西の風景

≪SCENE 1≫


服部平次は、目の前の獲物に全神経を集中させていた。
鋭い鉤爪が、ゆっくりと空を進んで行く。前後左右を微妙に渡り、
下の獲物をつかみ取る――はずだったのだが。

「あ……」

思わず声が裏返る。獲物――ヌイグルミをつかみ損ねた機械仕掛けのアームは、
虚しく元の位置へと戻り、何事もなかったかのように停止した。

「ど……ど畜生ーっ!」

クレーンゲーム機を前にして、平次の絶叫がゲームセンター内に響き渡った。





そもそものきっかけは、長年の腐れ縁が言った一言だった。

「なぁ平次、今日付き合うてくれへんか?」

「ん?」

学校の用事も終わり、さて帰ろうかと思った時。ポニーテールの似合う少女――
幼なじみの遠山和葉が平次に話しかけてきたのだ。

「何や和葉。言うとくけど、買い物の荷物持ちやったらお断りやで。
この前なんぞマジで腕壊れそうになったんやから」

「ちゃうちゃう。今日はそういう話やないよ」

と、和葉はブンブン首を振って、

「とにかく何も訊かんと、アタシの行くトコに付いて来てほしいねん。
こんな事あんたにしか頼まれへんのや。な?」

「言うても何でオレやねん。世ん中には、オレ以外になんぼでも人間おるぞ」

「あ、薄情やなー。だいたい仮にも探偵ゆうとるんやったら、
依頼人の頼みは素直に聞くもんや思うけど?」

「そう来るかい……」

悲しいかな、まともに口論すれば、勝つのは決まって和葉である。
と言うよりは、大概は平次の方が折れるのだ。

「分かった分かった。ドコでも行くがな。ただしその代わり、依頼料取るで」

「え? どれくらい?」

「依頼聞いたら教えたる。せやからさっさと連れてけや」

と、平次は肩を竦めてみせた。





「なぁ、お前の用事てココなんか? ホンマに?」

「うん。せやよ」

ソレがどうかした? とも言いた気に、和葉は隣の平次を見やった。

「……はぁ、まぁ……」

対して平次は困惑顔で、言葉にならない声を上げている。
平次と和葉が今立っているのは、駅前に最近出来たゲームセンターの前だった。
和葉は平次の制服の袖を引いて、

「ホラ平次、いつまでも突っ立っとると他の人に迷惑やで。中入ろ」

「あ、ああ」

「何や歯切れ悪いなぁ。もともと平次、アタシよりずっと前から良うゲーセン行ってたやん。
それとも何や心変わりでもあったんか?」

「イヤ……オレが前に来てたんは、こんなんや無うてやな」

「さぁブツブツ言うとらんと、さっさと行こ」

「オイコラ引っぱるな。自分で入るわ」

平次はとうとう観念して、和葉と共に店内へ入った。

入って真っ先に目に飛び込んでくる物は、やたらに大きい試着室のような物体――
商品名はともかく、正式にはシールメイカーという――である。しかも、前に見た時より
数が増えている。当然、その機械に張りついている女子学生の数も。

この光景を見る度に、平次はいつも複雑な気持ちになる。
近頃ゲームセンターに女性や子供の客が増えてきた事には、平次は何の異論もない。
店の管理は大幅に改善されたし、何より床からゴミが消えたのが嬉しかった。

ただ、この奇妙な機械の存在だけは、どうしても理解できない。自分の顔写真を撮って
シールにするというだけでは、お世辞にも「ゲーム」とは呼べない。それに明らかに
スペースの邪魔になるのだ。

