しかも、そのやり過ぎの筆頭たるや、
実年齢17歳、本来なら引率役になるべきコナン(新一)だから呆れるやら。
阿笠ももう少し真剣に止めてほしい。

あと、見た目7歳の分際で、恋人を亡くした悲しみを「分かるよ」と即答するのもどうかと。
実際に7歳だろうと、未見映画のあらすじをネタバレするのもどうかと。
そんでもって、チケットをもらった試写会を、
阿笠に連絡もせずにすっぽかすのは、いくら何でもマズイだろと。
各方面に多大なる迷惑をかけまくる行為を肯定するような描写は、控えてほしいものである。



事件153『本庁の刑事恋物語 偽りのウェディング』(第52巻)



何度読んでも分からない。
犯人は何故、あんなに結婚式をやりたがったのだろう。

周りの言うように結婚式を中止すれば、あるいは警察に非協力を貫けば、
何の問題もなく高飛びできたはずなのに。

そも、ミステリ世界の犯人たちは、
何故かわざわざ探偵の眼前で事件を起こしたがる。
作者がてっとり早く「探偵VS犯人」の構図を作るための方便ではあるが、
やはり非現実的な展開と言える。

強いて理由を付けるなら、
「ずっと狙っていた唯一のチャンスにたまたま探偵が居合わせたため」
とされる事が多い。
他には、「探偵の嫌疑から逃れるため」という理由もあり得るだろう。

だが残念ながら、この度の事件の犯人は、いずれにも当てはまらない。
せめて、犯人の弱みである強盗仲間を誘き出そうとしたのかと思いきや、
結婚式より前に殺害しているので、その可能性も消えてしまう。
ほらやっぱり、何が何だか分からない。

果たして犯人は、一体全体何をやりたかったんだ。

常人には理解しがたい動機が描かれるのは構わない。
が、真っ当なトリックも、動機らしい動機も、
何も描かれないというのは流石に勘弁してほしい。
「意外な結末」ばかり求めて、読者に置いてきぼりを食らわすようでは、
ミステリと呼べないだろう。



事件154『ひっくりかえった結末』(第52巻)



死体が発見されたのは、部屋中の何もかもがアベコベに引っくり返った奇妙な部屋。
有り体に言えば、
『チャイナ橙の謎』(byクイーン)のバリエーションである。
あるいは、ポーの『盗まれた手紙』のバリエーションとも言えよう。
で、それを作者お得意の「半分倒叙」で描いたと。

事件トリック自体は、なかなか興味深い。
一見カンペキに整えたつもりの犯人が、次から次へ起こるアクシデントに合わせて、
どんどん計画を臨機応変に変えていく豪胆さに舌を巻く。

ただ、その一方、どうにも納得しかねるのが、犯人の動機だ。
ゴーストライターが自分から離れていくからと殺した犯人なら居た。
だが、今回の被害者は、犯人のゴーストライターを辞めるとも言ってない。
犯人を脅そうともしていない。

犯人いわく、「自分の思い通りに改稿させてもらえなくなったから」殺したそうだが、
正直なところ私には意味がよく分からない。

小説家の才能が枯渇したなら、素直に引退すれば良かった。
小説家のプライドを守りたいなら、自分で全部書けば良かった。

更に言うなら、こうして思いついた殺人計画を、
新たに書くミステリのアイディアに使えば良かったのに。
少なくとも、少年漫画の一エピソードになるくらいのレベルにはなってたんだから。



事件155『園子の赤いハンカチ』(第52巻)



『因縁と友情の試写会』より一層露骨になっていく事件のモチーフ。

念のため補足しておくが、この事件のサンデー連載当時は、
『冬のソナタ』を始めとする、いわゆる韓流ドラマがブームだった。
以後、『コナン』の内容は確実に、作者の日記帳と化していく。


ミステリとしてのレベルも、ここに来て一段と下落した。
この私でも、容疑者が並んだその瞬間にフーダニットが割れてしまった。
と言いますか、
『×××HOLiC』知ってる人ならすぐ分かる
以後、『コナン』の内容は確実に、百科事典の引き写しと化していく。


