事件176『弁護士妃英理の証言』(第59巻)



組織もFBIも跡形もなく消え去って、一般的なミステリが展開される。

「半分倒叙」で描かれる、
「ワイヤートリック」による「アリバイトリック」が、
コナンが「犯人の手を見るのがきっかけ」になって解き明かされるという、

作者お得意分野のフルコース。

より厳密には、『お金で買えない友情』の発展形と言えるトリックだろう。

利己的かつ理不尽な動機もまた、良くも悪くも、この作品らしいポイントである。


ところで、子供ぶりっ子をしたままで犯人を追いつめるコナンの姿は、
犯人の目を通して描くと、もう完全にホラーの世界。
見た目7歳の少年が、被害者の切られた首をじっくりと観察してるのも、
常識的にはあり得ない光景と言えるだろう。





事件177『風林火山』(第59巻)



「キール編」を差し置いて、まだまだ連載の引き延ばしは続いていく。
長野県を舞台にした、武田信玄の「風林火山」による見立て殺人。
サンデー連載当時の2007年に大河ドラマで流行っていたという理由こそ
安直だが、純粋に興味深いテーマだ。

問題は、そのテーマが霞んでしまうくらい、無駄な描写が多い事。

まず登場人物が多すぎる。
出てくる名前が軽く15を超えている。
入り婿・養子・連れ子をも交えた複雑な家庭が二つ。
例によって家系図も一切無いため、
何度読んでも人間関係がなかなか頭に入ってこない。

中でも必要性を感じないのが、新キャラの大和警部。
しかも彼は事実上、一眼一足という非常に特徴的な外見で描かれているが、
この設定こそ何も活かされていない。
救命措置もアクションシーンも、当たり前にこなしているのだ。
これでは、心苦しいが、
彼の身体障害は、
単なるファッションアイテムと化してしまっている
と言わざるを得ない。

その大和を一心に求める虎田由衣も、存在意義が謎である。
作者による「幼なじみ至上主義」の下、
夫を道具扱いしているとしか思えない言動には目を疑った。

それから、その由衣に焚きつけられる蘭と和葉に至っては、いる意味が本当に分からない。
他キャラでも言える台詞を代わってるだけなのだから。
何しに来たんだこの二人。



事件178『カラオケボックスの死角』(第59・60巻)



最初から、肩すかしで始まった「キール編」は、
最後まで、肩すかしで終わる。

本堂瑛祐が証人保護プログラムを断って、尾行してきているFBIを殺害した……という、
序盤で強調された筋書きは、予想通りミスリード。

実際には、瑛祐の動揺ぶりも、殺人事件とは全くもって無関係。
むしろ、挙動不審になり過ぎである。

ただし、無関係であろうとも、人死には人死に。
『超秘密の通学路』のように平和な雰囲気にはなれない。

凶器のトリックは単純。
「ブラックジャック」という語はヒントでなく、もはや回答である。
しかもコレ、またまた某有名推理ドラマと内容が重なる。
『TV局殺人事件』『TV局の悪魔』に続く三度目だ。

最大の問題点は、事件解決後である。
コナン、つまり新一は、蘭を取られたくないという感情だけで、
自らの正体を瑛祐に明かすという愚行を犯す。

瑛祐は蘭を傷つけるつもりも無く、新一とフェアに勝負しようとしているのに。
そもそも新一に、蘭の意向も確かめずに阻む権利など無いだろうに。
結果的に新一は、瑛祐を自分の事情に決定的に巻きこんでしまった。
『バレンタインの真実』での殊勝な態度とは、完全に矛盾してしまっている。

そして何と最後、瑛祐は独力で、

「眠りの小五郎=コナン=新一」の方程式を
解き明かしていた事
が判明する。
新一と近しくない、仮にも一般人が見破れる謎を、何故に組織が見破れないか。
まさかあの組織、作中に出てきてるキャラしか存在してないんじゃなかろうな……?



事件179『赤白黄色と探偵団』(第60巻)



いわゆる「バーボン編」が始まるこの事件以降、この考察はほぼ批判のみの
内容になる事を、閲覧なさる方はご了承いただきたく。。

放火犯を探るメインの流れは、弓長のラストの恫喝など、
辛うじて及第点に達していると言える。
(余談ながら、依頼人の「杉浦開人」とは、出演権を得た読者の名前との事)

最大の問題点は無論、新キャラ・沖矢昴の登場と、その描写不足だ。
作中の描写を見る限り、コナンは、
「初対面の赤の他人に、他人の家を無許可でまた貸し」したとしか読み取れない。
特に、「バーボン」なる新たな組織員が動いたと言われた時の行動ではない。

少なくとも、コナンと沖矢が親密であるという下地が絶対に必要だったはずだ。
沖矢が実は変装しているのなら、それはベルモットかキッドであり、
純粋な味方ではない。
有希子に、他人を容易に化けさせる能力があるという描写も今まで無い。

「沖矢=赤井」説に至っては、「ネーミングの由来が同じだから」
という根拠からして、本来ならナンセンスである。
そのようなメタ的な理屈を推理だとするなら、私は、
「毛利小五郎=新出智明」であり、「工藤優作=松田陣平」であり、
「森敦士=ジェイムズ・ブラック」であり、
「円谷光彦=内田麻美」であると訴えよう。

誰かが何か変装してどうにかしてるんでしょう多分きっと。

つまるところ、この先の『コナン』は、ミステリとして明らかに欠陥を抱えていくのである。



事件180『都市伝説の正体』(第60巻)



赤井の安否どころか、沖矢の問題すら消え失せて。
高木たち刑事キャラ中心の事件が展開。
気になってしまう点を、以下に列挙。

・トリックの要が、或る推理小説と全く同じ。
犯人の性別にまつわるトリック。
しかも、その或る小説とは、巧みな叙述トリックを仕込んだ長編なのだ。
これで、『命がけの復活』での「飲み物の氷に毒を仕込む」ネタに続き、
2回目の暴挙となった。


・高木がすっかり恋愛バカになった。
今回は『本庁の刑事恋物語』シリーズの一つなのだと思うが、それでも酷い。
かつての彼は、ビジネスとプライベートで、きちんと態度を改めていたはずなのに。
仕事中に佐藤の事を考える自分を責める、倫理感を持っていたのに。
自ら仕事そっちのけて千葉と恋愛トークって。
挙げ句にラストでは、佐藤と一緒にいたい下心で張り込みに立候補してる始末。
泣きたい。

・千葉が純情を通り越して子供。
高木と同じく、ケジメが全く付いてない。
千葉いわく、佐藤に
「あんな事されると張り込みどころじゃなくなっちゃう」そうだが。
全世界の、安全を守る職業の人に謝ってくれ。
あり得ないだろ。



