≪ACT 4   発覚≫



「『メモリーズ・エッグ』……ですか?」

あの時、オレのおやじは確かにそう言った。

「私の父についての事は御存知かしら」

「ええ。ある程度は」

話相手の、白い髪が綺麗なお婆さんは、紅茶を一口飲んでから、

「父はかつて、ファベルジェの工房で細工職人として働いていました。現地でロシア人の
女性――母と結婚して、革命の翌年に二人で日本に帰国して。母は娘を――
私を産みました。ところが間もなく母は死亡し、9年後、父も45歳の若さで亡くなりました。

「という事は……」

「ハイ。私にあるのは父の記憶だけです。母の事は覚えていません」

と、お婆さんは寂しそうに笑った。

「夫も娘夫婦も10年前に交通事故で亡くなって。私だけが何故か生き残っている
というわけです」

「何をおっしゃいます。あんな立派なお孫さんが居られるじゃありませんか。
確か17歳でしたっけ」

「ええまあ……でもあの子も渡仏したいと言いだしてますし。やはり時間はありません」

と、お婆さんは紙切れらしき物を差し出した。

「コレが、父が書き残した図面です」

おやじはテーブルに置かれた紙を覗きこんで、

「『メモリーズ』……確かに」

納得したような顔になった。

「絵で見ただけでも相当の芸術品ですね。しかも2個もあるとは」

「2個、と言いますと?」

「御覧下さい。1枚の紙に書かれて千切れた物にしては、輪郭が微妙に合っていません」

紙の上で、指を動かしてみせる。

「本当はもっと大きな紙に2個書いてあったのが、真ん中が全部無くなってしまって
いるんです――などという事は、既に御存知ですよね」

「流石ですわね。おっしゃる通りです」

「それで問題は」

と、おやじは腕を組んで、

「これらのエッグが現在ドコにあるのか全く分からない。という事ですよね」

お婆さんは頷いた。

「要するにこの二つのエッグは、あなたの父上が作った物。あなたの父上は
ロシア革命の後、夫人と共に自分が作ったエッグを日本に持ち帰った。
そして、ここ横須賀にこの城を建てた……。つまり」

おやじは顔を上げて、

「エッグはこの城にある?」

「可能性は高いでしょうね」

と、お婆さんはテーブルの上に古臭い鍵を置いて、

「恐らく、コレがその隠し場所の鍵なのでしょう」

「失礼ですけど、ココを捜索した事はあるんですか?」

「ええ、一応は。でも」

苦笑して、

「ココを無闇に掻き回せない事は、あなたが一番御存知のはずではありません?」

「あ……ハイ」

お婆さんの言葉に、おやじも何故か苦笑を返した。

「本当に、とんだ置き土産を残してくれたものですね」

ため息をついてから、おやじはこう言った。

「『世紀末の魔術師』――香坂喜市さんは」





……要するに、何を話してるんだろう?

扉の隙間に顔を近づけながら、当時のオレは首を捻っていた。
話してる言葉そのものはシッカリ聞こえる。だが奇妙というか当然というか、
肝心の内容は全く理解できなかった。
それでも二人の熱心そうな様子は面白かったが、そろそろオレは飽き始めていた。

……そういえば、あの人ドコに行ったんだろう?

本当なら今頃は、あの人の部屋で寛げていたはずなのだ。
けれど案内されるうち、あまりの広さにワケが分からなくなってしまったのだ。
それにドアの向こうや通路の奥に何があるのか、気になってたまらなくて。
結局オレは相手とはぐれ、おやじとその知り合いとの会話を仕方なく聞いていたのだが。