そして最後は何故か、50人ものならず者を相手に、
蘭と京極が、バトル漫画さながらの大立ち回り。

本当はこの作者、『YAIBA』のようなアクションものの方が
向いているんじゃないのかなあ……。

後ついでに。
園子よ、ドラマを気に入ったのは分かるが、
未見の人にペラペラとネタバレするのは駄目だぞ人として。



事件156『怪盗キッドと四名画』(第53巻)



『名探偵コナン』と『まじっく快斗』との交雑が一段と進行。
中森が登場しているにも関わらず、陰惨な殺人が展開される。

現場に絵画が存在してない事は、大抵の読者がすぐに予想できるだろうが、
その予想を想定に入れたトリック運びが心地いい。

作者お得意のワイヤートリックを、今回も大きく見せてくれる。

ただ、その一方で、小さな破綻が見え隠れする。
マスコミにペラペラと事情を明かすコナンは、もうすっかり第1話の新一そのもの。
条件つきとは言え、他人をもカンペキに変装させるキッドの荒唐無稽ぶりも気にかかる。

かくて、『コナン』の世界観は、僅かずつながら確実に、軋み歪み続けていくのである。



事件157『1年B組大作戦!』(第53巻)



誰も死なない平和な話。
教諭の出したクイズに取り組む内に、クラスメイト達の絆が強まり、
全員一丸となってチームワークを発揮していく。
描きようによっては、このまま道徳番組に使えそうなプロットだ。

灰原の言う、
「方言は言葉に付けたアクセサリー。外したければ外せばいいけど、捨てちゃダメよ」
という台詞も好感を持てる。

問題点は、やはり子供たちの年齢だろう。
本来この事件のような課題に取り組むのは高学年、せめて中学年でなければ厳しい。

7歳の小学1年生では、教諭の誘拐話を真に受けてパニックになるならまだいい方で、
下手すると状況を把握できずに遊んでしまう子だって出かねない。

故に、実年齢の高いコナンと灰原が引率役として機能するわけだが、
そもそも彼ら、クラスで目立つ事自体が御法度のはず。
日頃からこんな事してるから、余所から取材が入ったりすると思うんだが。

それからもう一つ気になる点。
東尾マリアと、坂本たくまの二人。
彼らは今まで何ら描写なく唐突に登場。
(それも一人は、コナンと灰原に続く3人目の転校生)
そして唐突に退場した後、顔も名前も出てこない。

主人公のクラスメイトというのは、いつもの通りすがりのゲストキャラとは違う、
生活の一部のはずなのに。
その場限りの使い捨てというのはマズイ。
このように行き当たりばったりにキャラを配していたら、
作品自体の現実味が薄れてしまう……。
連載当時に感じた危惧は、いつしか現実となっていくのである。



事件158『黒の組織の影(その1)』(第53巻)



実に15事件ぶりに、物語の縦糸である、キールの状況が進展。

冒頭でのジョディの言葉から考えれば、
作中では短くとも1ヶ月は経過していると思われる。

で、そのキールが出れば自動的に、本堂瑛祐が出てくる。
彼は、
キールと同じような言動をしたという、
大きな手がかりをコナンにもたらす。
対するコナンは、変わらず全力で警戒を強める。

なお、今回の事件は、
『大都会暗号マップ事件』『元太少年の災難』などと
モチーフが重なる。

もっとも、この度の目撃者である少年は、
今までの子供たちを遙かに超える観察力を持つ。

車に乗ってる人の腕のタトゥーが、釘だったか杭だったかまで
覚えてるってのは、少し無茶じゃないか。

それにしても瑛祐とは、本当にドジなのか、ドジなフリをしているのか、
結局サッパリ分からない。

前者とするには、推理における注意力の説明がつかないし、
後者とするには、あまりにドジが多すぎるし。
その答えが分かる事は、きっと今後も無いのだろうな……。



事件159『黒の組織の影(その2)』(第53・54巻)



前の話の直接の続き。以外に評価できる部分はほぼ無い。

作者はただ、節分にまつわる話を書きたかっただけなんだろう。
そもそも、トリックの要であろう、
「色が濃い物の上では、真珠も豆も白っぽくて丸い粒」
という暴論からして、んなわけあるかい!と叫びたくなる。