事件181『殺意はコーヒーの香り』(第60巻)



この事件の印象は極めて薄い。
今までずっと、無意識の内に読むのを避けていたようだ。

その理由。
『名探偵コナン』という作品の、

「悪人は全て罰される」というテーマが、
この事件で瓦解してしまった
からだ。

『ジェットコースター殺人事件』冒頭では、
犯人に人権はないとばかりに粛正された。
『山荘包帯男殺人事件』では、犯人は殺人鬼だと断じられた。
『ピアノソナタ『月光』殺人事件』で、眼前の自殺者を救えなかったコナンは、
『名家連続変死事件』で自らを殺人者と称した。
『浪花の連続殺人事件』では、平次が命をかけて犯人を止めた。
『偽りだらけの依頼人』では、自殺は殺人と同じだと断言された。
どれも青臭い理想論、甘っちょろい戯言かもしれないが、
だからこそ私はこの作品に惹かれたのだ。

なのに。
殺人犯は既に自殺した後だから何もお咎めなし?
その殺人犯を隠匿した共犯者も可哀想?
そんな解釈、今までに、世に掃いて捨てるほどあふれ返る凡百のミステリで見飽きてる。
どころかコナンは『神社鳥居のビックリ暗号』で、
「事件じゃないと燃えない」と言ってのけ、人死にを悼まないような人物だ。
そのような性格の者が、「悲しい真実」と言っても、言葉だけ上滑りするだけだ。

この事件をもって、この作品の主人公は探偵として、堕ちるところまで堕ちた。
……悲しい事件である。



事件182『怪盗キッドの瞬間移動魔術』(第61巻)



『まじっく快斗』でやれ。


……正直、コレだけでいい。今回の感想。

冒頭からして、『怪盗キッドの驚異空中歩行』の焼き直し。
『空中歩行』既読が前提と言わんばかりのネタバレ行為も印象が悪い。

第一、仮にも犯罪抑止を掲げる探偵のコナンが主人公のミステリで、
泥棒のキッドが褒め称えられているのは、明らかに変だ。

それでコナンがやる事と言えば、キッドの仕掛けを無粋に説明してるだけ。

『快斗』世界の「マジック」は手品と言うより、
魔法とほぼ同義であり、細かい理屈は求められていない。
飛ぶから飛ぶ、消えるから消える、化けるから化ける、それで充分だ。

それをこうも次々とバラされていけば、どんどん興が冷めていく。
ああ、きっとまた、黒フードかぶって逃げてんだなと。
ジイちゃん無理してるなあと。
大体あんなグライダーじゃ揚力ぜんぜん足らねーだろとか。
赤の他人に変装するなんて不可能だろとか。

気づけコナン。
お前が得意気に喋るほど、
APTX4869の真実味も失われていってる事に


ついでに最後にもう一つ。個人的な陳情。
小五郎が、キッドの術に対し、
「『絶対可憐チルドレン』の薫ちゃんじゃあるまいし」
と、のたまってるコマが、反射的感情的生理的に受け付けられない。

リアルタイムのサンデー読者でなくば、ほぼ100パーセント分からない内輪ネタ。
そもそも高校生の娘を持つ成人男性の言葉じゃないだろうよコレ。



事件183『憎しみの青い火花』(第61巻)



今回のテーマは、「こんな意外な物で人を殺せる」という、ただ一点。
その一点を描くためだけに、他のあらゆる点が犠牲になってしまっている。

一つ。またも型で押したような事件発端。
少年探偵団のキャンプ(7回目)で、圏外の地でガス欠になるという作為的な始まり方。

一つ。灰原の不自然な言動。
彼女は仮にも科学者である。
精密な実験器具に触れる以上、帯電対策は基礎中の基礎のはずである。
にも関わらず、彼女が無知のように描かれているのは、理解に苦しむ。
『四台のポルシェ』では普通に開けていた車のドアに触れないというのも、
率直に言って不自然だ。

そして最大の問題は、ガソリンについての描かれ方だ。
自明の事だが、あまりにも扱いがズサンすぎる。
犯人――ひいては作者――は、ごく限られた状況で
はじめて火災が起こるかのように考えているが、
犯人の思惑通りに被害者を殺せたのは、逆に奇跡と言っていい。
いつ何時とっくの昔に、犯人の飼い犬ごとガレージが燃え尽きててもおかしくない。

何より頭が痛いのは、
ガソリンをポリタンクに入れてる事だ
灯油じゃないんだから。

子供向けなんだから言葉のアヤだから気にするなとも一瞬思う。
しかし、子供が読むから漫画だからこそ、嘘を教えちゃいけないとも思う。

物語の中で、科学知識に間違いがあるのは良い。
一方で科学を振りかざしておきながら、
他方でその科学をないがしろにしているという矛盾が、私には納得できないのである。



事件184『推理対決 新一VS沖矢昴』(第61巻)



事件そのものは、シンプルで分かりやすい。

囚われた人物を見つけるにあたり、
その人命救助が丁寧に描かれた事は好ましい印象を受ける。

ただ、その一方で、細かい問題点が散見されるのもまた事実。

事情があるとは言え、コナンが完全に小学校の授業を放棄してしまっている事。
(だから目立つのは御法度なんじゃないかと)

コナン(新一)も蘭も、互いの思い人の事ばかりが頭にあり、
結果的に人命救助を軽く考えているように感じてしまう事。

そして最も厄介なのは、やはり沖矢にまつわる部分だろう。

蘭が沖矢を怪しいと感じる事に、具体的な根拠は一切ない。
それからラストシーンでの沖矢は、
『英語教師VS西の名探偵』で、ジョディがシェリーを飲むシーンの焼き直し。

この程度の描写なら、沖矢が味方でも敵でも転がせる。

後出しでどうにでもなる描き方は、伏線とは言えない。
結局のところ、ミステリとしてアンフェアと言わざるを得ないのだ。



事件185『真犯人からの届け物』(第61・62巻)



2週完結のショートストーリー。

この作品の登場人物は、唐突に家族が増えるのが常。

『中華街 雨のデジャビュ』での重悟しかり。
『迷いの森の光彦』での朝美しかり。

今度は榎本梓の兄・杉人が登場し、退場し、そしてやっぱり以後は出ない。

『忘れられた携帯電話』や、せめて『お魚メールの追跡』辺りで
匂わせておけば自然なのに。
かつて『奇妙な人捜し殺人事件』での「宮野明美の妹」に関しては、
的確に伏線を張れていたのに。
つくづく謎だ。

