≪ACT 3   急転≫



「――うん、そう。――そうなの? ――分かった。じゃあ頑張ってね」

話を終えて、青子は受話器を置いた。

「警部、何て言ってた?」

「うん。やっぱりキッドが現れるのは3時頃の大阪城みたい。それまで警備してるって」

「そっか」

オレは宿の部屋の掛け時計を盗み見た。時刻は午後6時半。

「あー、何か喉渇いたな」

言いながら備え付けの冷蔵庫を開け、缶を取り出した。

「ジュースでも飲むか」

「あっいいな。青子も欲しい」

「ハイハイ」

タブを開けて渡してやる。青子は両手で受け取って、

「じゃあ乾杯ね」

「乾杯? 何の」

「決まってるじゃない。キッド逮捕の前祝いよ」

「へいへい……」





もう、いいかな。

オレは、そっと自分の缶を前に置いた。
青子はテーブルに伏せる形で、静かに寝息を立てている。

そう、例によって睡眠薬を忍ばせたのだ。当分は起きるまい。
オレは部屋を出るために席から立ち上がった。

「快斗。ドコ行くの?」


――びくっ!


オレは一瞬にして総毛立った。
まさかと思いつつ青子を見ると、変わらず気持ち良さそうに寝入っている。

「アイスなら青子も買うからぁ、一緒に行こうよぉ……」

その後は、ムニャムニャ言ってて聞き取れない。
脅かしやがって。ただの寝言かよ。
オレは冷汗を拭った後、決意も新たに宿を出た。

いよいよ、戦闘開始だ。





上にあるのは、月と星の輝く、雲一つない空。下にあるのは、無数のネオンと
ライトの集まり。程よい風が、オレのマントをなびかせる。
まさに今夜は、絶好の泥棒日和(という物があればだが)である。

オレは腕時計を見た。時刻は只今、午後7時13分。オレの”真の”予告時刻まで、
あと7分だ。

まだ意味が分からない人は、あの予告状の冒頭を思い出してみてほしい。














1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12



「秒針のない時計」が刻む「12番目の文字」。ソレは、「へ」に他ならない。
即ち、7時20分だ。

キーワードは、あくまでも予告状そのものにあったのだ。
五十音でもアルファベットでもない。
因みに、ロシア語のアルファベット12番目の文字は「К(カー)」。英語のKだ。
覚えておいても、損はないだろう。

オレは北東を見やった。警察にライトアップされてる大阪城が見て取れる。恐らくあそこに
茶木警視たちが待機しているはずだ。

中森警部たちが読み違えたのは時刻だけじゃない。オレの”真の”予告場所――
「光る天の楼閣」も、彼らは勘違いしていた。
たぶん中森警部たちは、「光る」を比喩的な物とでも思ったんだろう。だがソレは
考えすぎという物だ。

本当の答えはココ――通天閣。ココこそが、文字通りの「光の塔」だ。

そのじつオレの足下の光は伊達じゃない。通天閣の頂上ライトは、日本気象協会からの
翌日の天気予報を伝えているのだ。青が雨、白が晴れ、赤が曇りの意味。
因みに今夜のライトはしろ――オレの服と同じ色だ。

オレはポケットから、片眼鏡(モノクル)を取り出した。知り合いが細工してくれた一品だ。
ソレを右目に嵌めて一息ついたとき、オレの元に白い影が寄って来た。
赤目の銀鳩。盗聴機付きの鳩が、白手袋の指先にピタリと止まる。

オレは盗聴機のイヤホンを外した。息を吸って、



「Ladieeeeeees and Gentlemeeeeeeen!」



くーっ! 一度やってみたかんたんだよなぁ、コレ。

などと余韻にずっと浸っているわけにはいかない。

「さぁ、ショーの始まりだぜ」

オレはシルクハットを被り直し、懐中からリモコンを取り出した。
そして、おもむろにスイッチを入れた。刹那のち。







          夜空に閃光と轟音が走った。







「おーおー、風流だこと」

星空に開く大輪の花々――スターマインは、大阪城によく映える。
警察の混乱している様子は、簡単に想像できた。

「さぁて、お次は……」

目を閉じて、再びリモコンのスイッチを入れた。刹那のち。







          全ては、闇に包まれた。







念のため断るが、これは言葉通りの意味だ。一切のブラックアウト――即ち、停電。

オレは、閉じていた瞼を上げた。
全機能の停止した街。昔の時代ならあり得ただろう、真の暗闇。
しかし現代社会において、最早そんな物は存在しない。
ポツリポツリと、眼下には明かりが灯り始める。自家発電ビルの照明だ。
オレは小型望遠鏡を目に当てた。一つずつビルを数えていく。