関係者が誰一人、豆を撒いた事を語らないのも不自然。
特に子供なら、我先に喋りたくなる一大イベントだと思うが。

それに、犯人の思惑はあらゆる意味で破綻している。
人を殺して逃げきるという大仕事で飽きたらず、
捨てればいいだろう貴金属まで換金しようという欲深さ。
そのくせ、わざわざ車を用意して、他人を雇って、高額報酬まで払ってる。
金が欲しいんじゃなかったのか犯人は。

仮に、運良くその貴金属を手に入れられるとしても。
そのためには、明らかに腐りきった、余所様のも混じった生ゴミから発掘しなければならない。
もっとハッキリ言えば、掃除機のゴミ袋なんて、最長なら年単位で開かれない。
この通り、どこまで行っても破綻している。

そして最後に言いたい一言。
直接関係ないのに、
『赤毛連盟』のネタバレするな作者



事件160『割れない雪だるま』(第54巻)



作者内ブームが配されていないため、
ワンアイディアのトリックのみで引っ張られた、
やや地味な事件となっている。

描きようによっては、科学の学習本で使えそうだ。
「雪と氷の秘密」とか、その辺のテーマで。

ただ、個人的に気になる点として、
この度のトリックには、
死後硬直が考慮に入っていない

『ホームズフリーク殺人事件』での平次は、
「死後30分後から硬直が始まる」と発言している。

ならば、もしかしたら、被害者は丸まったまま湖に浮かんでるという
シュールな光景になってた可能性もありやなしや。

吹雪の中と温泉の中に入った死体がどうなるか、
実験の仕様もないから立証の仕様もないのだが。

ところで、この話でのコナンは灰原に、瑛祐の事をジョディに伝えたと語っている。

少なくともこの時点でのコナンは、FBI勢とも適切に連係できていたのである。



事件161『服部平次との三日間(その1)』(第54巻)



桜を見るために、何故かわざわざ上京してくる平次と和葉。
本来の目的は、コナンが平次にキールの情報を伝える事だ。
少なくともこの時点では、平次もれっきとした仲間の一人だったのだ。

さて、この度の現場は『霧天狗伝説殺人事件』を思わせる古い山寺。

和室、即ち畳の間ならではの、死体消失トリックを見せてくれる。
部屋の8畳敷きがくるくるとはめ替えられていく様は、まるでテトリスのピースのようだ。

しかし、現場が畳の間である事は逆に、物語の難点にもなっている。

このトリックは、8畳4部屋――総計32畳が全て「同じ状態」である事が前提だ。
毎日の日差しが入れば、畳は刻々とその色調を変えていく。
もちろん、色調を揃えようと時間をかければ問題ないが、
作業時間を「7〜8分」と平次が言っちゃってるから頭が痛い。

それに。
1畳あたりの重量は、約30kgに及ぶのだ。
時代劇での「畳返し」だって、畳を完全に持ち上げてるわけじゃないしね。

それから。個人的に残念な点。
自分のせいで人を死なせたという、犯人の悔恨の訴えが、
結局はギャグのオチとして使われた事。

平次って、こんな風にヒステリックに叫ぶような人だったかなあと、
うら寂しい気持ちになる私である。



事件162『服部平次との三日間(その2)』(第54巻)



いわゆる「探偵甲子園編」である。
サンデー連載当時、冒頭での、各地の高校生探偵が勝負するという話に、
すわ天下一武道会でも始まるのかと焦ったのはいい思い出。
実際に描かれた「探偵甲子園」とは、東西南北を冠した四人が戦うという小規模な物だった。

ただ一つの「点」の描写が伏線として機能する事、
形振り構わず人命救助に燃える平次、
そして終盤での平次と和葉の連係プレイなど、見所は多い。
が、その一方で、由々しき問題点も散見する。

1.平次&白馬の邂逅。
実は二人、厳密にはこの事件が初対面ではない。
映画『探偵たちの鎮魂歌』の方が先なのだ。
原作とアニメとは同一平面の地続きであるという今までの了解が、
ここに来て完全に覆されてしまった。
つまり「アニメ独自の設定が原作に適用されない可能性」が出てしまったのだ。

2.ネットスラングの使用。
「しますた」と「キボンヌ(希望)」。
『黒の組織の影』での「キター!」は、2012年現在でも生き残っているが、
上記の2単語は一時的な流行に過ぎなかった。
意味のない時事ネタを、安易に用いるべきでない典型だ。

