≪ACT 8   禁忌≫



雨が降りだした。
けれど雨宿りする気分には、今はどうしてもなれなかった。

ココに来た用事は、ごく簡単な物だ。目的の人に会いさえすれば、それでカタがつく。
でもオレは行く事も、また帰る事も出来ずに、雑居ビルの階段の前に佇んでいた。


『高校生の身でありながら、怪盗の名の下に世間を騒がせ、周りの人々を欺き続ける。
あまりに許しがたい狼藉とは思いませんか』


そうだ。ジイちゃんの言う通りだ。オレがやってる事も、傍から見れば理解不能だ。


『鏡の中の自分とだけは、決して争わないで』


そうだ。紅子の言う通りだ。アイツはオレで、オレはアイツ。同じなんだ。


そうなんだ。大義名分を掲げて、幼なじみにまで嘘をついて、傷つけて。


もしもアイツがオレの立場だったら、どんな気持ちを抱くのだろう。
今のオレと同じ事を、アイツもするのだろうか。


そもそも、今オレがしようとしている事は、正しいのか?
ただのお節介でしかないんじゃないか?




…………………………。





「やめたやめた!」

オレは叫んで頭を振った。
考えても仕様がない。今はオレがやれる事を、オレにしか出来ない事をやるだけだ。

オレは、ビルの階段に足を乗せた。





オレは階段をのぼりきった。部屋に入ろうとすると、ちょうど少年がドアを開けて
中へ入って行くところだった。オレは止むなく、ドアの陰から中を窺った。
少女はデスクの椅子に腰掛けて、カゴから出した鳩を撫でていた。開いた窓から、
雨音が聞こえてきていた。
少年が言った。

「おじさん、もう寝ちゃったよ。疲れたみたいだね」

「仕方ないよ。大変だったもの」

少女は鳩をカゴに戻し、椅子から立った。開いている窓から、身を乗り出した。

「蘭ねえちゃん?」

少年は、不思議そうに呼びかけた。
少年に背を向けたまま、少女は言った。

「ありがとう、お城で助けてくれて。あの時のコナンくん格好よかったよ。まるで」

振り返った。そして、ハッキリと言った。


「新一みたいで」


少女の顔が、僅かに歪んだ。笑ってみせたつもりだったのだろう。

「ホントに……新一みたいで」

少女の双眸から、涙が溢れた。
少年は身動き一つ出来ずに、立ちつくしていた。

オレは、少女を見つめた。泣き顔に、青子のそれが重なった。
ふと思った。
いつか、オレにも来るんだろうか。アイツにあんな顔をされる日が、いつか。

「でも、別人なんでしょ?」

割れる寸前の風船のような、危うい声。

「……」

「そうなんだよね?」

「コナン……くん?」

「……」

オレは瞳を逸らした。
オレは、入るタイミングを逸していた。今割りこむほどの勇気は、オレには無かった。

でも、いずれ入らなきゃいけない。オレは決断しなきゃいけない。
これ以上、女の子の悲しい顔なんか見たくない。明るい顔にしてやらなきゃいけない。

そうだ。オレはそのためにココに来たんだ。
ただ、それだけの事だ。

オレは、部屋に視線を戻した。

「あのさ……蘭」

少年は、眼鏡を外した。口調が変わっていた。オレと話をする時の口調に。

「実はオレ、本当は――」

少年のその言葉を耳にして、オレは考えるより前に足を踏み出していた。
オレが入った瞬間、その場の時は止まった。





「新……一?」

少女の目線が上がっている事に、少年は気づいて振り返った。

「!?」

少年は絶句した。それも無理はなかった。
戸口に居たのは、絶対に居るはずのない者だったから。
紺のブレザー姿の高校生。工藤新一、そのものだったから。

少女は震える声で、オレに問うた。

「ホントに、新一なの?」

「何だよ、その言い草は。お前が事件に巻きこまれたっていうから、様子を見に来て
やったのに」

と、オレは無愛想に言い返してやった。

少年の方はと言えば、もはや完全にパニックになっていた。
驚きの余りか、少年の顔は見る影もなかった。茫然としきった顔は、
ある意味情けない物さえあった。
だが、やがてハッとした表情になった。相手が誰なのか、思い当たったようだ。