事件そのものについては、
「銃による殺人」の意外なバリエーションや、
人前でのプレゼントに仕込まれたメッセージなど、
純粋に興味深いトリックが並んでいる。
(その割にはアニメ版タイトルがネタバレになってるのが残念)

そして最後に素朴な疑問。
コナンはいつの間に、佐藤刑事とメルアド交換してたのか。
しかも、文中には漢字が目いっぱい使われてる。
果たして正体隠す気あるのか。
これまた謎だ。



事件186『柔は謎を制す』(第62巻)



犯人が被害者を誘導して、アリバイを作るトリックは世に多いが、今回の事件は少々変則。
被害者が自ら、犯人のアリバイ作りに協力しているという構図は興味深い。

が、その割には、この事件には強い既視感がある。


以前、別の場でも書いたが、『弁護士妃英理の証言』
――既出の事件と酷似しているのがその理由だ。

(破線内の以下、当ブログ記事より転載)
----------------------------------------------------------------------
1.英理が出てくるエピソードである。
2.格闘家が出てくるエピソードである。(被害者と犯人の違いはあるが)
3.コナン達が英理の所を訪れた時点で事件が発生する。
4.英理たち自身が犯人の無実を示す証人である。
5.というか英理、事件当日の時刻を片っ端から覚えまくり。
6.実は犯人、その英理たちを陥れるために作戦を張りまくり。
7.コナン、その作戦を早々に見抜いて活躍。
----------------------------------------------------------------------
しかも、『妃英理〜』での犯人は英理を証人に仕立てる事にメリットがあったが、
今回の犯人は意味をあまり感じられない。
実際、英理は最初から、犯人をかばうつもりもなく疑っているのだ。

もっと注意力の低い友人を利用するべきだったろうに。
犯人は自ら逮捕されたかったのか、それとも英理しか友人がいないのか。謎である。



事件187『殺人犯、工藤新一』(第62巻)



何もここまでして、工藤新一17歳を出そうとしなくても。

まず、APTX4869の解毒薬を風邪薬の空き瓶に入れていたという、強引かつ危険な発端。
(例えば元太とかが飲んじゃったらどうすんだ!?)

次に主人公の記憶喪失という古典極まりないモチーフ。
そしてトドメに、整形手術で既存の人物に化けるという、
身長体重骨格etc完全無視のご都合トリック。
今までの「カンペキな変装」ネタが可愛く見えるレベルだ。

そもそも犯人は、新一が幼児化した身を隠してる事を知らないはずだ。
故に、犯人の行動は徹頭徹尾崩壊している。

新一本人が早々に小屋から脱出できて、拳銃を持つ前の犯人を取り押さえたら終わり。
犯人がいくら記憶喪失のフリしても、すぐに警察へ連行して鑑定すれば、
それだけで終わりだ。
(探偵活動してる新一のデータは警察に存在してるはず)

60巻を超える長期連載の末に、このようなズサンな展開を見せられるのは、
率直に申し上げて恥ずかしい。
せめてコレが連載のごく初期、ギャグ要素の強い時代だったら、まだ良かったと思うんだが。

そんな中、蘭が「新一」の正体を正確に見破っていた点は、
この事件での数少ない救いかもしれない。



事件188『本当に聞きたいコト』(第62・63巻)



『命がけの復活』では「死ぬかもしれない」とまで言われた、
そんな解毒薬の連続服用。

もうすっかり、
「コナン←→新一」は変身ヒーローみたいな扱いだ。
変身時に激しく悶えてはいるものの、
元の姿を失った悲哀は、あまり感じられなくなってきた。

それで改めて、新一と平次とのコンビで、高速道路上で起こった殺人事件を追う事に。

当初、無数にいると思われた容疑者は、
『迷宮のフーリガン』などと同様、あっと言う間に3人に絞られる。

ただし、容疑者と縁の深い人が何故か同時に3人いるという状況は、
非常に不自然かつ作意的に思える。

トリックについては、『四台のポルシェ』のバリエーションと言うべきだろう。

それにしても、自ら絞殺されると分かっていて車を運転する
被害者というのは、正直なところ恐怖を感じる。
『六月の花嫁殺人事件』のような感動を狙ったのかもしれないが、
成功しているとは言い難いように思える。



事件189『回転寿司ミステリー』(第63巻)



少年探偵団が回転寿司屋に行ったら人が死んだ話。

現場のモデルに使われてるのは「く○寿司」だそうで。
この事件と前後した頃から、連動したキャンペーンを一度ならず行っている。
……個人的には、人が死ぬ場に使われて喜ぶ料理屋ってどうよって思いますが。

この事件における少年探偵団は、
今までと打って変わって、外見の実年例相応に幼い――というか幼稚。
コナンのためとは言え、寿司の皿を食べずにまとめて取ってる歩美に頭を抱えたくなる私。
それに、他人様(=阿笠)の財布で、総計8700円だの12500円だの
食いまくるのもモラルとしてどうかと。
そんな中、勝手に寿司を食べようとする元太を止める光彦が貴重な救いである。

トリックは『中華街 雨のデジャビュ』とモチーフが重なる。
動機は『奇術愛好家殺人事件』を今時にしたというべきだが、自ブログだったら
荒らしは普通に削除すればいいのではと思うのは、私だけではないだろう。
(むしろライターの荒らし発言でまとめサイト作るとか出来そうな気がする)

なお、この話において、灰原がコナンに「解毒薬を渡さない」と明言している点を
覚えておくべし。

彼女は後に、このてのひらを返します。
最悪の形で。



事件190『犯人は元太の父ちゃん』(第63巻)



前回に続く少年探偵団ネタ。
メインになるのはタイトル通り、元太の父親。
(ただし正確には犯人でなく容疑者)

今回気になるのは、奇しくもラストのコナンの台詞にあるように、
時代設定が古すぎる点である。

ひょっとしたらこの事件は本来、

時代劇として書かれたプロットなのではないかと、
私は少なからず疑念を抱いてしまっている。

さもなくば、一個人が恣意私情で、誰の協力も得ないまま、
大手民放TV局での番組を、しかも中止する事を前提として企画した案が
通るなど、現代日本ではとても考えられない。

掛け軸・和紙・黒田節・尺八・江戸っ子……と、
出てくるモチーフも、ことごとく時代劇めいている。

また、「元太の父親は誰?」という出題も極めて不自然だ。

小学生の子を持つ、しかも(小五郎のような)自営業の親が、
子供の友人と全く面識がないのもおかしいし、
第一、警察ならば関係者の身元くらい即座に調べる。
コナンが止めようが止めまいが関係ない。

挙げ句、こうも鳴り物入りで初登場した元太の父親は、以降、一切誌面に登場しない。
この通り、とうとうメインキャラの親までも、使い捨てが始まったのだ。



事件191『霧にむせぶ魔女』(第63巻)



