独特な部屋だった。
とにかく広い。そして四方の壁という壁が、大小様々な絵画で埋められている。
その部屋の中心で、二人の人間が小さなテーブルを挟んで座っていた。
一人は男。一見したところ20代後半程度だが、もう少し上にも見える。
もう一人は女。やはり細かい歳は計りかねるが、高齢である事は間違いない。
「そう言えば……」
やや薄い色の瞳を向けて、女は思い出したように言を紡いだ。
「こうした形でお話しするのは初めてですわね」
「そうでしたか?」
「ええ。少なくとも、昼間に玄関からあなたがお越しになったのは、今日が初めてです」
「あ……」
痛いところを突かれた。
「ど、どうもすみません。その、癖になってまして」
「まあ」
楽しそうに笑う女。
「ところで、今日はお一人でいらしたんですの?
確かお連れの方がいらっしゃると伺いましたけど」
「ええ。連れて来たというか付いて来たというか……アレ?」
「どうなさいました?」
「イヤ、それが、その」
と、男は周りを見ながら、
「おかしいな、さっきまでこの辺りをウロチョロしてたのに……」
建物が大きいと、庭も相応に広い。
その一角のバラの茂みの前に、ひざまずいている少女がいた。
歳の頃なら16、7。やはり薄い色の瞳で、彼女は愛しそうに花々を眺めていた。
「ゴメンね。少しだけだから」
そう言って、ハサミで一つずつバラを摘み取る。
近づいたアゲハ蝶にも謝りつつ、傍らに置いた編みカゴの中に花を入れていく。
暫く作業を続けているうち、微かな音が少女の耳に届いた。
「誰?」
硬い声による少女の誰何は次の瞬間、悲鳴に変わった。
形容し難い音を立て、茂みの向こう側から、何かが勢いよく転がり出て来たのだ。
ソレを見て、少女は我知らず声を出していた。
「子供……?」
言葉通り、目の前にいるのは確かに子供――少年だった。
せいぜい歳は6、7歳。子供用のスーツ姿で、うつ伏せに倒れている。
「ちょ、ちょっと大丈夫、ボウヤ?」
身動き一つしない少年を、少女は助け起こそうとした。が、ソレより早く、
「いってーっ!」
声の限りに叫んで、少年は跳ね起きた。
「そ、そりゃまぁ痛いでしょうね……」
「アレ?」
少年はやっと相手の存在に気づいたらしい。少女をまじまじと見て、
「おねーちゃん、誰? お姫様?」
「は?」
「だって、お城に住んでるのはお姫様でしょ?」
と、少年は無邪気に建物の方を指した。
少女は首を振って、
「ううん。残念だけど違うわ。私は普通の女の子よ」
「ふぅん」
「ところでボウヤは、どうしてココに?」
「オレ?」
と、少年は自分を指差した。ハッとした顔になって、
「そうだ! おねーちゃん、この辺に蝶々来なかった? 黒くて大きいやつ」
「あ、ソレならさっき来てたわね。もう飛んで行っちゃったけど」
「そっかぁ……」
無念そうに言ってから、少年は少女に尋ねた。
「おねーちゃんはココで何してたの?」
「私? コレよ」
と、少女はカゴの中身を見せた。
少年はバラの山に鼻を近づけて、
「いい匂い……」
「でしょ? 新しいケーキのアイディアに使えないかなって思って」
「ケーキ? おねーちゃん作るの?」
「そうよ。お菓子なら何でも。ボウヤはどんなお菓子が好き?」
「オレはアイスとか好きだな」
「アイスか。悪くないわね」
と、少女は頷いた。
「でも何にしろ、これじゃまだ足りないわ。もう少し摘まないと」
「ふぅん……じゃ、手伝ってやろっか?」
「え?」
「オレのおやじの口癖なんだ。女の人には優しくしてやれって」
「まぁ」
と、少女は苦笑して、
「でもそれなら、もう少し気をつけた方がいいかな」
「へ?」
「人に物を言う時は、もっと丁寧に言わなきゃ」
「どんな風に?」
「そうね……『手伝ってさしあげましょうか、お嬢さん?』とか」
イタズラっぽく言われて、少年は少し考えているようだった。
「えっと……」
所在なく組んだ手の指を動かしつつ、思いきって言った。
「手伝って、さしあげ、ましょうか、お嬢……さん?」
「ハイ。お願いします、小さな紳士さん」
輝く笑顔で答える少女に、少年は思わず顔を赤らめた。
「オヤ、お嬢様もお揃いでしたか。ちょうど良うございました」
少女は声の主を見た。相手は実直そうな初老の男性――この家の執事だった。
「お二人とも、中へお入りになって下さいませ。大奥様と、それから」
と、執事は少年の方にも顔を向けて、
「お父様がお呼びです」
「お祖母様が?」
「おやじが?」
二人の声は計ったように重なった。少女と少年は目を見合わせた。
「そっか。やっぱりあなた、さっき見えたお客さんの」
「うん。そうだよ」
と、少年は元気に頷いた。胸を張って自己紹介する。少女も倣って名を名乗った。
「よろしいですか?」
「ハイ、分かりました。すぐ戻ります」
と、少女は執事に応じてから、弾んだ声で少年に言った。
「じゃ、行こうか」
「うん!」
少年の手を取って、少女は歩きだした。
『偽りの名探偵』「序幕」へ続く
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