Missing Link (Case 1)

「……え?」

暗い病室の中、江戸川コナンはベッドから半身を起こした姿勢で固まっていた。

「は、灰原、お前いま何て」

「アラ、聞こえなかったの?」

と、灰原哀はコナンに右手指を突きつけたまま、台詞を繰り返した。

「あなたが本来の高校生・工藤新一として、彼女の前に現れる。そう言ったのよ」

「何を言うかと思えば」

と、コナンは冷笑して目を逸らした。
愛すべき幼なじみの心を救う選択肢。正体を隠し続けるか、それとも全てを打ち明けるか。
そう思い患っていたところに示された「第三の選択」は、あまりにも突飛すぎた。

「ソレが出来ねーから悩んでるんじゃねーかよ。白乾児(パイカル)の免疫も
付いちまってる以上、いまさら元に戻る方法なんか、ある、わけ……」

自分で言っている内に、その可能性に思い当たる。視線を哀に向けて、

「そ、それじゃまさか」

「ええ」

哀の服のポケットからつまみ出される、糖衣カプセル。

「コレ、白乾児の成分を参考にして調合した、APTX(アポトキシン)4869の解毒剤の試作品」

「……」

「死ぬかもしれないけど、試してみる?」

至極あっさりと言ってのける。
コナンは、哀の手元を見つめた。
高校生探偵として活躍していた自分の、更には哀の姿を変えた忌まわしい毒薬。
ソレから解放される方法が今、すぐそばにある。
コナンはカプセルに指を伸ばし――しかし、触れる寸前で腕を下ろした。

「やっぱりダメだ。飲めねーよ」

「そう」

と、哀は薬を仕舞って、

「別に恥じる事はないわ。こんな得体の知れない物、躊躇なく飲める方がおかしいもの」

「イヤ、そういうわけじゃない」

「え?」

「その薬がダメなわけじゃない。オレだって元の姿に戻れるなら戻りたい。でも」

と、コナンは悲壮な表情で、

「オレが『工藤新一』に戻ったら、『江戸川コナン』の方はどうなるんだ?」

「……」

「ただ元の姿で蘭の前に現れるだけじゃ意味はない。同じ時間・同じ場所に二人のオレが
一緒にいる、コレが最低条件なんだ。でも、無茶だよな。そんなの」

「……」

「ああもう、いっそオレのロボットかクローンでもあれば――」

「大丈夫よ」

「へ?」

「そういう点なら抜かりはないわ。博士も助っ人を呼んでくれたらしいし」

「助っ人?」

「それじゃ、日曜の朝また来るわ。最後の回診が終わり次第、裏口に来て」

「は?」

「詳しい話はその時。それまであなたは、せいぜい体を休めてなさい。
少なくとも、自由に飛んだり跳ねたり出来るくらいには回復しといて」

「って、オイ灰原、何なんだよソレ」

と聞き咎めるコナンを無視して、哀は病室から去った。
独り残されたコナンは、哀が置いていった見舞いの花を手に取って、呟いた。

「……造花でやんの」



* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *



決戦前夜。一人の人物が、成田から阿笠博士の家に到着した。

「こんちはー」

「おお、いらっしゃい。早かったな」

「そりゃもう、連絡くれればLAからだろうか月からだろうが飛んで来るわよ」

陽気に豪快な事を言う。

「それで私に用がある人――哀ちゃんだっけ? ドコに居るの?」

「ああ、彼女ならこっちに」

「何か用?」

阿笠が言うより早く、哀本人が隣室から入って来た。
その瞬間、来客は大きく顔色を変えた。

「こ、この子……」

「あ――」

と、気づいた哀が挨拶しようとする前に、

「かわいー!」

黄色い声とはこういう物を言うのだろう。感嘆符にハートマークまでくっつけて、
来客は哀を力一杯抱きしめた。

「え、あの、ちょっと、あの」

流石の哀も戸惑っているが、来客はそんな事など全く構わず、

「博士、この子ドコの子? 凄く可愛いじゃないの。ところで哀ちゃんは?」

「イヤ、だからその。彼女が、その哀くんなんだが」

「へっ?」

と、来客は哀をしげしげと見て、

「そっか。新ちゃんと同じで子供なんだっけ。忘れてた」

「……放してくれません?」

「あ、ハイ」

素直に従う。

「じゃ、改めて。まずは自己紹介させてもらうわね」

と、来客は哀と目線を合わせて頭を下げた。

「工藤有希子です。いつも新一が 息子がお世話になってます」

「私は、哀。灰原哀よ」





「やっぱりね」

哀の話を聞き終えて、向かい合わせに座る有希子は大きく頷いた。

「驚かないんですか?」

「まぁね」

哀の言葉に、有希子は片目をつぶって、

「いつかはこんな事になるんじゃないかって思ってたの。ずっと気になってたのよ。
前の時に見た、あの蘭ちゃんの笑顔。
きっとあの子あの頃から、『ひょっとして』なんて思ってたんでしょうね」

