≪SCENE 6≫
日は西に傾きかけていた。
平次を振り回し続ける新一の行動は逐一、興味深かった。
本来の17歳と変わらぬ冴えを見せるかと思えば、世間一般の7歳よりも
一層幼い反応を示したりもする。
どこかチグハグな、頭でっかちな子供。ソレが今日、平次が新一にもった印象だった。
……見ためや中身が小っこかろうが大っきかろうが、工藤は工藤なんやなぁ……。
「ねぇ平次、次はドコ行こっか」
「あ、イヤ、その事なんやけどな」
平次は思索を中断し、自分の腕時計を新一に見せた。
「な、もうこんな時間やろ。そろそろ家帰ろうや。
もしかしたら博士、帰って来てお前ん家で待っとるかもしれへんし」
「そっか。そうだよね」
と、新一はさも残念そうに頷いたが、ふと顔を上げて、
「だったらさ、もう1ヶ所だけ行きたい所があるんだけど、いい?」
「ドコや?」
「蘭の家」
「ああ、ねーちゃんの家な――って、え、ええっ!?」
「そんな驚かなくてもいいじゃない。今日まだ行ってないもん」
「そ、そらそうやけど」
「今日ってさ、お休みの日でしょ? それだと蘭、一日家の手伝いしてるから、
昼間は遊べないんだ。でも、この時間なら会えるかなって思って。お願い、いいでしょ?」
「……」
実のところこの「お願い」こそ、平次が最も避けたかった物だった。
この新一は知らないのだ。自分が「江戸川コナン」として蘭と同居している事を。
そして蘭も知らないのだ。今新一の体が10年前の物に縮んでしまっている事を。
そんな二人を会わせたら、果たしてどんな混乱がもたらされるか。
想像しただけでゾッとする。
硬い表情で黙っている平次に、新一は再び俯いて、
「そうだね、ダメだよね。いきなり10年前のオレが現れたら、蘭ビックリするもんね。
もういいよ、今言ったこと忘れて」
「……」
ああ忘れる、と言えるほど、平次は無神経な人間ではなかった。
もしも平次自身が今の新一の立場だったら、一番見てみたい物はやはり長年の腐れ縁の
顔である。平次でさえそう思うのだから、まして新一なら尚更だろう。
「分かった。会ってもええよ。ただしその代わり、コレかけとき」
と、平次が内ポケットから出したのは、コナンの黒縁眼鏡だった。
「コレは魔法の眼鏡なんや。コレかけといたら、お前の正体は絶対バレへん。
そやからコレをちゃんとかけて、後はねーちゃんが何話しかけてきても黙ってとんねや。
ええな?」
「うん。分かった。――これでいい?」
と、眼鏡をかけてみせた新一は、普段のコナンと変わらなく見えた。
これなら問題ないだろう、と平次は胸を撫で下ろした。
しかし。平次はこの時の自分の判断を、後で悔やむ事になる。
平次が毛利探偵事務所のドアを開くと、蘭は誰かと電話しているところだった。
「――うん、そうなの。出て行ったきりなのよ。――あ」
戸口に立っている二人に気づいたらしく、口調を変えた。
「――ううん、違った。今戻って来たところよ。じゃ、これからそっちに行くからね」
そっと受話器を置いてから、蘭は腰に手を当てて、
「もう、二人ともいつまで出掛けてるの。心配するじゃない」
「ああスマンな。ちと色々あったもんで。コイツがその……アレ?」
平次は下を見て焦った。足にしがみ付いていたはずの者が消えている。
前を見て更に焦った。新一は平次のそばを離れ、蘭の顔を見つめていた。
「アレ? 何、コナンくん」
と問う蘭に新一は、ポツリと言った。
「きれい」
「は?」
「こんな綺麗になっちゃうんだ、蘭」
「ちょ、やだ、何よ急に変な事」
「あーっ、と!」
平次は血相を変えて新一に飛びついた。新一を目配せで制しつつ、引きつった笑顔で、
「何やねんなボウズ。お前なんぼねーちゃんのこと好きやかて、
ストレートに物言い過ぎや。だいたい日本語の使い方も変やしな。
オレが教えた通りに言うたらええのに」
「もう、やっぱり服部くんがコナンくんに吹きこんだのね」
言葉でこそ責めているが、そのじつ頬は僅かに赤くなっている。
「それよりねーちゃん、今の電話誰からやねんな」
「ああそうそう、今の父さんからの電話でね。用事が片づいたから、
今夜は外食にしようって。服部君のこと話したら、一緒に来ていいって言ってたよ」
「そ、そうなんか。そら残念やな」
「え?」
「オレ達これから、阿笠博士ん家行かなあかんねん。そやから誘いはまた今度に」
「博士の家……って。確か博士、今日は泊まりの用事だって言ってたと思ったけど」
「いっ!?」
初耳である。
「だから行っても居ないと思うよ。それともまさか、予定を繰り上げて帰って来るの?