3.「短髪・男装・男言葉の女子高生探偵」というインパクトの強い登場人物を、
ゲストキャラとして使い捨てにしてしまった事。
しかも、事件の性質上、再登場さえ出来ない形でだ。
この事件なら、長髪&スカートの普通の女の子で十分だったろうに。
そうすれば、後に登場する某キャラの印象も、僅かながら上昇したかもしれないのに。
これは作者の見通しが甘すぎたと言わざるを得ないだろう。



事件163『元太の必殺シュート』(第55巻)



今回の事件は、ダイイングメッセージの理屈も強引ながら、
それ以前に、キャラクターの行動原理が甚だ強引と言う他ない。

考えるに、作者は「小嶋元太」という登場人物を、完全に持て余してしまっている。

元々の彼は、力自慢の頼もしい団長だった。
『歩美ちゃん誘拐事件』でロープを引き続けたり、
『命がけの復活』でコナンを背負ったりする彼は輝いていた。

だが、事件を追って先に進む役は、やがてコナンに移っていった。
元太のいる意味は、リーダーよりもトラブルメーカーの側面が強まっていった。

結果、今回の元太の役回りは、何故か狭い駐車場でサッカーボールを蹴り続ける
「イタズラ坊主」――というか、
単なる愚か者になってしまっている
『幽霊屋敷殺人事件』で垣間見られた「野球好き」の面も消されてしまっている。

更に言うなら、もっと重要だろう「食いしん坊」という要素まで消されてしまっている。
サッカーの勝敗が気になってケーキも食べないという点こそ、
まさにコナンの気質ではないか。
で、そのコナンはサッカー忘れてケーキに喜んでるのだから、正直頭が痛くなってくる。

挙げ句の果てに、元太はアニメ版タイトルでまで侮辱される始末。
「必殺シュート」なんて彼はしてない。殺人なんてしていない。
どういうつもりなんだろうかアニメスタッフ。



事件164『工藤新一少年の冒険』(第55巻)



10年前の出来事を綴った「過去編」である。

小学1年生(当時)の新一&蘭が、謎の差出人からの暗号手紙を解くという、
典型的なミステリ展開。

新一のこまっしゃくれた言動は、初登場時の光彦辺りを思い出させる。
今の少年探偵団では出せない魅力だ。

他の登場人物の過去バージョンを見るのも楽しい。
刑事の小五郎&新人弁護士の英理がいる。
工藤家には、優作&有希子が揃っている。
目暮の階級は警部補で、阿笠の髪もまだ黒い。

長期連載で“金属疲労”しつつあった
キャラクター達は、この事件で文字通り若返った。
個人的には、この時代のキャラを使ったスピンオフでも読みたいところだ。

ただ、この事件で決定した事実。

『まじっく快斗』の原点であるキャラ・黒羽盗一の登場により、
『コナン』と『快斗』の世界とは、とうとう完全に地続きとなってしまった。

『快斗』の世界には、純然たる「魔法」が存在する。
トリックもアリバイも通用しない、理不尽な能力を考慮に入れたら、
ミステリは基本的に成り立たない。
残念ながら、当時の作者は着実に、『コナン』世界を壊す布石を打っていたのである。



事件165『妃英理弁護士の恋』(第55巻)



2週完結のショートストーリー。

オチは単純極まりない。
英理と会っている男性の正体は、少なくとも私は一目で割れた。
わざわざドッグカフェで浮気の密会をする男女など居るまいし。

作者としては、自分が知ったばかりの猫の生態を披露したかっただけだろう。
問題は、作者は猫を飼って間もないだろうが、
英理は「先代が寿命で死んだ」ほど長い期間飼っているという違いだ。

なのに、英理のあの取り乱しよう。
あれでは、自分の家族よりも猫が大事だと伝わりかねない描かれようだ。
英理は他の家の猫と接した事さえもないのか。
彼女は37年間、猫について何も見聞した事ないのか。


登場人物は、作者の投影ではあるが、作者本人ではない。
これは、物語の創り手が自覚すべき、大切な事だろう。



事件166『本庁の刑事恋物語8』(第56巻)