「方円坂ミカド病院、ホテル堂島センチュリー、天満九級医療センター、
ホテル・チャンネルテン、浪花TMS病院、関西ホテルワールド……」

違う。病院やホテルは関係ないんだ。
オレが求めている物は、ただ一つ。ソレは、「エッグを護るために」自家発電している
建物だ。

「!」

ネオンの瞬く古いビルに、オレは思わずほくそ笑んだ。

「ビンゴ……!」

オレは通天閣の頂上から舞い降りた。ハンググライダーで空を切る。
気配を感じて下に顔を向けると、小さな人影が車の間を縫って走っているのが見えた。

例の少年だ。どういう手段で移動してるかはよく分からないが、間違いない。
オレの目的に一番に気づき、それで追って来たんだろう。アイツはそういう奴だ。
アイツと初めて会った時の衝撃は、今でもハッキリと思い出せる。
思いを巡らせかけた時、爆音が別の方角から聞こえてきた。

バイクだ。猛スピードで小道を駆け抜け、あっという間に少年に追いついた。
少年の影とバイクのそれは一つに合わさり、そして更にスピードを上げた。
オレはハンググライダーの体勢を立て直した。

悪いな、ボウズ。今回は、おめーと遊んでる暇はねーんだ。





オレは、ネオンの瞬くビルの屋上に下り立った。
地味な外観だ。本来は倉庫的な建物なのだろう。
外部からソレと気づかれないよう、警備も手薄になっている。侵入も簡単だ。

問題の部屋に辿り着く。咳払いを一つしてから、激しくドアの下方をノックする。

「誰だ?」

と硬い口調の警部に叫ぶオレ。

『警部さん、大変! キッドがこっちに来てるんだ!』

「な、何っ!?」

幼い声に半ば反射的にドアを開け、床の方から目線を上げて、顔が凍りつく。

「き、貴様……」

「こんばんは。そして――お休みなさい」

と挨拶して催眠スプレーを吹きつけると、中森警部はよろめいて倒れた。

「警部!?」

と血相を変える部下二人も、同様の結果に終わる。

楽勝、だね。

テーブルの上の木箱を抱え、窓を開け放った時。

「キッド!」

例の黒縁眼鏡の少年が駆けこんで来た。
オレは愛銃を少年に向けた。飛び出たスペードA(エース)は、瞬時に煙幕に変わる。

「!」

煙が消えた時には、オレは既に姿を消している。

「しまった!」

「急げ、工藤!」

焦ってる声を後ろに受けながら、オレはハンググライダーの飛行を再開する。

もちろん向こうもバイクで執拗に追ってはくるが、獲物を手に入れればこっちの物だ。
後は着地点を目指すだけ。
オマケにオレが高度を下げはじめた時、派手な音が聞こえた。どうやら事故って
くれたらしい。ますます好都合だ。

と、有頂天になったのが悪かったのか。

オレは別の気配を感じ取った。禍々しい――殺気を。
無意識のうちに、オレはそちらへ顔を向けていた。

誰かが銃を構えている。ワルサーPPK/Sの銃口。ソレをオレは目の当たりにした。
乾いた銃声と共に、稲妻のような衝撃がオレの右目を貫いた。
弾の威力にも押されて、オレの体は小石のように落ちていく。

消え入りそうになる意識の中で、オレは緊急用バルーンのスイッチを0Nにした。





ベイエリアの石畳に、オレの体は勢いよく叩きつけられた。

「い、痛てー……」

我知らず泣き言が漏れる。それでも無理矢理に、倒れている体を起こした。
何となく鈍痛がある。どこか妙な具合に打ちつけたらしい。でもバルーンの浮力に
助けられたから、この程度で済んだのだ。そして何より。

「このジイちゃんの片眼鏡が無かったらと思うと、ゾッとするぜ」

片眼鏡を外してみた。レンズが半分、フレームごと吹っ飛んでしまっている。しかし、
だからこそ眼そのものは救われたのだ。もしもコレが特別製のガラスでなかったら、
確実に失明……どころか、絶命していた事だろう。