ねぇ、もしかして博士に何かあったんじゃないでしょうね!?」
「あ、あーイヤそのあの」
「ハッキリしてよ、大事な事なんだから。何なら私も一緒に行くわよ」
本当に付いて来かねない蘭の剣幕に、平次は圧倒されそうになるのを何とか堪えて、
「ちゃうちゃう。博士やのうて、そう、工藤の奴と待ち合わせしとるんよ。
何や今捜査しとる事件について、どうしてもオレに相談したい事があるらしいてな。
ボウズの意見も参考にしたいんやて。内密な事件やさかい、ねーちゃんには内緒にしとき
言われたから、つい博士をダシにしてしもたんや。スマンな」
「そうなの?」
「そうそう。せやから今の話は、ねーちゃんも言いふらしたらアカンで」
「うん。そういう事なら仕方ないよね」
と、蘭は平次への矛先を下ろした。
「でも、ちょっと羨ましいな」
「へ?」
「新一ってば、服部くんやコナンくんには連絡くれるんだよね。いいなぁ、いいなぁ」
「……」
「難事件で忙しいのは分かるけど、もう少し電話くれたっていいのにね。
わたしたち全然会ってないんだから。この前の事件でだってちょっとしか話せなかったし。
ずっと心配してるだけで疲れちゃうよ。向こうはわたしの事、気にしてくれてない事も
ないみたいだけど、本当はどう思ってるんだか」
「ねーちゃん……」
「服部くん。新一に会ったらガツンと言っといて。
このまま学校にも来なかったら、皆に忘れられても知らないよって」
言いざまに、右の正拳突きを前に打つ。空手黒帯の名に恥じぬ鋭い音が、空を切った。
「ああ、そんくらいなら頼まれたるけど……え、ボウズ?」
平次は自分の両手が、小刻みに震えているのを感じた。
自分が押さえている新一の体が震え、結果、平次の手が震えているのだ。
「蘭。ソレ本当か?」
「え?」
「本当かって聞いてるんだ」
腹の底から絞るような声で、新一は蘭への問いを繰り返した。
「全然会ってないって事。連絡もしてないって事。蘭を放っといてるって事。
蘭をどう思ってるか伝えてないって事。学校にも来てないって事。その全部」
「本当も何も……コナンくんも皆知ってる事じゃないの。
ホントあの推理バカったら、一体全体今ドコをほっつき歩いてるのかなぁ」
「もういい!」
新一の刺すような物言いに、蘭は思わず身を竦ませた。
沈黙の中、新一は平次を押しやった。平次の顔を睨みつけ、小さな、
しかしハッキリとした声でこう告げた。
「嘘つき!」
「コナンくん!?」
「ボウズ!?」
止めるいとまも無かった。脱兎の如き速さとは、ああいう走り方を言うのだろう。
「ちょ、ちょっとどういう事? 今コナンくん、服部くんに何て言ったの?」
「あ。イヤそんな事より、アイツのこと追っかけんと見失ってまうで」
「それなら大丈夫。心当たりがあるから」
「何やて? そらドコや、早よ教え!」
「いいよ、わたしも行くから」
「ねーちゃんはオッサン待たしとるんやろ? アイツはオレが責任もって探したる。
せやからさっさと、その心当たりっちゅうの話さんかい! 事態は一刻を争うんや」
平次の真剣な眼差しに、蘭も真摯な瞳を向けて返した。
「やっぱり、何かワケがあるのね。わたしには話せないワケが」
「……」
「いいわ。今は聞かないであげる。ただし全部済んだら話してよね、何もかも」
「……ああ」
「それで、わたしの心当たりっていうのはね……」
next
『名探偵コナン』作品群へ戻る