≪SCENE 4≫


新一が最初に行きたいとねだったのは、自分の通う学校――帝丹小学校だった。
どうしても見たい物がある、と平次に熱心に頼んだのだ。

「あっ! ここ、ここ」

と、新一は学校の裏手の塀に駆け寄った。その古びた表面を、感慨深げに撫で回す。
顔を間近に引きつけて、

「本当に10年後なんだなぁ……」

「って、ソコがどないしたん? ごく薄く傷が走っとるみたいやけど」

「オレね、ココでサッカーの練習してるんだ。ココの壁の具合、とっても良くて。
けどあんまりやり過ぎて、変な跡付けちゃったんだ。先生にも凄く叱られた。
でも今でも時々、加減しながらやってるんだけど」

「そうか。ソレ、お前にとっては最近の話やねんな。なのに」

「うん。なのにココの傷、すっかり消えかかってる。壁自体も随分古くなってるし」

「ちゅう事は」

と、平次は周囲をみやって、

「この校舎や校門も、お前の記憶とは違てしもとるんやな」

「へぇ、よく分かるね」

「まぁな。塗装の具合から見て、塗り替えたのは数年前みたいやし」

「こんな色になるんだなぁ……」

結構いい色だけどね、と新一は言い添えた。
平次は改めて塀の傷跡を眺めて、

「それにしても、工藤が小学校からサッカーやっとるてホンマの話やったんやな。
それもそんな1年の頃から。意外というか、当然というか」

「えっ?」

と、新一は声を引っくり返して、

「ちょっと待って。もしかして平次、10年後のオレのこと知ってるの?」

「ん? 知っとるも何も。工藤とオレは秘密を共有するマブダチやで。
工藤とは、もう何度も一緒に飯食うた仲やねん」

「ホント? 嘘じゃない?」

「ホンマやって」

確かに嘘ではない。ただし完全な真実でもないが。

「もう、だったら早くそう言ってよ。すぐ聞きたい事あったのに」

「何や?」

「10年後のオレって、どんな風なのかな? 10年だから……高校生くらいに
なってるんだよね?見ためとか、今とは全然違ってるんでしょ?」

「そら勿論」

「ちゃんと背とか伸びてる? オレ今、整列の時いつも一番前なんだけど」

「ソレやったら心配要らんよ。体格は大体オレと同じくらいになっとるで」

「じゃあ170くらいにはなるんだね。良かったぁ」

「この程度の話でええなら、なんぼでもしたるがな。えーと、高校生のお前はな、
警察も一目置く名探偵で、ごっつ難しい事件をバンバン解きまくって大活躍しとんねや」

「名探偵? ホームズみたいな?」

「そらもう、シャーロック=ホームズと明智小五郎足して割ったみたいな完璧な探偵や。
幼なじみのねーちゃんとも何だかんだ言うてうまい事やっとるようやしな」

「幼なじみって、蘭の事?」

「ソレ以外に誰がおんねん。どんな時も二人とも一緒に居ってやな、
その出先で毎度毎度ややこしい事件に巻きこまれたりなんぞして」

「ハハハハハ、何ソレ。ワンパターンなミステリみたい」

「んなこと言うてもホンマやねんな」

「本当かなぁ?」

などと台詞では疑っているように聞こえるが、新一の表情は緩みまくっている。

「でもいいなぁ。そんな凄い事になってるなら会ってみたいな、10年後のオレに」

「へっ?」

「ねぇ平次、10年後のオレって今ドコにいるの? 連絡つかない?」

「そないな事言うてもな。今工藤はドコにも……あ」

続きを言おうとした平次の頭に、ふと数時間前のコナンの台詞が蘇った。


『今ココにいるのは、あくまでも7歳のオレなんだ!
お前の言う17歳のオレは、今はドコにも存在してねーんだよ!』


コナンが半ば自分を失いながら叫んでいたあの台詞。
実はアレは、鋭く真実の一面を突いていたのだ。

17歳・高校2年生の工藤新一は、客観的には確かにドコにも存在しない。
新一本人が幾ら主張しても、現実にいるのは7歳・小学1年生の工藤新一なのだ
(「江戸川コナン」という名前は、生活のために付けた仮名に過ぎない)。

新一が元に戻りたくても戻れないという事実は、彼自身が誰よりも痛感していたのだ。
なのに一刻も早く戻らねばならないという命題との二律背反(アンビバレンス)に
引き裂かれ、新一の体と心は悲鳴を上げた。
それほどまでに彼を追いつめた原因は――。

……オレも含まれるんやろな、その中に……。

7歳の新一(コナン)と、17歳の新一とを別人だと区別している者は大勢いる。
蘭や蘭の父親の毛利小五郎、それから警察関係者たち。
しかし彼らを責める事は出来ない。
二人の新一が同一人物だなどと、彼らは夢にも思っていないのだから。

……オレは7歳の工藤も17歳の工藤も、同じ人間やて理解しとるつもりやった。けど
知らず知らずの内に、オレも区別しとったのかもな。元の姿の工藤に会いたいなんて
言うてしもて。どっちも同じ工藤やのに……。


「――平次、平次ってば! 聞いてる、平次!?」

「え?」

何度目かの呼びかけで、平次は加速しかけていた思考を止めた。

「もう、いきなり怖い顔して黙っちゃうんだもん。ビックリしたよ」

「あ、すまんなボウズ、ちょいと考え事してたもんやから」

「まぁ気持ちは分かるけどね」

「ハイ?」

「だって、オレが10年後のオレと会うなんて、絶対に許されない事なんでしょ?」

「!?」

「前にSFの本で読んだんだ。異なる時間に生きてる同一人物は決して出会っては
いけないって。もし出会ったら、因果律が狂ったりパラドックスが発生したり、
とにかく大変な事になるんだよ。だからダメなんだよね、平次?」

「さ、さよか」

どうでもいいが、また「SF」である。
平次が呆れ気味にため息をついたとき、新一はポンと手を打ち合わせて、

「そうだ、まだ一つ聞いてないや」

「何や」

「えっと、サッカーの方は、オレどうなってるのかな。国立くらい行けてるかな」

「ああそんな事か。オレに言わせたら、国立なんぞ目やないで。ほとんどプロ級や」

「プロ? よしてよ。いくらお世辞でも、海外レベルは言いすぎだって」

「?」

どこか噛み合わない受け答え。その理由に、平次はハッと思い当たった。

「あ、そか! お前の時代にはまだ、日本にプロリーグは出来てへんからな。そんでか」

「えーっ!?」

案の定、新一は一目もはばからぬ大声を上げて平次に詰め寄った。

「ホント? それホントにホントだね? もう信じたよ。
いまさら冗談だなんて言ってもぜーったい認めないからね」

「うんうん、好きなだけ信じろやボウズ。間違いない事実やさかい」

「そっかぁ……日本もプロになるんだ……何か夢みたい」

「夢みたい、ねぇ」

いちいち大袈裟だとも思うが、この新一の反応は、ある意味当然とも言えた。
小学生にとっての10年後とは、まさしくはるか彼方の別世界なのだ。

……オレにとっての「常識」は、コイツにとっての「常識」やない、か……。

そう考えると、何だか微笑ましくなってきた。

「おし、こないなったら乗りかかった船や。今からめちゃオモロイとこ連れてったるで」

「ホント? じゃあ早く行こうよ」

と、新一は平次を追い抜いて行く。が、数歩進んだ所で思い出したように、

「そうそう、念のためにもう一度言っとくけど。オレの名前は『新一』だからね。
『ボウズ』なんて呼び方でゴマカさないで」

「な、何や。気づいてたんかいな、お前」





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