今まで繰り返し用いられているモチーフがまた用いられている事件。

一つは、(磁性体の)テープ類。
『大学教授殺人事件』『小さな依頼者』と同様、
作者得意のワイヤートリックでの「糸」として、無類の強さを誇る物体。
本当に、文字通り糸である。

特に注目してほしいのが、「FILE3 婚約指輪!? (3)」の回。
第46ページ、4コマ目。

実は私、初読の際、この「糸」が2本縒り合わさった物だと読み取れなかった。
勿論、そうでもなければテープから鍵が抜けなくなってしまうのだから、
間違ってるのは私なのだが、
この文章を書く直前まで首を捻ってしまっていた。

もう一つは、指輪だ。
『連続二大殺人事件』の他、
『コーヒーショップ殺人事件』『偽りだらけの依頼人』でも登場している。

最後に、この事件で、

「薬指にはめる指輪の意味という常識も知らずに生きてきた事を
恐れられるどころか褒め讃えられる社会人の成人女性」
という、
世にも名状しがたい存在が誕生している事を付記しておく。



事件167『山姥の刃物』(第56巻)



これで6回目のキャンプである。
そして『青の古城探索事件』以来のビートル故障である。

「身近にある意外な凶器」というモチーフは、『アイドル達の秘密』と重なる。

事件の要は、発覚したその時における登場人物の足下。
ただ、残念ながら原作の紙面のみからでは、その伏線を拾うのは非常に厳しい。
『お金で買えない友情』のように堂々と描かれていないのだ。

それに、カラーならまだしも、
白黒の漫画では、
素足なのか靴下なのか靴なのかも判別できない

ややアンフェアと言わざるを得ないだろう。

後もう一つ。
この事件では光彦がやたらに、包丁を研ぐ老婆に怯えているが、
彼は本来、科学と論理を大切にする冷静なタイプのはず。
『迷いの森の光彦』では、たった一人で森の奥で、
見知らぬ凶悪犯と共に居ても、両の手を離さない勇気を持っていた。
少なくとも、人前であのように取り乱すのは、
今までの設定とまた食い違っているような印象を受けた。



事件168『黒い写真の行方』(第56巻)



平次からの与えられた情報に従って動くコナン・灰原・阿笠の三人。

水無怜奈の父親の知人の孫、という何とも遠回りな関係の、
か細い手がかりを手繰っていく。

メインとなる事件自体は、結果的には微笑ましい。
一時は組織の手が回ったのかと焦るものの、ごくごく内輪でのみの
窃盗騒ぎであり、警察への立件もされずに終わった。

ただ、これは個人的意見だが、私が犯人の立場だったら、
あらゆる意味で耐えられないだろう。

閉所恐怖症気味としては、あの場所にずっと一晩潜むのも苦痛だし、
コナンがすぐそばに来て滔々と喋ってるのを聞き続けるのは拷問の域。

推理の途中で「すいませんでしたー!」と
叫んで飛び出してしまうと思う。
もしそうなったらコナン、呆れ返った挙げ句に怒るかもしれない。
お約束を破るなと。

そして最後に、
水無怜奈の父、即ち、本堂瑛祐の父が
「カンパニー」の人間である事
が分かったところで、次の事件へ物語は続く。



事件169『赤と黒のクラッシュ(その1)』(第56巻)



「キール編」も終盤。本流となってきた。
コナンの身を真剣に案じる平次と、組織に真剣に挑もうとするコナンとの対比は、
やはり美しい。
この時点でもまだ、彼らは真摯に輝いていたのだ。

中盤に挿入される内容から、この事件は「振り込め詐欺編」と呼称できよう。
描きようでは、警察庁のホームページ辺りで扱えそうだ。

なお、サンデー連載当時はまだ「オレオレ詐欺」という名前が主流だった。
それを「振り込め」の方で書いた作者のセンスはなかなか鋭い。

もっとも、被害者宅に盗聴機を仕掛けて
留守宅に居座って固定電話を使う詐欺など、
リスクが大きすぎてあり得ない。
こうも複雑に描かなければ尺が足らず場が保たないとは言え、
あまり実際の参考にはならないのが残念だ。

