≪SCENE 2≫


コナンは部屋を飛び出した。
しかし一歩足を踏み出した途端、コナンは顔を強張らせた。

つい数分前までリアルな石造りだった廊下は、くすんだ灰色の空間に変わっていた。
ただの四角い長筒の中にいるような、あまりにも寒々とした光景だった。

そんな視界の先にいた人影を認めて、コナンは駆け寄った。三人組の方も気づいたらしく、
歩美が大きく手を振った。

「あ、コナンくん!」

「コナンくん。一体どうなってるんですか、コレは?」

「さっきの廊下と、それに部屋とか、ドコ行っちまったんだ?」

「さぁな」

質問に、肩を竦めて答えるコナン。

「ただ言えるのは、もうこの部屋のデータはほとんど消去(デリート)しちまってるって
いう事だぜ」

「デリートですって? そんな、一体どうして」

「で、でり……? オイ何なんだよソレ。どういう意味だ?」

「詳しい話は後だ。とにかく戻ろう。――歩美ちゃんも、それでいいよな?」

「うん!」

元気に答える歩美に、コナンも微笑みを返した。
さて戻ろうときびすを返した時、コナンの耳がまたも何かをとらえた。

「どうしたの、コナンくん?」

「また、聞こえたんだ。さっきと同じような、物音が」

「またですか?」

「気のせいじゃねーのか?」

「イヤ、違う。さっきより音は大きかった。何かが崩れるみたいな音だ」

「崩れる?」

言われて歩美は、手のランタンを後ろへ向けた。
灰色一色の四角い筒が、果てしなく続いているように見える。

が、その景色の遥か先から、何か巨大な――廊下一杯に広がるほどの――漆黒の
物体が迫ってきていた。
始めは緩慢に見えたその動きは次第に速まり、ついには耳障りな音と共に、
怒濤の勢いでこちらに襲いかかってきた。

「キャーッ!」

「出たーっ!」

「お化けーっ!」

「皆、走れっ!」

手を振り上げたコナンの号令を合図に、子供たちは廊下(だった場所)を走りだした。

一方、迫り来る黒色の勢いは、どんどん加速されていった。
その黒色に触れた瞬間、ソコの天井・壁・床、その一切が、ガラスの如く粉々に砕け散る。
つい先程まで子供たちが立っていた位置も、瞬く間に黒色に飲みこまれた。
そのうえ最初は単なる塊に見えた黒色は、表面から無数の触手のような突起物まで
伸ばしてきていた。

……くそっ、いくら何でも悪趣味すぎるぜ!

コナンは足を急がせながらも、心の中で毒づいた。

廊下は、まだ終わらない。

「オイ、いつまで走りゃいいんだよ!」

「ドアが開いてます! あの中に入れば」

「皆、もっとスピードを上げろ! 間に合わねーぞ」

子供たちは、全速力で駆け抜けた。
ところが哀が開けている扉まで後数メートルという所で、歩美が足をもつれさせた。

「キャッ!」

「どうした?」

「大丈夫ですか?」

たたらを踏むコナン・元太・光彦。その中でコナンが、他の二人を遮った。

「オレが戻る! お前らは、ひとより自分を心配しろ」

「でも!」

「コナン!」

「いいから! 逃げるんだ」

コナンは逆走して、倒れた歩美を助け起こした。

「平気か? 動けるか?」

「う、うん。でも……!」

喉を詰まらせ、震える歩美。その視線の先を、コナンも見た。
一旦は離れる事の出来た黒色は、再び間近に迫って来ていた。
今コナンに出来るのは、黒色を睨みつける事くらいしかなかった。

……畜生、逃げきれねーぜ。せめてコレがまともに戦える敵だったら……!

そうコナンが思ったのと同時に、黒色の突起の形が変わった。
中心で一つに集まってから、新たに広がった。
定まったその形は、飢えた狂犬の首そのものに見えた。

蒼く燃えた目をした狂犬は、一直線にコナンの元へ向かって来た。コナンは咄嗟に
腕時計(因みに腕時計が仕込まれている)を使おうと身構えた。だが、左腕に時計は
存在していなかった。

歩美を庇いつつも、成す術なしかと思った時。

「!?」

ランタンが灰色の空間を飛び、そしてコナン達の背後から狂犬の顔に命中した。
狂犬は悲鳴のような声を上げて、四方へ飛び散った。
唖然としつつコナンが振り仰ぐと、戸口から哀が半身を乗り出しているのが見えた。

「早く! 皆、今のうちに!」

「皆? ――あ!」

視線を動かして、絶句した。
元太と光彦は、コナンと歩美のすぐそばに立っていた。

「お前ら! 逃げろって言ったのに」

「逃げるなんて出来るかよ!」

「ボク達、仲間なんですよ!」

「元太くん、光彦くん……」

歩美は涙を浮かべながらも微笑んだ。元太は歩美に近づいて、

「ホラ歩美、立てるか?」

「うん!」

「後もう少しです! 急ぎましょう」

「ああ、分かってる!」

子供たちは、もう一度走りだした。半ば滑りこむような形で、
次々と部屋の中へ飛びこんだ。
全員入ったのを確認してから、哀は扉を押し始めた。他の者たちも哀に加わり、
扉は無事に閉められた。最後に部屋のカンヌキをかけると、やっと落ち着いた静寂が
戻ってきた。

哀は小さな、しかし尖った声でコナンに告げた。

「何パニックになってるのよ」

「何?」

「自分で言ったこと忘れたの? あなたの時計も、このゲームでは反映されてないのよ。
恐らくシューズでの攻撃もアウトでしょうね。本気で対抗するなら、あくまでもこのゲームで
設定されてる物で立ち向かわなきゃ」

