≪SCENE 8≫


「……り、服部。起きろよ。朝だぞ」

「ぬ……?」

声にならない声を出しつつ、平次は瞼を開いた。体が揺れているので変だと思ったら、
それは相手が激しく揺さぶっているためだった。

「ったく、お前はいつドコでどういう体勢で寝てんだよ。ひとのベッドに寄っ掛かるなんて
してやがって。せめて敷物とか使えよな。もうガキじゃねーんだから」

「?」

違和感をおぼえた平次は、ベッドに腰掛けている相手に焦点を合わせた。
朝日に照らされているその相手は、外見は昨日とほとんど変わっていない。
しかしその態度や言葉遣いは、それこそ別人のように違っている。
そして何より異なるのは、顔に眼鏡が乗っている事。即ち――。

「工藤!? お前元の工藤に戻たんかっ!?」

「この体のドコが戻ってるっていうんだよ。まさかお前まだ寝惚けてるのか?」

飛び上がった平次に返す皮肉も冷笑も、明らかに工藤新一、
もとい、江戸川コナンのそれである。

「と、ともかく良かった! ホンマ良かったわ。一時はもうどうなる事かと」

「ちょ、ちょっと待てよ服部。落ち着けって」

「これが落ち着いていられるかい! あー今日は最良の日やで」

「……」

狂喜している平次の様を、コナンは暫し冷徹に観察してから、おもむろに口を開いた。

「あのさ服部、ココってオレの部屋だよな」

「へ? ああ、ソレがどないした?」

「そのオレの部屋に、何でお前が入ってるんだ?」

「!?」

「確かお前、探偵事務所で蘭と掃除してたよな。そのお前が、何でどうして何故に、
オレの家のオレの部屋で当たり前のように寝てるんだよ?」

「何でて工藤、元々お前が招いてくれたんやろ?
本読ませてくれる言うて、ほんでココで話して、ほんで」

そこまで言ってから、平次の顔が青ざめた。

「まさか。覚えてへんのか? 昨日この家に来てからの事、何もかも」

「何の事だよ」

「そんならコレ! コレの事も覚えてへんのか?」

と、平次はコナンの眼前に、懐から取り出したヌイグルミを突きつけた。
ソレに対して、コナンは極めて抑揚ない声で意見した。

「その妙ちくりんな布の塊が、どうかしたのか?」

「だーっ!? オイ待て工藤! お前コレめっちゃ気に入って一日持ち歩いとったやろ?
飯ん時もトイレん時も、抱っこして離さへんかったやないか」

「な――、一体全体いつオレがそんな恥ずかしい事したよ! 何時何分何曜日!」

「ほんだら厳密な日時まで言うたろか? 忘れたなんて言わせへんで」

「知らねーものは知らねーんだよ! そもそも論点がズレてるぞ。オレがお前に
訊いてるのは――って、どーしてオレ、パジャマになんか着替えてるんだよ!
まさかお前、オレに変な事とかしてねーだろな!」

「自分で着替えた事くらい覚えとれ! だいたい変な事って何やねんっ!」

「オレが知るかっ!」

「あーもう、今日は最悪の日やーっ!」

二人の激烈な口喧嘩は、阿笠が帰宅するまで続いた。





数日後。コナンは本日3階目の電話に付き合わされていた。

『なぁ工藤、お前ホンマのホンマに覚えてへんのか?』

「だから何度も言わせるなよ。博士だって言ってたろ? 記憶障害が起こってる時の
記憶は不安定だから、その障害が直ると忘れちまう事が多いって」

『そらそういう展開は、記憶喪失もののお約束かもしれんけどなぁ。でもなぁ』

「何だよそのお約束ってのは。とにかく、何度も同じ話題で電話してくるなよ。
蘭とかにも怪しまれるぜ」

『分かったわ。ほんなら怪しまれんように』

「そう。もう少し電話は控えて」

『今から直接そっち行く。首洗うて待っとれよ』

「あ? お、オイ待てよ。今からってどうやって」

と尋ねても、既に通話は切れていた。そこに、部屋に入って来た蘭が声をかけた。

「アレ? 今の電話、ひょっとしてまた服部くんだったの?」

「うん。今からウチに来るって言ってた」

「嘘、冗談……でもないよねぇ。服部くんだったら」

流石の蘭も呆れ顔である。

「そうだ、ボク宿題あったんだ。今のうちにお部屋でやってるね」

「そう? それじゃ、おやつはそっちに持ってってあげるから」

「うん、ありがと」

和やかに会話を済ませ、一応自分のスペースにさせてもらっている部屋に入った。
ドアを閉め、素の顔に戻る。真っ直ぐ机には向かわずに、
低い戸棚の奥にある布の塊――ヌイグルミを手に取った。

「ったく、アイツもいい加減に諦めりゃいいのに。オレは忘れたって言ってるんだから」

両手で包みこみ、引き寄せて抱きしめる。伏せた瞼を上げ、クスリと笑って呟いた。



「まだ、いいよな。まだ」





1日だけのPLAY BACK。ソレは幻と消えたのか。
その答えは、コナンだけが知っている。


〈了〉





『名探偵コナン』作品群へ戻る





カーテンコールを読んでみる?


inserted by FC2 system