それにしても、何とも意味がつかめないタイトルである。
私としては、この題を付けたアニメスタッフに質問したい。

コナンのドコに「赤」があるのだ。

せめてアニメオリジナルで、
赤と黒なら例えばルーレットの場面でも入れれば良かったと思うんだが。



事件170『赤と黒のクラッシュ(その2)』(第57巻)



コナンは、FBI勢であるジョディと連係しつつ、本堂瑛祐の身辺を慎重に探ろうとする。

キーになるのは「血液型」。
この時点で、コナンが彼なりの結論をジョディに(=読者に)
明かしているのは、フェアな描写であり喜ばしい。

中盤に挿入される事件を名づけるなら「メイド編」とでもなるだろうか。

舞台となるのは、2年前、1年前、そして現在と、全く同じ日に人が死に続ける館。
『仏滅に出る悪霊』を連想させるモチーフだ。

発端となった2年前の事件を踏まえて、
犯人は実に悪魔的な殺人トリックを連続して構築する。

1年前に起こった事件の方は、
瑛祐がプールに落ちた場面でさり気なく伏線を配しており、
種明かしでは唸らされる。

一方、現在に起こった事件の方は、トリックにやや破綻が見られる。
例えば、被害者が余力ある状態で、壺から手を放し、
ロープの上方にしがみ付けば、まだ助かった可能性が残る。

そして事件解決後、コナンが
瑛祐の脱衣シーンに驚く場面で終了。
先の気になる終わり方をしながら、しかし物語は、
何とも見当違いの方向にすっ飛んで行くのだ。



事件171『TV局の悪魔』(第57巻)



本来、この事件で語れる事はほとんど無い。
連載の話数稼ぎ、はっきり言えば、
単なる場つなぎなのだから。

キール関連の真っ只中にも関わらず、
なぜか唐突に挿入される、通常タイプの物語。

犯人キャラは、なぜか今更、デ○モン小暮閣下のパロディ。
(しかしこの犯人、悪魔っぽい言動がどうも中途半端)
アリバイトリックの一部は、なぜか今更、ある有名な推理ドラマと同じ。
(『TV局殺人事件』の時と同じドラマです)

上記のような小ネタが使われた理由は、
「犯人は如何にして、鏡のない場所で化粧をしたのか?」
というメイントリックを描くためだろう。

その回答は、科学雑誌で見かけるだろうシンプルな物。
だが、この条件による“鏡”で正確に化粧を済ませるのは、実のところ難題だろう。
故に、最後の証拠も残ってしまったのだから。

そして最後、なぜか灰原が「悪魔が涙を落としたら魔力を失う」
という奇妙な説を、さも一般論のように述べて話は終わる。

申し訳ないが、私はこの説を寡聞にして知らない。
因みに2013年現在、「悪魔 涙 魔力 失う」で検索すると、
当サイト内部ページが上位ヒットするという事実を挙げておこう。



事件172『逃亡者』(第57巻)



1週完結のショートストーリー。
『強盗犯人入院事件』と同じ分量だが、今回の内容は薄い。
1週分のページ数だけでさえ冗長に感じるほどであり、
オリジナル展開を追加する事も非常に難しい。

そのせいなのか、2007年のサンデー連載時から、
アニメ化された2015年まで、じつに8年もの月日が流れている。

あらすじは簡単だ。
終始、小五郎が町中を逃げ回るが逃げきれず、それで終わる。

この事件は、ひたすら
子供本位で描かれている。
大の大人であるはずの小五郎は、小学生たちに振り回される道化でしかない。
こんな苦労をするくらいなら、いっそ他県にでも脱出すれば良かろうに、
そういった真っ当な対策も取ろうとしないのは、何とも不自然に感じる。

そしてもっと問題なのは、
肝心のコナン(=新一)がその小学生たちの筆頭となって小五郎を追いつめ、
その上、阿笠から当たり前のように大枚をねだっている事だ。

子供だからって何でも許されると思うなよと、
誰か諭してくれる“大人”は、この世界にいないんだろうか……?