「分かってるって、そんな事。ありゃ条件反射って物だよ」

と、コナンは憮然と言い返す。

「オレに言わせたら、お前の行動の方がよっぽど驚きだぜ」

「何が?」

「この戸口からあの化け物まで、ずいぶん距離があったのに。あんな不自然な体勢から
投げつけるなんてな。えらい度胸だよ」

「アレは、ちょっとした賭けよ。ココは仮想現実なんだから、成功すると信じて行動すれば、
成功するんじゃないかってね。さっきあの黒い物体が変化したのも、
ひょっとして誰かが妙な事でも考えたんじゃないかしら」

「妙な事?」

「19世紀の英国で、燐光を発する猛犬なんて。いかにも、って組み合わせよね」

「悪かったな! 安直な発想でよ」

「誰もあなたの考えだとは言ってないわよ?」

「ぐ……」

「――あの」

二人の間に、光彦が口を挟んだ。

「さっきから何コソコソ話してるんですか?」

「そうだ! オレ達にも聞かせろよ」

と、元太もコナンを睨む。そこに歩美が割って入った。

「ねぇ、もしかして……さっきの話の続きしてたの? 詳しい話っていうの」

「ええ。そんなところよ。順序立てて話してあげたら、江戸川くん?」

「へ?」

突然に話を向けられて、コナンは目をしばたたかせつつも、

「あ、ああ。でも何から話したらいいのか……」

「あっ、ボクでしたらお構いなく。大体の見当はついてます」

と、光彦は挙手して断った。

「要するにボク達、ゲーム中のエラーに巻きこまれてしまってるんじゃないですか?」

「うん。ごく簡単に言えば、そうなるな。少なくともココは、まともなトコとは言えねーよ」

「オイ……」

と、引きつった顔で抗議したのは元太である。

「一体ソレのドコが『簡単』なんだよ。――分かるか、歩美?」

「んーと、今ココにいるのは危ないんだって事は、何となく分かるけど」

「それだけ理解してれば充分よ。今必要なのは、知識よりも行動だもの」

「そうだな。小難しい理屈は、いつでも言える。実際オレ達に残されてる選択肢は
少ないんだ。退路が完全に断たれてる限り、今のオレ達に出来る事は、ただ一つ」

「勇気を出して、あっちの奥にある扉から先へ進む事。ソレしかないわ。
そして、穏便にゲームクリアの出口を目指して行けば」

「え?」

哀の台詞に、コナンは目を見開いて彼女を見た。
そんなコナンには反応しないまま、哀は台詞を続けた。

「この状況は必ず打開されるわ。そう信じましょう」

「うん、そうだよね!」

「ええ。このままジッとしてたって、ダメですよね」

「よし。そうと決まったら、さっさと行こうぜ」

三人組は、早足で奥の扉へ進んで行った。コナンと哀は、その跡を急いで追った。
コナンは歩きながら、隣りの哀に話しかけた。

「なぁ、どうしてお前あんなこと言ったんだよ」

「あんな事って?」

「ゲームクリア、なんてさ。お前なら絶対、ゲームオーバーって言うと思ってた」

「まぁね。こんな事態になってしまっては、どっちも似たような物よね」

と、哀は苦笑を湛えて言った

「極端な話、あのまま黒い物体に飲みこまれてしまってても、現実に帰る事は
出来たと思うわ」

「だろうな。アレは多分、係員側が介入してきてる結果だろうから。でもよ」

「あの物体に飲みこまれたら、”ゲーム”の私たちは確実に死を迎えるはず。
”現実”の私たちは無事でもね」

「そう。さっきの廊下みてーに、何もかもバラバラに刻まれるかもしれない。
安全に終われる保証は、全くねーんだ」

「だから先へ進むのよ。止まらずに、戻らずに。私たちはともかく、
小学生の彼らにそんな体験をさせるのは、残酷すぎるもの」

「へぇ……」

と、コナンはどこかしみじみと、

「お前って、ほんとアイツらには目をかけてんだよな。
その優しさが、せめてもう少しでも普段の態度に出れば……」

「何か言った?」

「別に」

「そんな軽口叩いてる場合かしらね。もしかして肝心な事、忘れてない?」

「ん?」

「本来このゲームでは、中盤で新たなプレイヤーが仲間になるイベントがあったわよね、
確か」

「ああ。つまり一人は途中参加になるって言われて、プレイ前に結構モメて。
それで結局は……あ」

台詞は最後まで出なかった。

「ああっ!」

「そう。例の彼女が立候補したのよね、引率役の代表として。
そして、もしもエラーが発生しだしたのが、彼女がココに参加した直後辺りだとしたら?」

「!」

コナンの脳裏に、醜悪な映像が浮かんだ。自分の(本来の)愛すべき幼なじみが、
あの黒色に飲みこまれて刻まれる、その様が。

哀は肩をそびやかして、

「まぁ、とっくの昔に戦闘不能の身になってる可能性も結構あるけどね」

「え、縁起でもねーこと言うんじゃねーよ。蘭の奴が、そんな」

「可能性があるって言ってるだけよ。合流できる可能性も同等にあるわ」

「言われなくても分かってるよ!」

と、コナンが怒声を上げた時、歩美たちが奥の扉の前から声をかけてきた。

「コナンくーん? 灰原さーん?」

「さっさと来いよ!」

「ボク達には前進あるのみです!」

「ああ分かった分かった、今行く。――灰原、お前も急げよ!」

「ハイハイ」

言い合いながら走るコナンと哀に対し、三人組も小声で言い合っていた。

「ほんとアイツら、いつも口喧嘩してるよなぁ」

「仲良くすればいいのにねぇ」

「喧嘩するほど仲がいい、とは言いますけどねぇ……」





next

『名探偵コナン』作品群へ戻る


inserted by FC2 system