「いえ、ソレもそうなんですけど。その」

「ん?」

「私に、ついての事とか」

「ああ……、あなたが新ちゃんを狙ってる組織にいた人で、新ちゃんを小さくした薬を作った人で、
そんでもって、あなたもその薬を飲んで小さくなって、組織から逃げてるって事?」

「は、ハイ」

「ソレがどうかした?」

「どうか、って……」

こちらに尋ねられても困る。
有希子は腕を組んで、

「だって、あなたの今までの人生をとやかく言う権利や資格なんて、私には無いもの。
何か言って欲しいなら別だけど。それに」

哀を真正面から凝視して、

「確かに、あなたも相当の修羅場をくぐってきてるみたいね。でもその人生については、
決して後悔してない。自分なりに誇りをもって生きてきた。そうでしょ?」

吸いこまれそうになる瞳を向けられて、哀は半ば俯くように下を向いた。

「だったらいいじゃない。それで」

……それでいい……?

哀が顔を上げると、有希子はまだこちらを見ていた。真剣な眼差しで、

「それにしても、あなた」

「?」

「ホントに可愛いわね」

哀はソファから転がり落ちた。

「やっぱり女の子っていいわよね。髪型とか服装とかで遊べるし。
ねぇ、良かったら今度ウチ来ない? 歓迎するわよ」

「あ、あの」

何とか席に座り直して、

「今はそんな話してる場合じゃないと思うんですけど」

「ああそうね。今が抜き差しならない事態だって事は確かだし。
とにかく早いトコ蘭ちゃんをスッキリさせてあげないと。
まぁ大筋は、さっきあなたが出した案でいいとして」

という有希子の言葉を、電子音が遮った。ダンスミュージック系の流行りの音楽。

「あ、ゴメンなさい。ちょっと待ってて」

有希子の携帯電話の音だった。

「もしもし? ――あ、あなた? ――うん、もう着いてる。
――ダメよ、原稿遅れてるんでしょ? ココは私に任せて仕事してなさい。
――大丈夫、今日の最終便で帰るから。――そうそう、そうなの。とってもいい子。
新ちゃんとは大違い。 ホントよ、嘘じゃないってば。会わせたいくらいよ。
――あ、そう言えば優作さん、あなたも前の時……」

……本当に事態を分かってるのかしら、この人……。
どうにも不安になってきた哀だった。


* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


「嘘だろ……?」

日曜の朝、周りの目を盗んで病院を抜け出したコナンは、
阿笠のワーゲンから降りて来た哀に愕然と呟いた。

「現実を認めたら?」

と、哀は無愛想に言い返す。
だがコナンの驚きは、ある意味当然だった。
今コナンの前に立っているのは、少なくとも哀ではなかった。
黒縁眼鏡を顔に乗せ、蝶ネクタイを締めた少年。
目付きこそ幾らか違っていても、後は紛れもなく「江戸川コナン」の様相だった。
充分に合格点である。

「知らなかったよ。いつから怪盗になったんだ、お前?」

「どういう意味よ、ソレ」

「ワシも驚いたよ」

と、阿笠が会話に割って入った。

「背丈が同じくらいだから何とかなると有希子さんは言ってたが、
これほど上手くいくとはな。コーチ役としては適任だったよ」

「はぁ」

返す言葉が出てこない。元女優の発想には絶句する。しかし。

「でもコレって、一言でも喋ったらアウトだぜ? 変声機でも使わねーと」

「それなら大丈夫だ」

と、阿笠は自慢気に胸を反らした。風邪用のマスクを取り出して、

「コレの中には、その変声機を付けてある。コレさえ付ければ声の問題はなくなる」

「なるほど」

「理解した?」

「まぁな」

ただ、それでも問題がある。極めて重大な問題が。

「お前、オレの演技なんか出来るのか?」

「……」

「なぁ、どうなんだよ」

暫しの無言の後、哀は小さな声で答えた。

「前向きに善処するわ」

「……」

黙りこむコナンを余所に、哀は阿笠からマスクを受け取った。

「じゃ、あなたは博士と一緒に家に帰って。
私は病院に戻るわ。『あなた』が居ないのはマズいものね」

そう言って、彼女は再びカプセルを取り出した。

「後はあなた次第よ、工藤くん」

覚悟はいい?
言外に含まれている、剣呑な質問。

「最初に言ったけど、この解毒剤はあくまでも試作品。完璧に戻れる保証はないわ。
少なくとも有効時間が短い事だけは確かだから。飲むのはギリギリまで我慢して」

「ああ」

分かった、と言葉を返しつつ、コナンは薬を手に取った。

「あ、そうそう」

と、哀は肩を竦めて付け加えた。

「失敗しても、恨まないでよ?」



* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *



阿笠は、壁の時計を見た。そろそろ行動開始の時刻である。

「準備はいいかね?」

「ああ」

右手にはカプセル、左手には水の注がれたグラス。
両手の物を確認して、コナンは大きく頷いた。
無論、服も既に着替えてある。クリーニング済みの、紺ブレザーの制服に。
袖も裾も布が異様に余っているが、それも少しの辛抱だ。