……だいたい自分の顔撮って何にするんや。ほとんどナルシシストの世界やな……。

かく言う平次も、先日和葉と無理矢理に撮らされたのであるが。

「平次、あんた何ボサッとしててん。アタシが用あるんはこっちやて」

「え? ああ」

和葉に呼ばれて、平次は機械群から目を離した。
勝手知ったる足取りで、和葉はフロアを横切って行く。そして壁際で足を止めた。

「コレやコレ。コレがアタシの目下の問題なん」

「コレが?」

思わずオウム返しに答えてしまった。
和葉が真剣な顔で見つめているのは、ヌイグルミの山が入った箱――
クレーンゲーム機の台だったのだ。

和葉はヌイグルミの山を指差して、

「見て見て、あの真ん中の青いの。あのネズミのヌイグルミが、
どないしても取られへんねん」

言われてみれば、確かに尖った青い物体が目に入る。
平次は横目で和葉を見て、

「まさかと思うけど。お前オレに、アレ取ってくれて頼むつもりやったんか?」

「ピンポーン! さすが平次、名推理やな」

「そんなん誰でも分かるがな。ったく、神妙な顔して言うてくるから何かと思たら、
たかが景品取りかいな。こんな事ひとに頼らんと、自分の力で何とかせーや」

「ソレが出来ひんから、あんたにお願いしとるんやろ?
なんぼ注ぎこんでも取られへんで、アタシもう限界なんよ」

「そんなら潔う諦めや。無駄遣いは勿体ないで」

「無駄遣い?」

「そ。金と、それからエネルギーのな」

皮肉気に言を継いでから、平次はきびすを返した。足早に店を去ろうとする。

「ちょ、ちょっと平次、帰らんといて。話まだ終わってへんよ」

「お前は終わってへんでも、オレは終わったんや。帰って悪いか」

「あ、そう」

和葉の顔が、やにわに険しくなった。

「へー、そうなん。そういう事か。なるほどな」

「ん?」

「あんた、やってもどうせ取られへんから、今のうちに逃げよ言う気やろ。
そうは問屋が卸さへんで」

「誰が逃げる言うた。オレは自分の事は自分でやれいうとるだけや」

「アタシは自分で挑戦したんや。けど、あんたはまだやってへんやろ?
やらんで口だけ動かしとる奴に、説教されても痛ないわ」

「あんなぁ……オレは、こんなん元々やらへんねん。こういうんはオレの
守備範囲外の物であって」

「ほな、やっぱ出来ひんのやないの。苦手なんやったら、そう言うといたらええのに」

「誰も苦手とは言うてないやろ? ひとの台詞を勝手に曲解せんといてや」

「そっちこそ回りくどい言い方せんと、少しは素直に物言いや!」

「だー、もう!」

頭を掻きむしった平次の苛立ちは、とうに臨界点に達していた。

「やったらええんやろ、やったら! 1個でも100個でも取ったるわい!」





「な、なぁ平次。もうええよ。あんたの意気込みは充分に分かったから」

「いいや、後1回! 後1回で何とかなるて」

「ええから、もうやめときー!」

和葉が必死に頼んでも、平次の目と手は止まらない。

告白すれば、平次もコレに一応の興味はあったのだ。
今までに近づいた事が無かったのは、単にきっかけが無かっただけ。
その導火線に、和葉が火を点けてしまったのだ。

「あーっ、もう! 後ちょい、後ちょいなのに」

アームの力が弱いのか、ヌイグルミの位置が悪いのか、
ヌイグルミの形が悪いのか(因みに正解はそれら全部)、
平次がどれほど足掻いても、戦果は上がらずに軍資金の額だけが下がっていく。

和葉は平次に小声で、

「元々ココの機械、難易度高いて有名らしいんや。
特にこの頃はますます取りにくうなっとるて噂やし」

「あくまでも噂やろ? も少し待っといたら、絶対うまくいくよって」

「言うても平次、アタシもこれから用事あるんよ。そろそろウチ帰らんと」

「そんなら帰り。オレには構へんでええから」

「うん……でも程々にしときよ」

「ああ」

生返事で応じる平次を心配そうに眺めつつも、和葉は外へ出て行った。
平次の挑戦は、その後も数十分ほど続いた。



結果のほどは――彼の名誉のために記さないでおく。





next


『名探偵コナン』作品群へ戻る


inserted by FC2 system