≪SCENE 5≫
そこで、ハッと目が覚めた。
「!?」
紅子は、恐る恐る起き上がった。
自分が倒れていたのは元通り、部屋の中央の床だった。儀式を行ういつもの部屋。
その部屋も自分自身も、ドコにも変化は見られなかった。
違う。
紅子は分かっていた。あの存在と話した内容は、部分的ながら覚えていた。
おねえちゃんは本物の魔法使いではなくなる。
ハッキリと、そう言われた。
紅子は、自らの掌を見つめた。懐から出した紙片を手にして、指を鳴らしてみた。
何も起こらなかった。火炎どころか、火花さえ現れなかった。
変わったのだ。微妙に、しかし確実に。不可能は可能になったのだ。
紅子は早足で扉へ向かった。カンヌキを外して、部屋から出た。
「おはようございます、お嬢様」
廊下へ出た直後、付きまとう影のような自分の従者が進み出た。
「御用事は、お済みになりましたか?」
「当然でしょ。でなきゃ、この私が出て来ると思って?」
「左様でございますな」
身なりの整った、そして独特な造作をした小柄な男は、深々と頭を下げて、
「お嬢様こそ、赤魔術の正統なる継承者でございます。この世の王となるべく……」
「この世の、ね」
と、紅子は冷笑を浮かべて、
「あなたは知ってるかしら? カード……いわゆるトランプにおいて、
最も強いのは一体何か」
「ソレは……」
ゲームのルールごとに少々変わるが、普通はスペードA(エース)だ。もしくは。
「全53枚と考えますならば、ジョーカーですな。
タロット0番の『愚者(FOOL)』を原型とします、あの」
「いいえ。その特殊な札は除いた、全52枚の中でよ」
「そうでしたら、やはりスペードの」
「そうよ。普通のルールではソレが正解。でも」
従者の言葉を途中で止めて、紅子は断言した。
「本当に一番強いのは、クラブの2(デュース)よ。
どのカードよりも強いスペードAに勝てる、特例にして唯一のカード。
ソレ以外では、他のどのカードにも負けるけどね」
「……?」
従者は、紅子が何を言いたいのか把握しきれないようだった。
「この世で一番強いのは、神でも魔王でもない。まして私たち人間でもない。
私たちの世界の外の更に外で、たった一人で戦ってるあの小さな子が――
本当の王なのよ」
あの時、自分の名を呼ぶなと言った時の、あの存在の迫力は強烈だった。
ソレは、しょせん人間如きが、あの存在を名前で縛る事など出来ないから。
人間が無意識に求めている理想像そのものに、名前など無意味だから。
そんな物、あり得ないから。
でも、あの彼は確かに存在する。コレも真実だ。
せめて、もう一人だけ。誰か、あの彼の事を知ってくれないだろうか。誰にも知られる事なく
戦い続けている彼の事を。それともこんな願いこそ、無茶な相談なのだろうか。
――そんな事ないよ。
「!?」
紅子は、俯かせていた顔を上げた。
――いつか時は来る。そう、候補者なら一人いるんだよ。ボクの事を分かってくれる人の
候補者は。だから時が満ちたら、試してみようかなって思ってるんだ。
噛みしめるように、ゆっくりと言葉が紡がれる。
――今から凄く楽しみだよ。早く見てみたいね、あの帽子のおにいちゃんの驚く顔を。
クスクスと、微かな笑いが交じる。
――それじゃ、ボク行くね。また別の役目が待ってるから。おねえちゃんも急いだ方が
いいよ。まずは学校で、おにいちゃんに会ってみないとダメでしょ? だからさ。
語る少年の声は、弾んでいた。虚空へ消え去る、その最後の台詞の時までも。
――ありがとう。
それきり、何も聞こえなくなった。
この時ほど、紅子は自分の運命を呪った時はなかった。
魔女が涙を落としたら、魔力を失ってしまう。だから自分は泣けない。
自分の周りにいる同性たち、または異性たちのようには泣けない。
だから、その代わりに紅子は祈った。
あの少年が、勝利をつかめますように。そして少年が試そうとしている人間とやらが、
勝利をつかめますように。
ひたすらに祈りつつ、紅子は高校への身支度を始めた。
神々が自分たちに仕掛けた歪んだ罠を、解除するために。
〈了〉
《補足》
登場呪文一覧
紅子が渡された紙片の翻訳
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