事件173『赤と黒のクラッシュ(その3)』(第57・58巻)



この事件で、ようやく「キール編」の終幕が始まる。
『組織の手が届く瞬間』以降に張られた伏線が、怒濤の勢いで回収されていく。

話の規模はFBIどころか、
とうとうCIAまでに拡大
その渦中に出てくる人々が、誰も彼もがトンデモナイ。

例えば本堂瑛祐は、独力でキールや父親の行方を突き止めたり。
なお、コナンがソレを調べる際、患者の守秘義務を破る看護師が悩ましい。
こうでもしないと、トリックの伏線を張れないのは分かるが。

それからキールは、昏睡から目覚めていながら医師の診断まで欺いたり。
コレをアンフェアな描写と見るか、キールが凄いと見るか、意見は大きく分かれるだろう。

そして何より、ジョディ達FBIの捜査に、当たり前のように加わるコナンがシュール過ぎ。
この作品を途中から読んでる人なら、
FBIは「コナン=新一」を知った上で話していると解釈する事請け合いだろう。

しかし、加わる方も加わる方だが、加える方も加える方だ。
ミステリでは往々にして、警察は愚鈍に描かれるものだが、
まさかFBIまでそういう軽い扱いに落ちるとは恐ろしい。

なお、メインとなるのは組織員の特定。
成功したと思ったら、またもアッサリ死なれて終わる。
実は、『満月の夜の二元ミステリー』のカルバドスに続いて二度目の失態なんである。
どうにも後味が悪いまま、更に物語はトンデモナイ方向へ、続く。



事件174『赤と黒のクラッシュ(その4)』(第58巻)



キールの半生が徹底的に解き明かされ、事態は収束していく。
その一方で、『名探偵コナン』という作品の意義が、
徹底的に破壊されていく

1.時系列の矛盾。
宮野明美の死が「数ヶ月前」と断言されてしまった。
ここまで既に50巻以上、ざっと10年の物語を積み重ねておきながら、
春夏秋冬の季節を何度も巡っておきながら、
公衆電話が携帯メールにまで進化していながら、
たった数ヶ月。
新一&蘭の苦悩ぶりや、少年探偵団の成長ぶりと完全に矛盾を起こしてしまった。

2.宮野明美の行動原理の変化。
彼女が10億円強奪をしたのは、あくまで「妹と共に自由を得るため」だけだったはず。
そこに唐突に「付き合っていた男のため」という後付けが加わってしまった。
それなら、男の方も彼女に何とかしてやれよ。

3.FBI勢への作者の偏愛。
この事件を境に、ジョディが劣化、ひいては無能化。
ジェームズなんてもうただ居るだけ。
対して、台頭したのが赤井秀一。
赤井は、コナンと居並び、組織に恐れられ、
他のFBI勢全てを従えた上で出し抜くほどの人物と描写される。
だが赤井は実は、組織員を立て続けに追いつめて死なせている上、
明美を救おうとした描写も一切ない。
つまり赤井は、「犯人は裁かれるべき」という
『コナン』の基本骨子を否定してしまっている人物なのだ。
果たして作者は、この大きな矛盾に気づいているのか……?



事件175『赤と黒のクラッシュ(その5)』(第58・59巻)



「キール編」の佳境、これにて閉幕。

前回初登場したキャメルは、登場2回目にしてもう劣化。
ジョディやジェームズに至っては……彼らの名誉のために伏せようか。

ビル内での殺人事件の内容は単純。
「What time is it now?」
「Sightseeing, ten days.」
などの昔からある同音異義ネタ。詳細は割愛。

差し当たって重要なのは、ジンに命じられたキールによる赤井謀殺。
2007年連載当時、この件についてのトリックは、
ネットでの有志によって早々に仮説を立てられるなどして盛り上がった。

問題は、それからもう6年も経った2013年現在もまだ、
公式の回答編がいっこうに描かれない事である。

物語の伏線には鮮度がある。
長く勿体ぶって寝かせすぎて読者に忘れられてしまったら、
後は腐らせてしまうだけだ。
『そして人魚はいなくなった』の記帳などは、
生かすタイミングを完全に逸してしまった、もっともたる例だろう。

そして最後に、悲しすぎる事実。
この事件を境に、
主人公たるコナンから
組織に関する独白(モノローグ)が消滅する

今までの彼はずっと、こちら読者と意識を共有していたはずだ。
が、以降の彼は、作者の視点に立つ者になってしまった。
何も語らず与えない、謎ばかり増やす怪しい人物の一人になってしまったのだ。


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参考文献としての批判スレ


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