≪SCENE 2≫


「いらっしゃいませ。――ああ、ぼっちゃまですか」

「すまねーな、ジイちゃん。普通の客じゃなくて」

「いいえ、構いませんよ」

と、町外れのビリヤード場・「ブルーパロット」のマスターである寺井黄之助は、
穏やかな声で応じた。

「こちらの席で宜しいですか?」

「ああ、サンキュ」

喫茶スペースのカウンター席に、快斗は座った。鞄を手放し、深々と息を吐き出した。

「如何でしたか、今日は?」

「授業は全部出たよ。体育なかったし」

返す声に覇気はない。高校での快斗とは、全く異なる態度だった。
それもそのはず、この寺井こそ、さきほど紅子が言っていた快斗の「正体」を知る
者なのだ。
世間を揺るがす大泥棒・「怪盗キッド」。ソレが快斗のもう一つの顔なのだ。

「それで、お体の方は?」

「ちょっとヤバかったかもな」

と、快斗は右手に視線を向けた。

「とうとう一人に見抜かれた。改良の余地アリだな」

言いながら手首の辺りをつまんで、一思いに脱ぎ捨てた。

「この手袋(スキングローブ)も」

「左様でございますか。指紋まで付いている上物なのですがね」

「どうやっても本物には敵わねーよ。でもその本物が、コレだもんな」

快斗は改めて、右手を注視した。


――何度見ても目に映らない、自分の右手を。


「本当スゲーよな。動くガラス製品って感じだぜ」

ひらひらとさせてから、制服の長袖を捲った。

「ホラ見ろよ、ジイちゃん。もうヒジまで来てるぞ、コレ」

「ええ。見ております」

と、寺井は厳しい眼差しを向けて、

「腕がそこまでという事は、おみ足の方は?」

「足? こっちは、もっとスゲーぜ」

左の靴と靴下を脱いで示すと、寺井も流石に鳥肌を立てた。

「こ、コレは」

「な? 何もねーみてーだろ」

腕の方は見えなくても、まだ輪郭が確認できる。だが足の方は、その輪郭も見る事が
出来ない。他人には、ドコに足があるのかさえ分からない。

「もうヒザの上辺りまでこんな感じ。皮膚の感覚も、少しだけど鈍くなってきてるし」

「それにしても……一体どうしてこんな事に」

「ソレが分かったから苦労しねーよ」

靴下と靴、そして手袋を直しながら、快斗は悪態をついた。

話は、かなり前にさかのぼる。

快斗は仕事の際に、ある少年と関わった。快斗より10歳も年下の幼い子供。だがソレは
仮の姿で、その正体は快斗と同じ年齢の、そして快斗と同じように複雑な事情を抱えた
男である事を、後に快斗は知ってしまった。

この秘密を知った日を境に、異変が始まった。
はじめは目の錯覚だと思った。
右手と左足との指先が、それぞれ少しずつ透けていった。透明な部分は
日ごとに広がって、今ではこの有り様である。

「ホント、このまま進んだらどうなっちまうんだろうね。まずは右腕と左足が根元までだろ。
それから左腕と右足か? そしたら次は」

「おやめ下さい!」

と、寺井は声を震わせた。

「それ以上、縁起でもない事をおっしゃらないで下さいませ。考えたくもない」

「ジイちゃん……」

「あ。申し訳ございません。私ごときが、出過ぎた事を」

「イヤ、いいよ。オレも言いすぎた」

と、快斗は左手を振ってみせた。

「けど実際、どうすりゃいいんだろうな。コレって」

「ええ。病院に行っても解決できる物ではございませんし」

と考えこむ寺井を横目に、快斗は呟いた。

「元の対等な状態に、か」

「ハイ? 何ですか、ソレは」

「例の魔法使いが言ってたんだよ。オレが元に戻るには、アイツにオレの正体を明かせば
いいんだと。それでバランスが取れるとか何とか」

「正体、ですか」

と、寺井は腕を組んで、

「しかし幾ら何でも、その案は危険すぎますな。さして確証のない話でございますし」

「まぁな。そもそも自分から探偵に正体バラす怪盗なんて、聞いた事もねーし」

結局のところ、無意味なアドバイスなのである。第一、何より――イヤ、その前に。

「ところでジイちゃん、今日の夕刊は? いつもその隅のラックにあるのに」

「え! あ、そうでしたか? ええと、一体ドコに」

「相変わらずだな、その下手なとぼけ方」

「あ……」

「その様子だと、ずいぶん面白い記事が載ってそうだな。見せてくれよ」

「は、ハイ」

ためらいがちに差し出される新聞を、快斗は受け取った。社会面を開いて、

「なるほどね。『怪盗キッドから小野銀行へ予告状』か。ジイちゃんの方は、
出してねーんだろ?」

「無論です」

「オレも出してねーわけだし。となれば答えは一つ、か」

偽者である。
快斗は記事を読み進めた。予告状の文面で目を留めた。





   その命 もしも永らえたくあらば かかる所に いざ来られたし
   明日 全ての始まりの時に 全ての始まりの地にて待つ

   怪盗KID





奇妙な文である。具体的な単語は何も出てこない。だからと言って暗号になっている
わけでもない。

「警察は、明日の23時54分に現れると見ているようです。以前その銀行に出した予告が、
その時刻でしたから」

「ああ……」

そう、全てはあの時から始まった。会とはあの時に、今は亡き自分の父親が
怪盗だった事を知り、その怪盗の名を告ぐ事に決めたのだ。しかし。

「この銀行に送ったってのは、やっぱフェイクだろうな」

「ぼっちゃまも、そうお思いになりますか」

「あの頃はオレ達もマスコミも、必ずカタカナで書いてたんだ。
こういうアルファベット表記が取り上げられたのは、ごく最近だよ。
あの時、あの黒真珠を狙った時、初めて大々的に取り上げられたんだ」

「ハイ。国際的な通り名をもっと普及させるべきだ、などという内容でしたな」

「つまりコレの示してる時刻と場所は、全然違うってわけだ」

アルファベットの「KID」にとっての「始まり」。ソレは勿論――。

……アイツと初めて会った時の場所、か……。

「快斗ぼっちゃま。やはり行かれるおつもりですか? この予告状が差す場所に」

「え?」

「そのおつもりでしたら、どうかお考え直し下さいませ。今のぼっちゃまは本調子では
ございません。それにこの文面、嫌な予感が致します」

と、寺井は新聞を指して、

「この予告状の差出人は、ぼっちゃまを挑発しています。
恐らくぼっちゃまに、何らかの用件があるのでしょう。
もしやその人物は、ぼっちゃまの父上である盗一様を殺めた者かもしれんのですよ?」

「その時はその時」

と、快斗は苦笑しながら席を離れて、

「偽者をウロウロさせとくなんてオレの、キッドのプライドが許さねーよ。来いって言うなら
行ってやるまでさ。それに」

「それに?」

「たとえ相手が誰だろうと、オレは退かない。最初っから、そう決めてんだよ」

そう毅然と言い放った。





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