「なぁ、前から気になってとるんやけど」

「ん?」

「その眼鏡、度、入っとるん?」

「イヤ、ただの素通しさ。レンズは追跡機能のために嵌めてあるんだ」

「ちょっと見せてみ」

「すぐ返せよ」

「へぇ……意外に重いな」

「と、平次は黒縁眼鏡をもてあそんでいたが、不意にコナンの顔を覗きこんできた。

「何だよ」

「イヤ、素顔は初めて見たなぁ、思てな」

「あ……」

"小学1年生・江戸川コナン"として、眼鏡のない顔を平次に見せたのは、
確かに初めてだった。寝床でも風呂でも外さないでいるのだから。

「苦労しとるよな、お前も。こんな物で顔隠したりして」

「まぁな」

「辛いやろ。あのねーちゃんにまで隠し事するんは」

コナンの顔に朱が差した。愛すべき幼なじみの顔が、脳裏に浮かんだのだ。

「別に。あんな保護者気取りの奴なんか、どうだって」

「ホンマか?」

と、平次はコナンの肩に両手を置いた。いつになく暖かな眼差しを向けて、

「本音ぶち撒けるんやったら今やで。今だけやったら、何でも聞いたる」

「……?」

「話すだけ話してみ。結構スッキリするもんやぞ」

「……いい……のか、本当に?」

「ああ。オレを信用しろ」

「……」

コナンは俯かせていた顔を上げた。
それこそ目の前に平次の顔があった。二人は触れ合う寸前にまで接近していた。
我知らず、コナンは導かれるように口を開いた。



「服部……、オレ……」



「何や? コナン……」



コナンの顔が、固まった。口を開いたまま、暫し棒立ちで相手を見つめていた。
相手の方はと言えば、未だ真剣な目でこちらを見返している。

コナンは再び俯いた。その肩が小刻みに震えだした。

「そうか……そういう事か。なるほどね」

「?」

「悪趣味だな、あんたも」

と、コナンは再び顔を上げた。そこには冷たい微苦笑があった。

「もしかして、オレの知り合い全員に化けるつもりかい? 怪盗キッドさん」





「な……何をいきなり」

「流石だよ。今度もあんたの変装には気づけなかった。今の今までね」

相手の手を振りほどいてコナンは言った。

「オレと服部の仲を調べ抜いた事は褒めてやる。でも最後の最後でミスったね。
アイツはオレの事を、真顔でその名前で呼ぶ事なんてまずねーんだよ」

実を言うと、最初から違和感はあったのだ。ソレも考えてみれば当然だった。
キッドがコナンの正体を知るはずはないのだから。
だから、何度咎めようと「工藤」と呼んで憚らない平次の悪癖に、
コナンもこの時ばかりは感謝していた。

「……そっか。『ボウズ』って呼んでりゃ、まだ良かったのか」

ガラリと相手のアクセントが変わった。コナンに眼鏡を返して、

「分かった。芝居はよそう。君に対して失礼な態度は控えたい」

「だったら聞かせてもらおうか。まず――この予告は本気なのか?」

と、コナンは紙を手にして、キッドに詰め寄った。

「ああ、まぁね。でも多分、実際に狙うのは、ずっと先になるはずだ。
盗んでおきたい物は、他にも近場にまだあるからね」

「もう一つ。今日の目的は何だ? まさか、ただの世間話しに来たわけじゃねーだろ?」

「ソレなら既に言ったつもりだよ」

「何?」

「オレが知りたい事は、ただ一つ。君の正体だ」

「!?」

「君が見かけ通りの人物でない事は分かってる。知り合いに調べてもらったんだが、
君のいわゆるパーソナルデータってのが、どうしても見つからないそうなんだ。
実に不思議でたまらない。そしてオレは好奇心が人一倍強いときてる」

「それでわざわざ敵地まで来たわけか」

「情報は常にギヴ・アンド・テイクが原則だ。まずはこっちの手札をある程度見せてやった。
今度はそっちが見せる番だ」

「生憎だが」

と、コナンは無表情で言を継いだ。

「オレは隠してる事なんて何もないし、あんたに教えられる事も何もない。
第一、あんたの正体くらい、オレは自力で見抜いてみせる」

キッドの眉がピクリと動いた。唇の端を吊り上げて、

「へぇ、大きく出たね。君みたいな子供に何が出来る――って、
やっぱ子供じゃねーのかな、ボウヤ?」

「……」

「どうでもいいけど仏頂面よせよ、おめー。せっかくの可愛いお顔が台無しだぜ?」

「余計なお世話だ」

と、コナンはますます顔を苦くした。
コナンの表情が先程から硬いのにはワケがある。要するに、標準語を話す「平次」の様に
耐えられなくなっているのだ。もはや限界である。

