≪SCENE 5≫


「ねぇ、そんなに痛いの?」

「イヤ、別に」

痛いわけじゃない。少し気分が重いだけだ。
新一は頭から手を離した。受付でチケットを買い、園内に入った。
間違いない。今自分は「あの日」にいる。絶対忘れられない日に。
今日は蘭とデートした日。殺人事件のあった日。そして――。

「あのさ、蘭。一つ訊きたいんだけど」

「何?」

「お前の家って今、おじさん――お父さんと二人暮しだったよな」

「ええ、そうよ」

「他には誰も居ねーよな。居候なんてのも」

「何言ってるの。そんなの居るわけないじゃない。お父さんの世話だけで大変なのに」

「そ、そうだよな。それじゃもう一つ。『コナン』って……分かるか?」

「確かホームズの作者の名前でしょ――って。さっきから一体何なの?」

「イヤ、何でもねーよ。気にすんな」

顔を覗きこんでくる蘭に、新一は首を振った。
そんな時、新一は視界の隅に人をみとめた。大学生くらいの、長い髪の女性。

「ど、どうしたの?」

やにわに駆け出した新一を、蘭は慌てて追った。

「ひとみさん!」

呼ばれた女性は反射的に振り返った。新一を見て小首を傾げて、

「どなたですか?」

「あ……」

新一は声をかけてから後悔した。
確かにこの女性は、これから罪を犯す。恋愛関係のもつれで、元恋人を殺害する。
しかし、今の時点でソレを問いただしても意味はない。
そう思った時、新一は愕然となった。あるべきはずの物がない。

「あ――、あなたネックレスは?」

「ハイ?」

「だからその、真珠の、二連の、長い」

「ええ。そんなのなら確かに持ってます。今日は家に置いてありますけど」

「……」

「オイコラ。オレの女にちょっかい出してんじゃねーぞ」

「岸田くん!」

安堵した顔で相手の名を呼ぶ女性。一方、新一は卒倒したいのを必死で堪えていた。
当時殺された男性が、まだつながっている首をこちらに向けて歩いて来ている。

「どうした? 絡まれてんのか?」

「ううん、そういうわけでもないけど。ちょっと」

「あ、あの」

状況に付いて行けず、新一は半ば無意識のうちに尋ねていた。

「あなた方、まさか、恋人、同士?」

「悪いかよ」

男性は女性を引き寄せた。自然に唇を重ね合う。親密な関係なのは明らかだった。

「まだ何か用か?」

「……いいえ」

そう答えてその場を立ち去る事しか、新一に出来る事はなかった。





「ねぇどうしたの? ねぇってば」

新一は無言で歩き続けていた。蘭が何度目かの問いを投げた時、新一は立ち止まった。

「おかしいんだよ」

「何が?」

「あの二人は恋人同士なんかじゃなかった。でなきゃ殺人なんかするもんか」

「は?」

「ソレだけじゃない。さっき乗ったコースターには奴等が居なきゃいけない。
取り引き相手を確認するために乗ってなきゃいけないんだ」

あの、黒ずくめの連中が。

「でなきゃ、話が始まらない」

新一は蘭は凝視した。逡巡した後、

「蘭。オレの話、聞いてくれるか? 信じられない話なんだけど」

その言葉を境に、新一は堰を切ったように話しだした。

組織の事。謎の薬の事。ソレで自分が子供に変えられた事。蘭の家に転がりこんだ事。
蘭の父親を名探偵に仕立て上げた事。小学校での生活。増えていった仲間。

コナンとして解いた数々の事件の事も、思いつくままに語っていった。
今の自分の境遇――過去に戻った事――まで話し終えると、ため息が出た。
一体どれくらいの時間を費やしただろう。これほど長く喋ったのは、
生まれて初めてかもしれない。

新一は、改めて蘭の顔を見た。蘭は黙って新一を見ていたが、やがて口を開いた。

「そう。それで目が覚めたら、何もかも元に戻ってたっていうのね」

「ああ。小さくなる前にな」

「そっか」

と、蘭は相好を崩して、



「凄い夢見たんだね」



「え」

「まるでSFみたいじゃない、子供になるなんて。小説にでもしてみたら?」

「待てよ」

「でも新一が小学生だなんて、笑っちゃうな」

「蘭!」

信じてくれない事くらい、最初から覚悟していた。新一自身、他人から聞いたら
爆笑していたに違いない。しかし。

「ホントにホントなんだ。オレは本当に小さくなって、オレは」

「新一」

蘭の声は穏やかだった。

「あなた疲れてるのよ。この頃ずっと働き詰めだったから。
だからそんな夢見たりするのよ。忘れちゃった方がいいよ、そんな夢」

「……」

「それとも、わたしが忘れさせてあげようか?」

と、蘭は新一の体に手を置いた。新一の顔を見上げ、そっと目を伏せた。

「……」

寄り添う相手に、新一は暫し固まっていた。
すぐそばに、想い人の顔が――唇が、ある。
抗う事は出来なかった。新一は吸い寄せられるように相手を抱き、顔を近づけた。
あと数センチにまで迫り、自らの目も伏せた時、新一の頭の中で何かが閃いた。

……?

閉じた瞼が映す物は、何もない。ただ暗闇が広がるだけだ。
だが、その闇の中に何かが見える。黒い人影が一つ、二つ、三つと増えていく。
その内の一つが、こちらを向いた。凍りついたような目が、こちらを刺した。

「――!」

冷水を頭から浴びせられたような衝撃を受け、新一はパッと目を開いた。
だがそのおかげで、頭は完全にクリアになった。もやが晴れたような感じだ。

新一は、蘭の体を押し戻した。

「違う。お前は蘭じゃない」

「え?」

「アイツがそっちから迫ってきたりするもんか。ソレだけは譲れない」

それだけ言って新一は、全速力で走り出した。

「新一!?」

蘭の戸惑ったような声が後ろから聞こえたが、新一は敢えてソレを振り切った。





新一は、自分の愚かさを呪っていた。
問題を解決したかったら、まずはその原因を探さねばならない。
ソレを潰す事こそが、唯一にして最良の物なのだ。

新一は足を止めた。問題の元凶は今、彼の眼前にあった。
ドアを開け、中に入った。
最初に大きな文字盤――掛け時計が視界に入った。針の立てている音が耳に届く。
奥には店主が立っていた。分厚い眼鏡、地味な背広。髪もヒゲも、雪のように白い。

店主は前と全く同じ口調で言った。

「ようこそ、ボウヤ。何か御入用かね?」





next

『名探偵コナン』作品群へ戻る


inserted by FC2 system