「ったくもう」

悪態をついても、声変わり前では様にならない。

「おねーちゃん……」

我知らず、呼ぶ声が零れる。

「おねーちゃん……」

次第に大きな声になる。駆け足になる。

「おねーちゃんてば!」

不安になって見回して、そして、あっと声を上げた。

「良かった……もう会えないかと思った」

「ソレはこっちの台詞よ」

呆れたような、しかし暖かな声で、彼女は言った。

「もう、目を離すとすぐどこかに行っちゃうんだから」

と、彼女はオレの手を力強く握りしめた。





「わぁ……」

彼女の部屋に通されたオレは、歓声を上げていた。

「綺麗な部屋だね。それに広いし」

「そんな事ないわよ」

と、彼女は照れくさそうに首を振った。
慣れた手付きで紅茶を淹れてくれる。お茶会が始まった。

「パリ?」

「ええ。今お祖母様と話し合ってる最中なの。行かせてほしいって」

どうせなら向こうで腕を磨きたいからね、と彼女は明るく言った。

「でも寂しくないの? 離れ離れになっちゃうんでしょ?」

「うん……そうね。そりゃ寂しい気持ちも勿論あるし」

「だよね」

と、オレは腕を組んで、

「オレだっておやじと離れるの、絶対嫌だもん」

「まぁ」

「アレ?」

彼女を顔を見ているうちに、オレは気づいた。

「おねーちゃんの目って」

「そう、灰色なのよ。お母様もお祖母様も同じ色で。多分ひいお祖母様の色を
受け継いだんだと思う」

「ひいおばーさま?」

壮大な話になってきた。

「ひいお祖母様は、ロシアの人だったから」

「ロシアって……どんな人だったの? 顔とか」

「それが、よく分からないのよ。会えるものなら会ってみたいんだけど」

少し遠い目をしてから、我に返って、

「あ、ゴメン。変な話しちゃったわね。ホラ、遠慮しないで食べて」

「ハーイ」

オレは皿のクッキーをつまんだ。口の中に、甘い香りと味が広がる。

「おいしい!」

「ホント?」

「ホントだよ。オレのおふくろも、前にオレの誕生パーティで作ってくれたけど、
ソレと同じくらいおいしい」

「誕生パーティ?」

「うん」

日付を答えると、彼女はふむふむと頷いた。

「そうか、それじゃ双子座か蟹座か……どちらかね」

その辺て境目なのよね、と独り言のように頷く。

「おねーちゃんは?」

「私は牡牛座よ。5月3日だから」

「憲法記念日だね」

「ま、まぁそうだけど」

と、彼女は何故か引きつったような顔で笑った。

「あ。そういえば」

口許に指を伸ばして、

「ボウヤの学校で、こんな言葉流行ってない?」

「どんなの?」

「バルシェ、ニクカッタベカ」

「へ?」

「最近になって、急に思い出したの。でも、どういう意味かサッパリ分からなくて」

「ばるしぇにくかったべか……?」

自分でも言ってみるが、サッパリ分からない。まるで呪文みたいだ。
それでも暫く間、オレは謎の言葉を繰り返し唱え続けた……。





「ぼっちゃま、お起きになって下さいませ。――快斗ぼっちゃま?」

「あ……」

繰り返される声に、オレは夢から覚めた。伏せていた体を起こすと、
この店「ブルーパロット」のマスターの、寺井さんことジイちゃんが横に立っていた。

「何?」

「コーヒーをお持ちしましたが」

「あ。サンキュ」

ジイちゃんはカップをオレに渡してから、テーブルに顔を向けた。
オレの前の、山と詰まれた資料郡。バインダーに新聞に、ビデオテープもある。

「まさかと思いますが、コレ全てに目を通されたのですか?」

「一応な。見落としがねーか確認してただけだよ」

「あまり無理はなさらない方が……」

と、ジイちゃんが心配するのも当然だ。
オレだって青子との旅行から帰ったばかり、しかも病み上がりの体でこんな事したくない。
本当なら今頃は、小休止してる予定だったんだ。

オレのおやじ・黒羽盗一が探してた「メモリーズ・エッグ」を正当な持ち主、
即ち作り主である香坂家に渡す。ソレが今回の目的だった。
その目的は一応達成できた。エッグの展示は取り止めになったし、
あの人――香坂夏美さんも、先月亡くなったお祖母さんの後を継いで動きだした。
鳩の方も保護されてる。

夏美さんは今、東京に向かってる鈴木家の船で鈴木家と交渉中だ。因みにエッグの
関係者はほぼ全員その船に集まっている、と盗聴機は知らせてくれた。
だから後は、夏美さんを護る算段でも考えれば終わりだったのだ。――昨日までは。

