≪SCENE 2≫


事務所を出て歩きながら、コナンは早速いつも通りの質問を繰り出した。

「で? 今日は一体何の用で来たんだよ、服部。わざわざ、大阪から、東京まで」

「そら勿論、オレは今日ねーちゃんの掃除をスムーズに進めるために」

「真面目に答えろっ!」

金切り声で怒鳴ってから冷静になると、通行人の視線が痛かった。

「何やもう、一段と機嫌悪いなお前。ちょおっとボケただけやんけ」

「お前が悪くさせてんだよ」

押し殺した声で言い返す。コイツのこの態度には、どうにも頭痛をおぼえてしまう。

「目的ならさっき言うたやろ、工藤。お前に案内してほしいトコあるて。
まだ行った事ないトコあんねん」

「ドコだよ」

「お前ん家」

「ああ、オレの家ね――って、え、ええっ?」

「んな驚く事ないやろ。オレお前の家ん中、見た事ないで」

「そうじゃなくて。オレの家なら、お前さっきまで掃除してたじゃねーかよ」

「はぁ?」

と、平次は呆れたような声と顔をコナンに向けて、

「アホ。オレが言うとるんは『工藤新一』の家やて。何や推理小説の類が
ぎょーさん有るんやろ? ソレ見せてくれへんかな思ただけや」

「あ……そう。そっか」

「そっか……て、何ボケた事かましてんねや。お前は『工藤』やろ?」

「う、うん。そうだよな」





「へー、ほー、はー」

「何なんだよ。その意味不明な感動詞は」

「せやかてお前、こんだけぎょーさんの本見せられたらこう言うしかないやろ。
図書館でも開けるんちゃうか、お前ん家」

「その台詞、オレの家に来た奴は皆言う」

興味津々の様子で工藤家の書斎を歩く平次に、コナンは冷めた態度で言い返した。

「読みてーのがあったら好きに取れよ。ココにはあらゆる書籍と資料が揃ってるから」

「ホンマか? んなら、そやなぁ」

目を輝かせて本棚を見回す。そんな平次に、コナンは瞼を伏せて、

「あ、そうそう。こりゃ大事な事だけど――」

「ああそやそや、肝心なこと忘れるトコやった」

「は?」

台詞の途中で邪魔をされたコナンは、思いきり顔をしかめて、

「お前な、ひとの話は最後まで聞けって」

「洗面所ドコや? 手、洗わんとな」

「!」

「本扱う時には手ぇ洗う。意外と知らん奴多いよな、コレ。
この前なんぞ図書館の手洗い場で顔洗うとる奴見たで。何考えてんねやろ――
って工藤、お前いつまでボケーッとしてん。もしかして水道止めとんのか?」

「あ! イヤ違うよ」

首を振って弁明する。

「初めてだったんだ、オレの知り合いで自分から洗うって言った人。
大概は、オレが言わねーと黙って本を取る人ばっかりだったから。今だって言おうと」

「ふぅん。ま、ひとはひと、自分は自分やからな。で、ドコ?」

「ああ、こっち。ちょっと奥なんだ」

と、コナンは平次を導いた。足取りが少し軽くなっているのが、自分でも分かった。





「なぁ工藤。お前今、気分どうや?」

「え?」

数分後、だだっ広い書斎でそのまま読書するのも落ち着かないという平次の意見から、
二人は「工藤新一」の自室に移っていた。
小説談義に花を咲かせて一息ついた頃、平次は前述の台詞を言ったのだ。

「別に。普通だけど」

「ホンマか?」

「嘘ついてどうするよ」

「そらそうやけど。ホレ、何や喉痛いとか腹痛いとか……
後はそうやな、妙に頭がボーッとするとか」

言われた途端、黒縁眼鏡の下の目を、コナンは大きく見開いた。

「ばっ、バーロォ! そんなバカな事あるわけねーだろ!」

……まさかコイツ、俺の調子が変だって事を誰かから聞いたんじゃ……。

焦って苛立つコナンに対して、平次は呆気に取られたように、

「オイオイ、何独りでいきり立ってんねん。オレはただ、お前に初めて会うた時のこと
思い出しただけや。あん時のお前、風邪引いてたから元の姿に戻れたんやろ? だから」

「あ、そういう事か」

どうやら杞憂だったようだ。

「それなら残念だけど、今のオレは身体的には健康だよ。
第一もしも風邪気味だったとしても、それだけで元の姿に戻れたら苦労しねーさ。
あの時は、お前の持って来た妙な酒の成分が、俺の体と何らかの反応を起こしたんだ」

