≪SCENE 2≫


その日から、ゲームセンターへ通う事が平次の日課になった。

学校が終わるや否や、目当てのクレーンゲーム機に駆けつける。
目標のヌイグルミがまだ取られていない事を確認してから、戦闘を開始する。

「よっ、と……ハイOK」

平次も本来、ゲームには素養のある人間である。
要領さえ分かれば、ハイレベルの領域に達するまでに大した日数は要しなかった。
今では景品の種類にこだわらなければ、一度に2個くらい簡単に取れるのだ。ただし。

「アレは問題なんよなぁ……」

平次はヌイグルミの山を覗きこんだ。

和葉が欲しがっているヌイグルミは、平次に言わせれば最悪の状況の物だった。
山の中央に半ば埋もれている上、どうやら中で他の物と絡み合っているらしく、
無理に引っぱり上げても動いてくれない。よしんば動いたところで、あのトゲの
生えたような頭では、よほど上手く引っ掛けなければ失敗するのは明らかだった。

……もう一回、試しにやってみるか……。

深呼吸を一つしてから、山の中央にアームを走らせた。
鉤爪は一瞬引っ掛かる――が、それだけで終わった。

「くぅ……」

この瞬間を見るたびに、平次のストレスは倍加される。せめてアームにもう少し
根性があってくれればと思うのだが、ソレを今ココで言っても意味はない。

「気分転換、気分転換」

呪文のように呟いてから、気を取り直して周囲の物を取っていく。
こちらは逆に、妙にアッサリ取れてしまうのが、また癪にさわる。

「――あの、お客様」

「へ?」

突然の声に、平次は首を向けた。立っていたのは、店員と思われる女性だった。

「もし宜しかったら、袋を持って参りましょうか?」

「袋? 何で」

そんな物が必要なんだと言おうとする前に、平次はその意味を悟った。
平次の横にはいつの間にか、ヌイグルミによる山が出来ていたのだ。





重い足取りで帰ると案の定、迎えた母親が目を丸くした。

「平次、あんた何その荷物? 行商でも始めるん?」

「ワケは訊かんといて」

ヌイグルミの詰まった袋を肩に下げ、平次は自室へ歩く。ソレを母親が呼び止めた。

「そうそう、あんた今日ろくに朝刊も読まんと出て行ったやろ?
ココにあるんやけど、どないする?」

「あ、そやな。ほな一応見せてもらうわ。この頃はオモロイ記事も見当たらへんけど」

「え?」

「イヤ、こっちの話。独り言や」

と、平次はゴマカして、母親から新聞を受け取った。

自室に入ると、まずは袋を置いた。一息ついてから、おもむろに新聞を広げた。
いつの時代でも、新聞の様相は変わらない。
こちらの生活と密接に関わっているはずなのに、どことなく遠い感覚の事件たち。
その中で、明らかに異彩を放っている物が一つある。
イヤ、平次に言わせれば「あった」のだ。

「また載っとるな……このオッサン」

平次は、社会面に印刷されている男性の写真を睨みつけた。

年齢は38歳となっている。口ヒゲをたくわえたオールバックの顔立ちは、どこか虚勢を
張っているような印象を受ける。そしてその写真のそばにあるのは、大きな見出し。



   名探偵・毛利小五郎 またも迷宮入りを防ぐ



記事によると、夫が妻に仕掛けた保険金殺人の巧妙なトリックを、この毛利小五郎が
華麗に解き明かしたのだという。書かれている文章は名探偵への礼賛に満ちており、
ソレがますます平次の気分を悪くさせた。

……ったく、いつの間にこんな売れっ子になったんやろ……。

確かきっかけは、どこかの美術館の殺人事件だったと記憶している。元刑事という
点からも注目され、今ではすっかり有名人である。――関東一の名探偵として。



違う。



平次は声を大にして、そう言いたくてならなかった。

世間は忘れているのだろうか。
こんな冴えない中年よりも、何倍も活躍していた探偵の事を。
平次と変わらぬ歳でありながら、超法規的な扱いを受けていたあの男の事を。

平次は本棚から、バインダーを1冊取った。ページを捲り、保管している記事の
写真を見つめた。
先程の毛利小五郎とは全く違う、堂に入ったその表情。完璧なまでの営業スマイル、
ただし目だけは笑っていない。名前は工藤新一、高校2年。

最初は何となく切り抜いた物だった。平次自身、警察を身内にもつ者として素人探偵の
存在には興味があったし、マスコミに進んで露出している様を冷やかす意味もあった。
その後、色々あって平次も「探偵」と名乗れる身分になった。知る人ぞ知るという
程度だが、それでも東西探偵として比較されるくらいにはなっていた。

そんな時、工藤新一に関するニュースが消えた。
人気が下火になったなどと言うなら、まだ分かる。本当に突然消え失せたのだ。
まるで本人そのものが消えてしまったかのようだった。
そして、まさにその代わりのように毛利小五郎が台頭した。これでこの二人に
何も関係がないとは言わせない。必ず裏があると、平次は踏んでいる。

切り抜きから目を離し、暫く思索に耽った。ふとバインダーを閉じ、呟いた。

「やっぱ……確かめてみるか?」

善は急げとも、思い立ったが吉日とも言う。一度決めた事は変えないのが良策だ。
決断してからの平次の行動は早かった。父親の部屋の棚から酒瓶を拝借する。
旅行バッグに荷物を詰める。気に入っている帽子を被れば、準備完了である。

礼儀として、最後に母親に声をかけた。

「オカン。オレこれから、ちと出掛けて来るよって。飯とか要らんよ」

「アラ、出掛けるてドコ行くん?」

「東京」

「東京ねえ」

母親は不思議そうに言葉を返して、

「まあ、あんまり遅くならんと、気ぃ付けて行くんやで」

「はいな」

平次は軽く頷いて、玄関から出て行った。
残された母親は、まだ不思議そうな顔のまま、

「東京て、やっぱりあの東京かしら。あの子お得意の冗談にしては、単純やねえ」

冗談でなく本気だと彼女が気づくのは、すっかり日が暮れてからだった。





この後、東京の毛利探偵事務所を訪れた平次は、或る殺人事件に巻きこまれる。
詳細は敢えて述べないが、コレが彼にとって転機となった事だけは確かだった。





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