何故か群馬の、何故か交通課の怪事件を、何故か山村刑事と共に解く、
コナンと蘭と小五郎と。

前回に続き、メインキャラの家族がまたも出オチ。
因みに今度は、山村刑事の祖母。

その山村刑事の用いる日本語は、気づけばすっかり崩壊気味。
ただでさえ多い説明台詞の字数を、更に意味なく語尾ばかり延ばされるのは、
単純に非常に読みづらい。

また、今回のコナンは小五郎を眠らせずに事件を解くので、
出来るだけ子供ぶりっ子をしてみせているが、
その一方で、ブロッケン現象について得々と語っていたりする。
誰も彼も皆、コナンが小学1年生だという設定を忘れてまいか。

そして最後にもう一つ。

見舞いが目的だからと言って、

「濃霧の中を絶叫しながらドリフトかます無謀運転する警察官」
という、非常識極まりない無い存在が召喚されてる事を
忘れてはならない。

運転は、くれぐれも安全に。



事件192『魚が消える一角岩』(第64巻)



今回は、読めば読むほど、内容が無い。
これは推理漫画というより、推理クイズと呼んだ方がいい。
あらすじの説明は、本当に3行で足りてしまう。


「人が殺されていた。
現場には『サバ タイ コイ ヒラメ 魚×』という文字があった。
犯人の名前を当てて下さい」


因みに、私が調べた限りでは、「青里」という名字は実在していないと思われる。

ミステリとは本来、探偵の活躍だけを描くものではない。
探偵の活躍を通して、
ゲストキャラの人間関係を描くものだと私は思う。
なので、『丸見え埠頭の惨劇』の直接の続きになっている事だけは、
評価できる貴重なポイントである。
『丸見え〜』の時にはまだ、ゲストキャラが息づいていた証左だ。

が、少なくとも、今回の事件の登場人物たちが再登場する事はあり得ないだろう。



事件193『初恋の傷跡』(第64巻)



作者は相変わらず、幼なじみ至上主義に傾倒している

物語の構造は、『イチョウ色の初恋』に酷似。
きっかけは、ある女性から小五郎への依頼。

彼女は、小学校2年生の時に数日親しくなった、
恩人である少年に一目惚れした後に生き別れ。
その後、彼女は30年間ずっと彼に恋慕を寄せ続けた(!)。
そして少年に名乗り出てほしいと訴えた。

すると、当人は実は身近にいた。
しかも彼女は、その正体を以前から察していた。
彼もまた、30年間ずっと彼女を愛していたのだ(!!)。
二人は結ばれ、めでたしめでたし。

……以上、客観的に列挙してみると、彼ら二人の言動は、一途を越して恐ろしい。

せめてもう少し、常識的な範囲内の期間に
収めてもらいたいと願うのは、私だけではないだろう。
「幼なじみが大人になって再会」ネタなら、10〜15年程度で充分だ。

あと、好きな食べ物が30年も全く変わらないってのも、やや乱暴な論だと思う。
例えば小学校時代の私は今と逆、かなり甘党で偏食だったしなあ……。



事件194『過去を呼ぶ傷跡』(第64巻)



『初恋の傷跡』の続き。
松本警視が20年前から連綿と探し続けている、殺人事件の犯人を追う高木たち。

その場合、コナンの捜査は一段と暴走するのが常。
今回も死体の手首を平然とつかみ上げるなど、
大人がいるなら誰か止めろと言いたくなる所業の連発。

高木&佐藤の恋愛バカも加速中。
特に高木、二言目には温泉温泉さわいでる姿に泣けてくる。
せめてもう少し、
遺族の気持ちを考えようよ

実際問題、真犯人が罪を犯したのは、
警察が本当の意味で信用されてなかった故でもあるのだ。
本来なら、もっと真剣に描かれるべきテーマなのにな……。

終盤、真犯人と果敢に戦った高木は、その報いを受ける。
青山作品では禁断の行為と言える、男女のキスシーンに至る。

これで高木と佐藤の関係はひとまず完結……と思われたが、
まだ連載が続く以上、エピソードは終わらないのである。



事件195『怪盗キッドVS最強金庫』(第64・65巻)



この話をもって、コナンとキッドの馴れ合いは、完全に致命的なレベルに達した。

最早キッドは、プロフェッショナルの泥棒と呼べない。
自らに何も利が無いにもかかわらず、のこのこ敵地にやって来て、用が済んだらすぐ帰る。
これでは、ただの便利屋に成り下がってしまっている。
お人好し極まりない。

もっと情けないのが、コナンの方。
そんなキッドの自由行動を目の当たりにしていながら、何もしないで逃がしてしまう。
どころか、人払いの手助けをしてやる上、「手伝おうか?」とまで言う始末。
他の作品の探偵役なら、キッドの仕事が終わった瞬間に捕縛とかするだろ普通。

犬の命が懸かっている緊急事態なのは、確かに考慮すべきだが、
だったらそれこそ次郎吉は、まず堂々と、「手を貸してくれ」と
キッドに頭を下げるのが筋だと私は思う。

こういう弛緩した話を描くのなら、怪盗の方が主人公の作品でやってほしい……って、
結局、前の『怪盗キッドの瞬間移動魔術』と同じ感想になっちゃいましたね。
すみません。



事件196『探偵団VS強盗団』(第65巻)



ジョディの能力が順調に劣化していく。

かつて、敵か味方か謎の女として、魅せてくれた存在感はどこへやら。
なぜか彼女は赤井に過剰に執心。
付き合ってた設定を後付けされた上、今までの活躍も全部赤井のおかげのような扱いに。

ところで、今回の事件のポイントは、
右頬に火傷した姿で現れた赤井(以下「火傷赤井」)の登場だろう。

とは言っても、この火傷赤井の正体を論理的に推理するのは不可能だ。
今後の事件でも、具体的な手がかりが何一つ出てこないのだから。
こちら読者は、作者の振りかざす謎を前にして途方に暮れるしかない。
連載当時、真剣に読んでた私の熱意を返してほしいとさえ思う。

それでも、誰でも容易に想像できる正体が一つある。
無論、ベルモットなどによる変装かもしれないという回答だ。

しかし、読者がそう当然として思いつく可能性を、なぜかジョディは気づかない。
それどころか、「言葉と記憶を失ってしまった」と、
何とも(火傷赤井にとって)都合のよい脳内補完をやる始末。
おかげで火傷赤井、喋る必要も演技する必要もない。
読者に伏線を示す必要もない。こりゃ楽だ。