少女は涙を拭った。オレに駆け寄って怒鳴った。

「バカ! どうしてたのよ。連絡もしないで」

「悪い悪い。事件ばっかでさ」

と、オレは肩を竦めてみせて、

「今夜もまたすぐに、出掛けなきゃいけねーんだ」

「待ってて。今拭くもの持って来るから」

濡れねずみのオレに行ってから、少女は走って行った。

これで、いいんだ。よかったんだ、これで……。

少女が視界から消えるのを確かめてから、オレは事務所を去った。

「待てよ、怪盗キッド」

事務所の前の道路で、オレは少年に呼び止められた。オレは立ち止まった。

「まんまと騙されたぜ。まさかあの白鳥刑事に化けて、船に乗って来るとはな」

オレは、指笛を鳴らした。鳩は窓から飛んで来て、オレの右肩に留まった。





オレ達は、会話を続けた。

「お前、分かってたんだな。あの船で何かが起きる事を」

「確信はなかったけどな。一応、あの船の無線電話は盗聴させてもらったぜ」

言いながら、手から次々と鳩を出す。増える鳩は、オレの肩や背に留まっていく。

「もう一つ。お前がエッグを盗もうとしたのは、本来の持ち主である夏美さんに返すため
だった。お前はあのエッグを作ったのが香坂喜市さんで、『世紀末の魔術師』と
呼ばれていた事も知っていた。だからあの予告状に使ったんだ」

「ほぅ、他に気づいた事は?」

少年の推理を聞きながら、まだオレは鳩を出す。機械的に繰り返す。

「夏美さんのひいお祖母さんが、ニコライ皇帝の三女・マリアだったって事を
言ってるのか?」

少年の言葉に、オレは一瞬動きを止めた。





少年は推理を続けた。

「マリアの遺体は見つかっていない。それは銃殺される前に喜市さんに助けられ、日本へ
逃れたから。二人の間には愛が芽生え、赤ちゃんが生まれた。しかし、その直後に彼女は
亡くなった。喜市さんはロシアの革命軍からマリアの遺体を守るために、彼女が持って来た
宝石を売って城を建てた。だがロシア風の城ではなく、ドイツ風の城にしたのは、
彼女の母親のアレキサンドラ皇后がドイツ人だったから」

「……」

「こうしてマリアの遺体は、エッグと共に秘密の地下室に埋葬された。
そしてもう1個のエッグには城の手掛かりを残した。子孫が見つけてくれる事を祈って」

と、少年は目を伏せて、

「とまぁ、こう考えれば全ての謎が解ける」

「君に一つ忠告させてもらうぜ」

と、オレは少年に背を向けたままで、肩をそびやかした。鳩は既に、オレの背中一面に
留まっていた。

「世の中には、謎のままにしといた方がいい事もあるって」

「確かに」

と、少年は相槌を打って、

「この謎は、謎のままにしといた方がいいかもしれねーな」

「じゃ、この謎は解けるかい、名探偵?」

と、オレは両手を一杯に広げて問うた。

「なぜオレが工藤新一の姿で現れ、厄介な敵である君を助けたのか」

「――新一!」

少女が駆け出して来るのと入れ違いに、オレは指を鳴らした。



――バッ!



盛大な羽ばたき。ソレが退場の挨拶。

無数の羽音に、オレの姿はかき消された。

一斉に天空を待っていく鳩たちの羽を一枚、少年は指の間に挟んで取った。

雪の色。オレの装束と、同じ色の鳥の羽。
ソレを見て、少年は果たしてどんな答えを思ったのか。
ソレは今も、オレは知らない。


〈 The End 〉





『偽りの名探偵』「終幕」へ続く

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