「なぁ、あんたってまさか四六時中、他人の顔被って生活してんのか?」

「まさか」

と、キッドは苦笑して、

「そうか。違う姿のオレも見てみたいわけだね。まだ時間もあるし、いいか」

腕時計を見て独り納得してから、キッドは取り出した白いボールを床に投げた。
白煙がキッドを覆った。一瞬で煙は失せ、彼は全く異なる装いに変わっていた。

「――!」

コナンは、文字通り我が目を疑った。
コナンの目の前に立っている相手は、スーツ姿の少年。ソレは間違いなく――。

「お……!?」

『オレ』と言いかけて、コナンは慌てて自分の口を押さえつけた。

「どう? 似てるかい?」

けっこう自信作なんだけど、とキッドは嬉しそうに言ってのける。

「その反応を見る限り、やっぱ『この』男の子が、君の正体のキーワードみたいだね」

と自らの顔を指すキッド。一方コナンは呆然自失しかかっている。

「そういや最近ニュースでも見ねーよな、この顔。この『東の名探偵』くんが
今ドコにいるのか、ボウヤは知ってるのかい?」

「……」

人形のように、コナンは無言で首を振る。

「そうか、つまんねーな。この顔で本人のトコに押しかけたら面白いだろうに」

と、キッドはとんでもない事を口にする。

「よし、だったらこういうのはどうだ? この顔で『お仕事』しちまうってのは」

「!!」

「そしてワザと素顔を晒すんだ。そしたら世の中、大騒ぎに」

「な……な……」

「どうする? それでも君、オレに何も話したくない?」

「い……い……」

「こっちも全部話してやるって言ってるんだ。いい加減に素直に――」

「いい加減にしろっ!」

とうとうコナンは声を荒らげた。

「ガキ扱いしてなめるなよ! 探偵が泥棒と馴れ合ってたまるか!」

上着を脱ぎ捨て、サスペンダーに手をかける。ボタン一つで伸び縮みする、
阿笠博士製作のアイテムの一つだ。これで捕縛すれば、流石の怪盗も逃げられまい。

――覚悟!

と、コナンは叫んだ。もとい、叫ぼうとした。
口が動かない。手も足も、全身が凍りついている。そのうえ眠気まで襲ってきた。

「そろそろ効いてきたみたいだねぇ」

クスクス笑うキッド。

「覚えてる? オレが君に上げたチョコレート。アレ、一種の麻酔薬が入ってたの」

「!?」

「効果が出るまでに時間がかかるのが欠点なんだ。でも、利用法によっては
価値があるって分かったよ。サンキュ」

「……」

「じゃ、オレは帰るから。例のお嬢さんが戻って来るまで、ゆっくりお休み」

「……」

既に自由が利かなくなりソファに倒れこんだコナンを見つつ、キッドは泰然と
部屋を出て行く。

……野郎、覚えてろよ……!

そんなキッドの様子を、コナンは薄れゆく意識の中で見送るしかなった。





「ふぅ」

変装を解き、キッドは本来の姿――高校生・黒羽快斗に戻った。

「……にしても、けっこう骨のある奴だったな」

と、快斗は出て来た建物の方を見やった。

あれほど挑発してもなだめすかしても、あの少年は余計な事は一切、喋らなかった。
アイツは間違いなく、普通の子供ではない。だが、その正体とか秘密とか、
そんな事はもうどうでも良くなりつつあった。

自分にとって必要な事は、アイツが勝負するに相応しいかどうかという事。
中森警部や白馬探とは、また違った意味でこれから楽しめそうだ。

「取りあえず認めてやるよ。――名探偵くん」

独り呟いて、快斗は歩き出した。





――そして彼らは、いずれ再会する。


〈了〉





《筆者注》
この話に登場する宝石「貴婦人の涙」。
実は、別サイトでのリレー小説から拝借した名前です。
ご興味ある方は、INFINITY ZEROさんの所にある「学園天国」をお読み下さい。



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