因みに私、この場面を見た連載当時は「これって声優のギャラ節約のため?」
とまで勘ぐってしまったほどである。

けれど、まだこの時点でのジョディは、変であっても救いがあった。
少年探偵団を護ろうと懸命だった。
彼女が更に堕ちていくのは、もう少し先なのだ。



事件197『危険な二人連れ』(第65巻)



2週完結のショートストーリー。

構造だけは、『江戸川コナン誘拐事件』に近いと言えるだろう。
怪しい言動をしている謎の人物たちは、実は味方だったという答え。

相違点にして問題点は、謎の人物たちの動機がサッパリ意味不明だという事。
『殺人犯、工藤新一』と同じミスが繰り返されているのだ。

そもそも、灰原が警察に通報できない身分だという事を、大和と上原は知らないはずだ。
なのに、どうぞ悪人だと思って下さいと言わんばかりの、
あの怪しさフルスロットルぶりは不自然すぎる。

実はコレ、
コナンと大和が裏でつるんで、
意図的に灰原を怖がらせようとした

というのが真相じゃないかとさえ私は思う。

そうでもなければ、例えば拳銃を携帯せずに車中に置いてるなんて無責任の極みだ。

これでもしも、灰原がごく普通の一般人で、大和たちを悪人だと言って
手近な交番に駆け込んだら、どんな大騒ぎになった事やら。
むしろそういう展開見てみたかった気もする。

最後の「半殺し」云々のやり取りに至っては、
ああ、こういう民話あったよね……と、乾いた笑いが浮かぶレベル。
『コナン』を読める年齢の読者なら、とっくに知ってる話じゃないか?
リアル子供に割れるネタっていうは、いくら何でも悲しいぞ。



事件198『死亡の館、赤い壁』(第65・66巻)



殺人事件そのもののモチーフやトリックは悪くない。
登場人物の名前をはじめ、「色」について強調し続けるミスリーディング。
その真相を見破るきっかけが「補色」という逆手だったという点も小気味いい。

大きな問題点は、やはりまたまた加わった新キャラ・諸伏高明。
改めて読み返した今、ハッキリ言わせていただこう。

私の記憶に残ってないんだよこの人。

作者はただもう、「ショカツのコウメイ」という一発ギャグかましたかっただけとしか思えない。
(後は赤い壁→連載当時上映中の映画『レッドクリフ』か)
三国志マニア?だから二言目には故事成語をつかう、
というキャラ立ての設定からしてどうも不自然。
しかも、孔子の台詞をつかってる場面まであるし。
これなら故事成語マニアと呼ぶべきでは?

実は大和と色々深い因縁があるようだが。
その因縁とやらはことごとく、部外者である上原が、
少ないコマに押しこめられた説明台詞で済ませるだけ。
これで感情移入しろという方が無茶だ。

かつて『1200万人の人質』に登場した、松田と萩原のコンビが話題になった時期があった。
彼らが人気を得たのは、ひとえにアニメ版で、
彼らの具体的な回想シーンが追加されたからこそだと私は思う。
原作だと萩原、顔すら出ていないのだから。

説得力のある人間関係を、読みたいです



事件199『白鳥警部、桜の思い出』(第66巻)



白鳥のキャラ崩壊にして、終焉への序曲。

「実は幼なじみにずっと恋していました病」が、
とうとう白鳥にまで発症した。
阿笠&フサエ、大和&上原、
『初恋の傷跡』のゲストキャラ達に続いて4例目である。

彼がずっと佐藤に惚れ抜いて、
それで高木にパワハラまでしていたのは、
今に思えば何だったのか。

彼もまた、小学校から(!)の思いを引きずって成人に至り、
しかも最終的にはアッサリ相手を乗り換えた。
これでは、初恋の相手が好きというより、
「初恋の相手に惚れている自分」が好きなだけのようだ。

もしかしたら、この作品の登場人物たちの世界は全員、
小学校時代で既に閉じてしまっているのかもしれない。
ゼロから組み上げられた人間関係は、存在しないのかもしれない。
そうだとしたら……ある種のホラーだ。

それから。今回の事件トリックの根本的問題を。
映画館で「かなりでかい」(by元太)と感じるほどの地震が起こったのなら、
普通なら上映中断されるんじゃないか?
トリックどころの話じゃなくなるのでは?



事件200『もののけ倉でお宝バトル』(第66巻)



『奇抜な屋敷の大冒険』『怪盗キッドVS最強金庫』と続いて3回目、三水吉右衛門のカラクリ。
同じ倉で、外から見た時と、内から見た時と、その様子が食い違うという着想は興味深い。
ただしメイントリックである
「吊り天井」は、ある有名な漫画で実は既出だったりするのだが。

私が問題視したいのは、メインキャラ二人の激しい凋落である。

一人は灰原。
何故か終始、不機嫌極まりない顔で描かれている彼女。
特に序盤、小林に想いを寄せる白鳥を陰から詰る姿は、見苦しい事この上ない。
しかもどの口が言うか、この罵倒。

「イラつくのよね。自分の気持ちをなかなか伝えず女を振り回すラブコメ野郎」

ならば灰原よ、自分の秘密をFBIにも伝えず周りを振り回してるあなたは何なんですか一体。

そして、いま一人は平次だ。
彼は人として、特に探偵として、決してやってはならない事をした。
それは、
自分の保身のためだけに嘘をついた事だ。

それも、計画的にコナンに頭を下げさせて撮った写真、即ち捏造した証拠品を用いて、
第三者である子供たちを騙すという行為は、私には悪質にしか感じられない。
こんな行為をして、友人をも見下すような人に、
他人様の人生に対して説教する資格は無いと私は思う。

この事件を境に、私の中の平次は“死んだ”。
『外交官殺人事件』で、『どっちの推理ショー』で、『服部平次との三日間』で、
勝負よりも事件解決を選んだ彼は、もう二度と見られない。
そのじつ彼は、組織に対しても、この「バーボン編」では全く関わらないのだ。



事件201『恥ずかしいお守りの行方』(第66巻)



『もののけ倉でお宝バトル』の続き。
和葉を想う、恋愛のライバル登場――と思わせて、
結局自己完結で終わってしまう、そのライバルがいっそ哀れ。
やはりこの世界の人間関係は全員、幼い時分で閉じてしまっているのだ。