「じゃ、行くぜ」

と宣言してから、コナンはカプセルを口に含み、
水で一気に流しこんだ。喉がゴクリと音を立てた。
数秒の間。

「……?」

静かだ。心臓が張り裂けそうな痛みが襲ってくるくらいは、覚悟していたのだが。

「何だよコレ。別に何とも…………!?」

言葉は最後まで続かなかった。

「な――!?」

阿笠は血相を変えた。コナンがもんどり打って床に倒れたのだ。
息が出来ない。震えが止まらない。何も考えられない。
胸を鷲づかみにしたまま、コナンは身悶えて転げ回った。
灼熱が、コナンの全身を支配していた。前の時の苦痛とは、まるで比べ物にならなかった。
あの時も死ぬかと思ったが、今の物に比べれば遙かにマシだった。

『死ぬかもしれないけど……』

哀の言葉が、ボンヤリと頭をよぎった。
赤と黒の交互に、視界が激しく点滅する。そのうち黒が多くなり、そして 。
やがて、闇が訪れた。

「新一……くん?」

動かなくなったコナンに、阿笠はそっと近寄った。

「新一くん! シッカリしたまえ、新一くん」

呼びかけるが、返事はない。
生気のない、紙の如く白い顔。力なく伸びきった腕と足。明らかに異常だ。
阿笠はコナンの顔の前に手をかざした。次に手首と首筋に指を当てた。

「……!」

阿笠はきびすを返した。走って電話に飛びつき、受話器を取る。1、1、9。

「オイオイ。何やってんだよ、博士」

「決まっとるだろ! 救急車で君を病院……に?」

後ろからの声に答えながら、阿笠はぎこちなく振り向いた。

「久しぶり、って言うのかな。こういう時も」

ブレザー姿の高校生・工藤新一は、どこか照れくさそうに苦笑した。



「君、本当に新一くんか?」

阿笠の問いに、新一は肩をそびやかして、

「当たり前だろ。そうじゃなかったら誰だってんだよ」

「そりゃそうだ」

と、阿笠は受話器を置いた。もう電話する理由はなかった。

「しかし参ったな」

「何が?」

「こんな簡単に人間が伸び縮みしていいんだろうか。科学の法則に違反しまくっとるぞ」

「違反してたって仕方ねーだろ。オレのせいじゃねーよ」

「まあ確かにそうだが……」

 学者としては大いに悩むところだ。

「ところで君、体の方は何ともないのかね?」

「ああ、ハッキリ言って気分爽快。前に戻った時とは雲泥の差だぜ。
あの時は実際問題、風邪とアルコールのダブルパンチで散々だったもんな」

もちろん新一も承知している。今の自分が本当の本調子ではない事を。
この姿は今日の学園祭でだけの、仮初めの物に過ぎないという事を。

「よ、よし。とにかく急ごう。今から飛ばせば劇が終わるまでには間に合う」

「ああ」

新一はネクタイを締め直しつつ、毅然と答えた。
学園祭で上演される劇のドサクサに紛れれば、アイツと話をする事も出来るだろう。
そしてトドメに観客席の哀、即ち「コナン」の姿を見せれば完璧だ。
だが失敗は絶対に許されない。この体がいつ元に戻るかは、神のみぞ知る域だ。

「ホレ早く」

「分かったよ、そう急かすなって」
玄関の外から呼びかけてくる阿笠に、新一は急いで走った。



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その日曜の、異国での夫婦の会話。

「ねぇ。新ちゃんの方、もう全部終わった頃かしらね」

「ああ。劇は2時からって言ってたからな」

「けど意外だったわね」

「何が?」

「あなたの事だから、実はコッソリ日本に来てるんじゃないかと思ってた」

「お前、普段オレをどんな目で見てるんだ?
こっちで原稿書いてろって言ってたのはお前じゃないか」

「だーって、いつもがいつもなんだもん」

「……悪かったよ」

「分かればいいの」

「しかし、それにしてもややこしい事になったもんだ。嫌な予感がするよ」

「ええ。ついに来るトコまで来たかなって感じがするわ。こんな事になっちゃったら、
私たちいい加減、あの子たちを引き取らなきゃなんないし」

「あの子たち、ね」

「そうよ。新ちゃんと、それから哀ちゃんよ。たとえあなたが反対しても、
あの子にも一度はこっちに来てもらうつもりよ。私は」

「イヤ、オレもその点については止めない。アイツがオレ達に助けを求めてくるのも、
時間の問題じゃないかと思う。ただ、なあ」

「ただ?」

「学園祭っていうのが引っ掛かるんだ。しかも演劇。
あの目立ちたがりが、ステージの袖で大人しく出来るとは思えない。
もしかして、命を狙われてるって事さえ忘れてしまうとか」

「や、ヤダ。あの子に限ってそんなバカな事するわけ……」

「……」

「ある……かなぁ、やっぱり?」

「ま、恐らく取り越し苦労だろうけどな。いくらアイツでも自制心くらいあるだろう」

「そうよね」

「もっとも」

と、有希子の夫・工藤優作は独り言のように呟いた。

「殺人事件でも起きたりした時は、話は別だがな」


〈了〉





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