ったく、やってくれるぜ、あの野郎。どういうつもりか知らねーが、いきなり
撃つこたねーだろが。正気の沙汰とは思えねーよ。

壊れた片眼鏡はひとまず仕舞った。確かスペアがポケットにあったはずだ。しかし。

「くそっ!」

石畳に放り投げた。
畜生。こっちのレンズ、落ちた衝撃で粉々になってやがる。

ただ、エッグが無事なのはホントに良かった。割れたのは箱だけだ。
オレはエッグを手に取った。一見オモチャのような、そんな卵。
けど、コレこそが本物の秘宝――「メモリーズ・エッグ」である証だ。

それにしても。
そもそも、何で「メモリーズ」なんだろうか。
疑問を抱えつつ、オレはエッグの底を見た。微かな光が目に留まる。

こんな所に、鏡?

オレは慎重に鏡に触れてみた。パチリという音を立てて、外れる。
どうやら後から嵌めこんだ物のようだ。

「?」

何かが映っている。月明かりによって掌に当たる反射光の中に、影が。

コレは、もしかして……。

オレはペンライトを出して点け、鏡に当てた。石畳に影が映る。
やはりコレは、魔鏡だ。特殊な細工を施して、反射光の中にだけ像を出す仕組みの鏡。
そして、その反射光の中に浮かび上がっている物は――城の姿だ。
ソレを見た瞬間、おぼろげだった記憶が鮮明に蘇った。

そうだ。やっぱりそうだ。あの時、オレはあの人と――。

感慨に耽りかけた丁度その時、最悪の気配が近づいて来た。

マズい。あの少年が来ちまった。

オレは急いで鏡をエッグに戻し、エッグを箱に戻した。それから身をひるがえし、
縁の柵を飛び越えた。

少年が姿を見せたのは、オレが柵の外側に隠れたのとほぼ同時だった。
首を伸ばすと、少年がオレを探している様子が見えた。
まぁ、いくらアイツが鋭くても、オレがそばの柵に引っ掛けたワイヤーに、情けなく
ぶら下がっているとは思うまい(思われたら嫌だ)。

でも冷静に考えるとこの状態、仮にも怪我人には辛い体勢だったりする。さっきは
平気だった右目も、今頃になって痛みを感じ始めている。
早く帰ってもらえないかと俯いて、オレは異変に気づいた。
アイツが――服に仕舞ってたはずの鳩が、入ってない。ドコにも居ない。

ちょっと待てぇ! アイツ一番優秀だったんだぞっ!?
もしやと思って柵の向こう側を見ると案の定、鳩は少年の足下でもがいていた。
鳩に気づいた少年は、ひざまずいて丁寧にすくい上げた。

「この鳩……」

と呟いて、少年がほんの一瞬だけ見せた表情を、オレは一生忘れる事はないだろう。
だが少年はすぐ鉄面皮に戻り、鳩を懐に抱いた。

「あん……?」

オレは右目を瞬かせた。
痛みが少しずつ増してきているというのもあるが、さっきからどうも変なのだ。
少年の顔に、体に、別の影が重なって視えるのだ。何か、イヤ、誰かの影が。

少年は次にエッグの箱を見た。中身が無事である事を確認する。それからハッとした
顔になり、おののいて海を見つめる。オレが撃たれた事を悟ったのだろうか。

少年に重なる影は、どんどん強くなっていく。
最後にはオレの右目は、実像とその虚像とを完全に入れ替えた。



「!!」



撃たれた時よりも激しい衝撃が、オレの体を駆け抜けた。
少年が通報するためにこの場を去ってくれたのは、本当に幸いだった。
何故なら、少年が居なくなってすぐ、オレはワイヤーから手を離してしまったから。



『一度廻り始めた運命の輪は、もう誰に求められません。神の御手でさえも』



この前聞いた紅子の声が、頭の中で反芻される。



『でも一つだけ、お願いします。一つだけ』



アイツは、最後にこう言ったのだ。





『鏡の中の自分とだけは、決して争わないで』








――ざぱん。



間の抜けた水音が、小さく鳴った。

オレの右目が捉えた相手は、幼い子供ではなかった。もっと言えば、小学1年生の
江戸川コナンなどではなかった。

アイツはオレと同じくらいの背格好をした、一人前の男だった。
そして現在行方不明の名探偵・高校2年生の工藤新一に、間違いなかった。





そうだ、誤解の無いよう補足しておくけど。この晩、世を徹して行われた警察の捜索でも
オレが確保される事はなかったので、あしからず。





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