「ほうか。そんならやっぱり、あの酒がカギなんやな。つまりアレを飲んだらまた」

「違うな。あの酒の効果は一度きりだった。あくまでも偶然だったのさ。アレは」

「そうかなぁ、ただの偶然とは思えへんけど」

「何が言いたい?」

「?」

「さっきから何なんだよ、不毛な話ばかりして。
もう終わった出来事を蒸し返したって意味ねーだろ」

「イヤ、せやかてな」

と、平次は腕を組んで、

「いくら中身が工藤や判てても、どう見てもガキのお前が
オレとまともに話しとるっちゅうんは、どうもなぁ。実感が湧かんちゅうか」

「……」

「そやからやっぱり、どうせなら『工藤新一』と話せたらええなぁて」

「……オレじゃ不満なのかよ」

「へ?」

「オレだって、いつでも元の姿に戻れるならずっと戻ってる!
でも戻れねーんだから、今のオレで我慢してろよ! オレだって我慢してるんだ!」

「お、オイ。何を急に」

「分かってるよ。今のオレはお前の言ってる『オレ』じゃない。でも仕方ねーだろ。
世界中をどう探しても、お前の言う『工藤新一』は今ドコにも存在してねーんだから」

自分でも何を言っているのか、分からなくなってきていた。止めなければいけない。
そう心では思っても、口は一向に止まってくれない。そして。



「今ココにいるのは、あくまでも7歳のオレなんだ!
お前の言う17歳のオレは、今はドコにも存在してねーんだよ!」



「工藤!」

強い口調と共に肩をつかまれて、コナンはようやく我に返った。

「は、服部?」

「大丈夫か? 落ち着いたか?」

「あ、ああ……うん」

ぎこちなく頷いてから、目線を上げて、

「なぁ服部、今オレ変なこと言わなかったか?」

「え?」

「あ。イヤ、何でもねーよ」

と、コナンは言葉を濁した。

今のはマズかった。確実に意識を失いかけていた。ちょっとした事で苛々して、
そして気が遠くなっていくあの感覚。恐らく、アレが前兆なのだ。

……そうだ、落ち着くんだ。オレは高校生の工藤新一。ソレを忘れちゃいけない。

そう何度か言い聞かせて息をつく。絶叫を続けたせいか、喉がカラカラになっていた。

「悪いな。ちょっとオレ、何か飲んでくる」

「ん? あ、それならちょい待ち。オレ、ジュース持っとるで」

と、平次は手元の旅行バッグを探り始めた。

「コレは違う……コレも違うわな」

「?」

コナンは首を傾げた。
平次は小ぶりのペットボトルを取り出したのにも関わらず、
未だにバッグを探っているのだ。不可解としか言いようがない。

「あのな、別に全部出さねーでいいよ。選り好みなんてしねーから」

「お、オイ。そらアカン」

と、平次が止めるより早く、コナンは平次の脇に置かれたボトルを取った。
手応えなくキャップは開いた。そのまま中身を喉に流しこむ。
とにかく今は、直ちに渇きを癒したかった――だけなのに。

「!?」

一口含んだだけで、思わず中身を吹き出した。
手放したボトルは、床に落ちる寸前で平次が受け止めた。

「な、何、なんだよ、コレ……」

咳きこみながら、必死で声を振り絞る。火の塊でも飲んだ気分だ。
一方、平次は苦りきった表情で、

「あーあ、言わんこっちゃない。オレん家から持って来たスピリタスなんやで、コレ」

「す、すぴ……」

その名前なら知っている。度数96度(!)を誇るアルコール。
ほとんど薬用品のような純度だが、れっきとした飲用の酒である。

「で、でも、何で、そんなの、持って来て……」

「イヤその、さっき言うたやろ。酒が元に戻るカギかもしれへんて。せやからオレん家に
ある強い酒、一通りボトルに詰めて来てたんよ。実験してみたらどうかな思て」

「ば、バカな、事を……」

「バカ? 言うたら確認もせんと、飲んだお前の方もバカやろ!?」

「う……」

……確かに、オレのミスだ。どうしてこんな単純な失敗するんだ。
……それもこれも皆、この不自然な状況が悪いんだ。
……こんな風に苦しいなら、いっその事……いっそ……。

「あ……あ?」

頭の中がザワザワする。体が総毛立つ。休息に遠くなっていく意識。

「あ……や……ああ!」

「工藤!?」

やにわに頭を抱えて屈みこんだコナンに、平次は駆け寄って揺さぶった。

「オイ、どないした? 何がどうなったんや?」

「あ、あ、あ」

ガクガク震える体。虚ろな目。機械的に声を出すだけの口。その全てが、
尋常な状態でない事を物語っている。だが、その状態は数十秒と続かなかった。

「!!」

到底人間には出せないような音域の悲鳴を上げて、コナンはその場に倒れ伏した。





「く、工藤? 工藤?」

平次が幾ら呼びかけても、相手は倒れたまま動かない。
平次は半ば反射的に、脈と呼吸を取ってみた。幸い、どちらも異常は見られない。
どうやら失神しているだけのようだ。
取りあえず本人のベッドに横たえた。眼鏡とネクタイを、身から外してやる。

「さぁ、後は」

上から顔を覗きこみ、その頬を軽くはたいてみた。

「オイ工藤、早う起き。朝やぞ」

「む……」

さながら子猫がむずがるような声と共に、瞼がゆっくりと上がった。
ボンヤリとした顔のまま、唇が僅かに動く。その動きを、平次は瞬時に読み取った。

「みず? そか、水やな。待っとれ。すぐ持って来る」

急いで立ち上がり、キッチンから水道水を汲んで来る。コップは適当に借りた。

「ホレ、今度は酒と違うで。安心し」

相手は言われるままに、平次のコップを口に運んだ。こくり、と小さく喉が鳴る。
体を起こして、軽く息を吐いた後、

「ねぇ、ココってオレの部屋だよね」

「ああ、ひとまず寝かせたんや。せやけどビックリしたで、
いきなりあんな風になってしもて。もう大丈夫やろ?」

「少し頭がクラクラするけど。それより――どうしてあんた、オレの部屋にいるんだ?」

「ん?」

目をしばたたかせる平次に、ベッドの少年は怪訝な顔で質問を投げた。

「あんた、誰なんだ?」





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