事件構造は、『迷宮のフーリガン』と極めて似ている。
そのスポーツについて、ファンなら当然知っているだろう事を
知らないから怪しい、イコール犯人という論理。

ときに、この事件で個人的に怖いと思う事。

「お守りを開けて中を見る」という行為が当たり前であるかのように
描かれている事だ。

かつて『浪花の連続殺人事件』で、コナンが中を開けた時は、緊急事態だったから流したが。
本来なら、確実に罰当たりの非常識。

誰でもいいから作中で、「本当は開けちゃダメなんだけど」という
フォローくらい入れて欲しかった。
年少者が読む作品だという事を、どうか創り手は念頭に置いてほしい。

もっとも、元から平次と和葉の言動は、常識からやや逸脱している場合が多い。
男は男で、女子更衣室に入って、鞄のお守りを無断で持ち去り。
女は女で、男子トイレに入って、個室の上から覗きこんで話しかけ。
正直、どっちも処置なしだ。

ところで、鎖に付いてた指紋の件、思わせぶりに少しだけ描かれたが、
後にまた伏線として生かされる事は結局なかった。
期待した私が、愚かだったのだろうか……。



事件202『黒きドレスのアリバイ』(第66・67巻)



突如トートツに、蘭と園子(ひいては作者)を通り過ぎるロリータファッションブーム
このブームも例によって一度きりであり、再来はない。

純粋にミステリとしては、分かりやすい作りである。

事件構造は、『バスルーム密室事件』と、『封印された目暮の秘密』を合わせた形。

自分と似た行動を取りたがる相手を殺そうとする犯人。
流行のファッションから感じ取られる違和感。

今まで『コナン』を読み慣れている読者なら、
犯人が被害者に変装しているのだろう事は、
容易に想像できるはず。

しかし、その最初の推理を覆させられる出来事が散りばめられているので、
決して単純な事件でもないという点は評価したい。



事件203『危機呼ぶ赤い前兆』(第67巻)



1話完結のショートストーリー。

事件構造は、『因縁と友情の試写会』に酷似している。
いっそ
焼き直しと言いたくなるくらい似ている。

突然現れたゲストキャラが、初対面の小学生グループに、
やたら口数多く話しかけ、自分の身の上や身の回りについて
語りまくって去って行ったら、
少なくとも何か事情があるだろう事は、多くの人が想像できるだろう。

前回は殺人に見せかけた自殺だったのが、
今回は事故に見せかけた自殺だったというのが大きな違い。
最終的に命が救われるという流れは同一だ。

そして事件は唐突に終わり、次の事件が唐突に始まる。

ところで最後の場面、歩美の言葉にコナンが「何だと!?」と驚いてるのは何故なのか。
そもそもコナンは、赤井が生きてると知っているのか、それとも死んでると思ってるのか。
その答えは何年たっても、サッパリ明らかにされないまま、現在に至るのである。



事件204『黒き13の暗示』(第67巻)



誰も彼も何だかオカシイ。

得体の知れないお金で食事する蘭の金銭感覚がオカシイ。
そんな娘に家計管理させてる父親の小五郎がオカシイ。

それにジョディがオカシイ。
赤井が生きてるとヒステリックに騒ぐ。
「奴らの罠」と冷静に考えるキャメルを遮る。
「(赤井の)記憶が戻っているとみて間違いない」という発言には具体的な根拠ナシ。

組織の連中もオカシイ。
今更になってキールを疑うジンがオカシイ。
狙撃する様を通行人に見られてるキャンティがオカシイ。

FBIと組織の双方に混乱をもたらしてる火傷赤井に至っては、
オカシイを通り越して意味不明。
万が一、キャンティに撃たれてりゃ、逆に面白かったかもしれない。

そして純粋にミステリとしてもオカシイ。
暗号というのは、送信者と受信者の間だけで成り立つから暗号なのだ。
私のような部外者ですら、Wikipediaの拾い読みで解けるのは暗号とは言えない。
サンデー連載当時、何となく調べたら解けちゃった、あの物悲しさは忘れられない。

何だってこんなに全部オカシイのか。
よく調べたら、
原作連載第700話の記念回だったようだが。
それでこの内容というのは…………はあ。



事件205『小林先生の恋』(67・68巻)



人間の五感という物は意外に当てにならない、というテーマは純粋に興味深い。
ヒトは必ず勘違いする生き物だ。

犯人確保のどんでん返しも面白かった。
ただ、小林に変装している佐藤本人が小林を、「どっかで見た顔」呼ばわりしてるのは、
正直なところ意味が分からないのだが。

そんな事件の傍らで、白鳥と小林のカップルが完全成立。

この後の『コナン』では、
こうして
唐突にカップル成立→フェードアウトの形を
取る脇役が増えていく。

以下、引っかかってる点。

・小林の方の心理描写がほとんど無い事。
・白鳥以上に、「佐藤の外見してれば誰でもいい」と
言わんばかりの捜査一課刑事たち。
・「好きな人にずーっと正体を隠し続けてる大嘘つき」
などとのたまう灰原。



事件206『最悪の誕生日』(第68巻)



ミステリとして語れる部分は少ない。
衝動的に殺人を犯したはずの犯人が凝ったトリックを
弄するのは横に置くとしても、
何故に不可能殺人にまで仕立て上げる必要があるのか。
実際問題、鑑識が本気出したらその瞬間に終わっただろこの事件。

個人的に引っかかるのは寧ろ、
「小五郎が英理の誕生日を間違えて覚えていた」という恐るべき事実だ。

確かに、似たような例は現実にも見受けられる。
例えば、私の或る知人は日頃、「私の誕生日は春分の日です」と説明している。
春分の日というのは、皆様ご承知の通り、年によって日付が変わる。
だから私はちゃんと、「3/21」という具体的な日付で記憶している。
知人レベルでも、これくらい覚えておくのが礼儀という物だろう。

にも関わらず、別居だの何だの言っても、

サプライズプレゼントで騒ぎが起こるほどの
恋愛を10年もやってる男が、
その相手である女の誕生日を把握できていない

というのは不自然すぎるんじゃなかろうか。
付き合って数日の子供が、うっかり勘違いしたとかならまだしも。

そして、率直に感じた事は、小五郎の言動が単純に不愉快。
目つきからして、何故にこうも悪く描かなきゃならなかったんだろう。
「落として上げなきゃ盛り上がらねーよ」と本人はのたまってるが、
落としに落として妻――ひいては読者――に拒絶されたら、元も子もないと思うんだが……。



事件207『闇に消えた麒麟の角』(第68巻)



なかなか文章がまとまらない。

「怪盗キッド・中森警部・宝石・鈴木次郎吉・三水吉右衛門・マスコミ」

ここまで変わり映えしないモチーフが揃っていたら、
新たに書く感想が浮かばないのも当然だ。
どうせコナンもキッドも、馴れ合いの極みで決着つけようとしないんだし。

強いて、この話の新味と言えば、
コナンがほぼ全編に渡って気絶している事だろう。
マンネリを覆そうとテコ入れしようとした努力の結果だ。

だがその一点を押し進めた代わりに、犠牲となったのがキッドと灰原。

まず、キッドは本来、人を傷つける事を認めないキャラクターだったはずだ。
なのに、いきなりコナンにスタンガン攻撃。
場合によっては死に至る。他の手段じゃダメだったの?