オレはコーヒーを飲む手を止めて、

「なぁ、ジイちゃんはどう思ってる?」

「私ですか?」

と、ジイちゃんは少し戸惑っていたが、やがて襟を正して、

「恐らく、ぼっちゃまと同じ考えと存じます。私も、最初は理解不能でした」

「……」

「ですがどう調べても、江戸川コナンなる人物の個人データは存在しません。
特に小学校転入以前の情報は皆無です。一方、工藤新一はその全く逆です。
遊園地での殺人事件解決を最後に、彼の消息は完全に途絶えています。
未確認の噂が僅かにあるだけです」

「……」

「その後の調査で、江戸川コナンが入院した際のデータを入手する事に成功致しました。
その結果、彼の血液パターンなどが完全に」

「工藤新一の物と一致したってんだろ? その辺はもう聞いたよ」

「あ。ハイ」

「……」

別に信じられないってわけじゃないんだ。最初から、もしかしてって思ってたんだ。

素顔を隠すための伊達眼鏡。その場その場で使い分けてる性格。どれも怪しかった。
だからアイツが「工藤」と呼びかけられていても、その「工藤」の子供時代の顔と
アイツの顔とが同じでも、大して驚きはしなかった。

……イヤ、違うな。

オレはやっぱり、高校生と小学生が同一人物なわけがないと思ってたんだ。
でなきゃ、今これほど混乱してる理由が見つからない。

本当の真実を知ったきっかけは、あの瞬間だ。
アイツを乗っ取るように重なった、あの鮮やかな映像を視た瞬間。

今回ばかりは、紅子の予言も当たっちまったかもしれない。
あの時、視てはいけない物を視てしまったような、そんな気持ちさえ感じたのだから。

「ジイちゃん。オレ、ずっと自信あったんだ。オレは世界で二番目のマジシャンだって。
不可能な事なんかねーって、そう思ってた」

少なくなったコーヒーを、カップの中で揺らす。

「でも居たんだな。上には上が。いくらオレでも、子供には変装できねーもんなぁ」

「ぼっちゃま……」

「どういうマジックなんだよ。子供になって、好きな女の家に転がりこんで、正体隠して
陰から事件を解き続けて。どういうつもりなんだよ。ワケ分かんねーよ!」



――ガチャン!



自分でもビックリするような力で、オレはカップをテーブルに叩きつけていた。

「確かに、理解に苦しむ行動ではありますな。ただし、我々から見ればの話ですが」

「え? どういう意味だよ、ソレ」

「ならば、僭越ながらお尋ねしますが」

と、ジイちゃんは別の椅子を引き寄せて座って、

「そう言うぼっちゃま御自身は如何ですか?」

「オレ自身?」

「高校生の身でありながら、怪盗の名の下に世間を騒がせ、周りの人々を欺き続ける。
あまりに許しがたい狼藉とは思いませんか」

「な……」

キッパリ言われて、オレは一瞬言葉を失った。

「何言ってんだよ! オレはおやじの後を継いだだけだぜ? そりゃ、青子や警部には
悪いと思ってるけど。おやじを殺した奴等に一泡吹かせるまでには、この仕事は
やめらんねーよ! ジイちゃんだってそうだろう?」

「勿論です。ですが、ソレはあくまでも我々側の事情です。他の人に言っても通用する物では
ございません。さあ、コレを逆に考えて御覧なさい」

「逆に……?」



他人には決して分からない事情。でも自分にとっては大切な――――――――何か。



「そっか。隠し事は、お互い様ってわけか」

同じ、なんだな。結局は。オレもアイツも、誰もかも。

「なぁジイちゃん、アイツに関する調査だけど。もういいよ、やらなくて」

「宜しいんですか?」

「ああ。『知らぬが仏』って言葉もあるしな」

と、オレが笑った時。


――ピーッ!


傍らに置いてある機械の音が、空気を切り裂いた。オレはイヤホンを耳に当てた。
オレは機械を止めて、席から立った。

「悪いな、ジイちゃん。オレ、ちょっと警視庁まで行って来る」

「どうしました?」

「緊急事態だ」

オレは短いセンテンスで答えた。

「船で、人が死んだ!」





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