また、灰原は本来、コナン以上に人前で目立つ行動をしたがらない
キャラクターだったはずだ。
なのに、コナンの代わりに小学生トリオを率いて探偵活動。
コナンのようにマスコミに取り上げられてもいいの?

しかも結局、そうやって暴力をふるったり目立とうとしたりする事への
具体的な動機づけも描写されない。

キャラクターが何故変化したのかが描かれないのでは、
違和感だけが残ってしまう。

最後に、トリックについて。
もしも中森の部下たちに、年若い者が混じっていたら、その時点で全部破綻しますね。



事件208『猿と熊手のトリ物帖』(第68巻)



私がサンデー購読を止めようと、本気で考え始めた事件がコレだった。
とうとうこの作品はトリックのネタが尽きたんだ、と実感してしまったのだ。

この事件でもフーダニットは容易だ。
誰が犯人かは、登場としたと同時に分かってしまう。

そして、そのフーダニットの発端となるメッセージの出し方が尋常じゃない。
被害者が文学部だから、という理由付けはまだ許そう。

生きるか死ぬか、もうろうとした意識で、
指9本を立てて見せるなんて器用すぎ。


「酉の市」ごとの、引ったくり犯の入れ替わりの理屈は興味深いが、
そんな長所が遠く吹っ飛ぶ不自然さだ。


そんな事件の一方で、蘭の言動も気にかかる。
新一に嫌われたくないからとおみくじを気にして
カツアゲに手を挙げないのはともかく、引ったくり犯をも見逃すのは如何なものか。

それでいて終盤、何故か悠長におみくじを読み上げる真犯人
(しかもこの時ナイフ逸らしてる)に対し、電柱にめり込むほど蹴りを入れる蘭が本当に怖い。

前にも述べたが、ギャグ要素の強い初期の頃ならまだしも、今の世界観では、やり過ぎだ。
武道家が他人を傷つけたら傷害罪になるという事を、作者は思い出した方がいいだろう。



事件209『河童が見た夢』(第69巻)



共に事件を追うのは、何故か警部に昇進してる山村。
すっかり小五郎にこき使われる部下ポジションに収まっている。
大丈夫なのかこの世界の群馬県警。

純粋にミステリとして、手ごたえは悪くない。
「1リットル弱の水を隠して持ち運ぶ方法」という命題は興味深い。

ただ、少々気になるところとしては、小学生が用いる絵具は水彩用のはず。
あのような用途にはあらゆる意味で向いてない。
身体にも毒だと思うがどうか。

そして、事件とは直接関係ないが、個人的に強く抱いた違和感。
蘭が携帯電話を川辺に放り捨てたシーン。
いくら、人が落ちたから慌てたと言っても、
電子機器の類を投げ捨てるというのは常識的に考えにくい。
まして、あの電話機は新一からの大切なプレゼントだったはずだ。
(『よみがえる死の伝言』参照)

「蘭が落し物をする→怪事件を目撃する」というシークエンスへの方便のは分かるが、
やはり不自然に見えて仕方ない。
せめて例えば、「ストラップを落とす」……は、『鳥取蜘蛛屋敷の怪』で使用済みだから、
「思わずその場に置いてしまった」など、別の展開にしてほしかったと思う。



事件210『湯煙密室のシナリオ』(第69巻)



温泉を舞台とした殺人事件。
事件を追うのは横溝重悟と、それから少年探偵団。

この事件は、目を通すだけでも苦痛を伴う。
そもそもこの事件、漫画の中でも子供の裸を描くなという例の法案への、
アンチテーゼとして描かれたのだろう。
が、この作品世界の子供たちが全員、大人のような欲情を持ってしまっているため、
逆に猛烈に淫らに感じて仕方ない。

そして、読んで不快になる点がもう一つ。
特に少年誌におけるミステリでは、幾つか禁忌(タブー)があると私は思う。

例えばそれは、犯罪者を礼賛する事、命を軽んじる事、
暴力的な復讐を肯定する事

エピローグで灰原がコナンにした行為は、そういった復讐行為以外の何物でもない。
まして彼女は、人体を知り抜いている、薬学の専門家のはずだ。
わざわざ男子更衣室に潜って、下着の内側に細工するなんて。
やり口が陰湿すぎる。

コナンに傷つけられたと言うのなら、きちんと言葉でやり取りしてほしかった。
せめて、(唐辛子でなく)インクなど、害のない物を使ってほしかった。

この事件で、私の中の灰原は、完全にトドメを差された。死んだ。
実際、灰原もまた、この「バーボン編」では完全に蚊帳の外に出されてしまうのだ。



事件211『裏切りのホワイトデー』(第69巻)



『バレンタインの真実』の続編にあたる。

バレンタインデーの時は、新一&蘭、京極&園子の二組でとどまっていた恋愛事情。
この度のホワイトデーでは、新一&蘭、京極&園子、
小五郎&英理、高木&佐藤、白鳥&小林、目暮&みどりの六組に拡大。
誰も彼も
中学生レベルの恋愛病に侵されている。

特に、みどりの株は大幅に下落した。
お菓子をもらえないからと家で一人で飲んだくれるのは、警官の妻の態度ではないだろう。
終盤、蘭がわざわざコナンの目の前で露骨に涙を見せたのも、個人的には幼稚に感じた。
連載初期の頃は、泣き顔ももっと凛としていたと思うんだが。

純粋にミステリとして考えた場合、その論理はますます作為的かつ不自然さを増している。

「とても酸っぱいチョコレートの売れ行きが良い」
という設定にも驚くが、
「精神的な理由で酸っぱい物を一切食べられない菓子職人」
という被害者がまず現実的に考えにくい。

だが、事件解決時、被害者の事情が描かれると途端、印象が違ってくる。
犯人の告発を聞く限り、被害者には非はなかった。
被害者は、友人の体調を慮ったものの死なれてしまい、
ずっと罪悪感に苦しめられていたのだ。
なのに殺されてしまった理不尽さが、ひどく哀れだ。



事件212『日記が奏でる秘密』(第69・70巻)



純粋にミステリとして、久方ぶりのスマッシュヒット。
時系列シャッフルにより、冒頭の興奮度は最高潮である。

事の発端は例の通り、少年探偵団の外出時でのビートル故障。(8回目)
以後の流れは、『青の古城探索事件』を思い出させる。
ただし、コナンをはじめ、誰も大きなピンチに陥らないため、緊張感は若干下がる。
「自分自身が行方不明になった事に怯える」というネタからは、
どことなく落語を連想した。

事件のキーは、コナンが見つけた手帳である。

「ページの入れ替え」というトリックは、
文章では説明しづらく、こうした漫画でこそ相応しい。
事件を知った当初、死体を見せまいと子供を離れさせた、コナンと灰原も素晴らしい。

最終的に命が救われ、ゲストキャラ全員が幸せになった事には、
素直に拍手を送りたい。
終盤、コナンのボールで、壁は壊れずドアは壊れるというのはご都合主義だが、
これくらいなら、ご愛敬で流すべきだろう。



事件213『コナンキッドの龍馬お宝攻防戦』(第70巻)



だから『まじっく(略)

「怪盗キッド・中森警部・宝石・鈴木次郎吉・マスコミ」のルーティンワーク。

サンデー連載当時、大河ドラマの「龍馬伝」が流行っていたからという安易な発端。

キッドはまたも何の利も無く現場に現れ、悪徳業者を告発して悠然と去って行く。
キッドの母親も泥棒だったという、トンデモナイ後付け設定が加わったというオマケ付きで。

警察がやるのは、形ばかりの警備だけ。
逃して悔しがる素振りもない。
キッドが展示室を水浸しにした所業にも誰も触れない。
(二度と本来の目的には使えないだろうあの部屋は)

コナンに至っては、「龍馬に免じて許す」などと意味不明の供述をする始末。
(『連続二大殺人事件』での有希子のエピソードに触れられたのは、この話の貴重な長所)


泥棒の泥棒による泥棒のための探偵漫画に、
存在価値は果たしてあるのか。



事件214『被害者はクドウシンイチ』(第70巻)



この事件ではまたしても、ミステリのタイトル含めたネタバレがされてしまっている。
『炎の中に赤い馬』『黒の組織の影』に続き、これで三度目である。

作者がこうも簡単に、他人様の作品の核心を明かしまくる理由が
私にはサッパリ分からない。

第二の藤原宰太郎でも目指しているのか青山は。
少なくとも私としては、あのような言動を取るコナンを、
ホームズ好きとは認めたくない、です。
(因みにこの場面を境にサンデー買うのを止めた私)

純粋にミステリとして、特筆すべき点はほぼ無い。
次の事件へつなげるための布石に過ぎない。
被害者の名前が、新一と(字違いの)同姓同名である理由も持ち越しとなる。

というのは、コナンと平次が現場に着いた時点で、
既に被害者は物言えぬ死体であり、
同時に犯人(にあたる人物)も特定、捕縛されてしまうためだ。
人間関係のドラマは一切描かれない。

密室殺人のトリックも、探偵たちの得々とした語りを除いた本質は、
単に彼ら自身が現場の死角を見落としただけ。
ただ、見落としたその原因が、
被害者の命を救おうとしたからだという事は、擁護しておきたい。



事件215『犬伏城 炎の魔犬』(第70巻)



『被害者はクドウシンイチ』の続き。

平次といえば、因習にとらわれた地方の事件がお約束。
『鳥取蜘蛛屋敷の怪』『そして人魚はいなくなった』などなど。

が、今まではあくまでも伝説がほのめかされる程度で留まっていたのが、
今回は「炎の魔犬」が実際に、客観的に描写される。
現代科学の駆使された、魔犬の迫力はまさに必見である。


ただ、そういったトリックに重きを置く代わりに、ゲストキャラの扱いは薄い。

8人の養子が次々と殺されるという怖ろしげな展開のはずなのに、
物語の開始時点で、既に3人が死亡。
4人目も最初から死体で登場してしまうので、実際に出てくるのは半分の4人。

なので、彼らの名前の秘密が明かされても、
ああそうなんですかと、あっさり流してしまいそうになる。

養子の中に偽者が混じっているという情報も、
結局は犯人のミスリーディングでしかなかったという肩すかし。

個人的には、もう何週かの掘り下げ描写が欲しかったのが惜しいところだ。



事件216『初恋のビデオレター』(第71巻)



「実は幼なじみにずっと恋していました病」に千葉も感染した。
阿笠&フサエ、白鳥&小林、大和&上原、
『初恋の傷跡』のゲストキャラ達に続いて5例目である。

因みに千葉の場合は、初恋からのスパンは13年。出会いはやっぱり小学生時代。
『イチョウ色の初恋』での阿笠の40年に比べれば短いからまだマシか、
と考える私は多分思考が麻痺してる。

話の構造は『イチョウ〜』と酷似。なので、ツッコミ所もまた同じ。

どうして何だって何故に、この作品世界の男女は、
面と向かって正直に率直に自分の気持ちを伝えようとしないんだろう。
好かれているのか確かめもしないないまま、フラれたと公言してる男性って何なんだろう。
まともに顔も見せずに、自分の事を忘れてると思いこむ女性って何なんだろう。

と考えてしまう私は、もう、この作品自体と肌が合わなくなってきているのかもしれない。

最後に、千葉が言っていた名台詞を。

「一度、自分を甘やかしてルールを破ると癖になっちゃうんだぞ!!」

この言葉は、痛く突き刺さる。
『コナン』の、特に次の事件に。



事件217『ロンドンの黙示録』(第71・72巻)



一続きの事件で10週に渡る最長の事件であると共に、
『名探偵コナン』の基本構造が完全崩壊した事件である

「ミステリとして」壊れている事件は多かった。
「少年漫画として」壊れている事件も増えていた。
だがそれでも、江戸川コナンという人間の骨子は残されていた。

「自分の姿というアイデンティティを失った悲哀を背負っている」
「工藤新一に戻る際には激しい苦痛を伴い、死ぬ危険性もある」
「毛利蘭とは10年来の付き合いであり、現在は衣食住を共にしている」
「少しでも生きている痕跡を残せば、組織に身内もろとも皆殺しにされる」

これらの設定が、今回の事件に限って、まるきり影も形も無くしてしまっている。
『見えない悪魔に負けず嫌い』の展開を、
ロンドンで焼き直しするという目的ただ一つのために。

この事件を経た後では、『命がけの復活』の学園祭すらも、
馬鹿馬鹿しい茶番になってしまいかねない。
この作品からはもう、シリアス要素は失せてしまった。

そして終盤、恋愛を主題にしている作品としては、あまりにも中途半端な告白劇。
かくて、新一と蘭は、小五郎と英理と同じような関係になってしまった。
彼らの仲は、連載が終わるまで、何一つ変化しないだろう。
進みもせず破れもせずに、「カップル」という記号だけの関係が、半永久的に続くのだ。


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参考文献としての批判スレ


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