≪ACT 2  超越≫



風で互いの髪が、服が真横になびいている。
立ち上がった少年へ、オレは一歩一歩近づいて行った。

「よぉ、ボウズ」

何はともあれ。挨拶がてらに、オレは少年に呼びかけた。
やっぱりさっきのは錯覚だったようだ。そこにいるのは、どう見てもガキだった。
せいぜい歳は5、6歳。黒縁眼鏡を顔に乗せ、入学式だか七五三だかで
着る制服みたいな上着に、蝶ネクタイを締めている。
そのくせ足に履いてるのはスニーカー。どうにも珍妙な出で立ちだ。

「何やってんだ、こんな所で?」

取りあえず問うてみる。
少年は無言で、ズポンのポケットからライターを取り出し、灯した。
何だか、妙に慣れた手付きだった。
次に、自分の足下の空き缶に差してある棒切れに火を点けた。そして答えた。

「花火」

言うと同時に、光が夜空を駆け上がり───。


──パァン!


派手な音が鼓膜に刺さった。少年の言う通り、ロケット花火が炸裂したのだ。

「あ、ホラ。ヘリコプター、こっちに気づいたみたいだよ」

無邪気な口調で指差す方を、オレも眺めた。
確かに闇を彩るライトが、段々強まってきている。
オレは僅かに息を吐くと、

「ボウズ。おめー、ただのガキじゃねーな」

「江戸川コナン。探偵さ」

「ほぅ……」

只でさえ弓型になっている口の端が、更に吊り上がる。
まさか素直に答えるとはね。やっぱ子供だ。
……それにしても。改めて聞いても変な名前だね。
コイツの親って、一体どういう趣味してるんだか。

「それよりいいの、怪盗キッドさん? 早く逃げないと、ヘリコプター来ちゃうよ?」

と、少年はこっちを見てる。後ろ手に腕を組んで、興味津々といった様子で。
アレはどう見ても、何か企んでる顔だ。
それならお望み適り、こっちも期待に応えてやろうかね。
オレは、懐から取り出した機械──無線機のチューニングを合わせた。
顔に近づけて、コホンと咳払いを一つ。
そして。

『こちら茶木。杯戸シティホテル屋上に怪盗キッド発見。米花、杯戸町近辺を
パトロール中の全車両及び、米花町上空を飛行中の全ヘリコプター部隊に告ぐ。
速やかに現場に直行し、キッドを拘束せよ。繰り返す……』

一字一句復唱する。チューニングし直して、

『ワシだ、中森だ。杯戸シティホテル内を警戒中の各員に告ぐ。キッドは屋上だ。
総員直ちに突入、奴を取り押さえろ。繰り返す……』

これぞ怪盗キッドの十八番・完璧なる変装術だ。
声だけだったら、何にも苦労は要らない。
チラッと横目で少年を見た。案の定、目を白黒させて頭を抱えてる。
人間が自在に声色を変えるトコなんて、恐らく初めて見たに違いない。
オレは無線機を仕舞った。少年を見つめて、こう言った。

「これで満足か、探偵くん?」

ヘリコプター部隊が現場に到着し、警官隊が屋上に駆けこんで来たのは、
丁度その時だった。





「動くな、キッド!」

と、長年の我が宿敵・中森警部が、リボルバーを構えてオレに詰め寄った。
オレは笑みを絶やさずに、

「これはこれは中森警部、お早いお着きでいらっしゃいますね」

「フン、何を言うか。ワシが貴様の予告状を解いて、
ココを張っていたのも知っていたくせに」

と息巻く中森警部。

「ハンググライダーでココから飛び立つと踏んで、
ホテル内の人間を全て調べ玄関口を固めていたが。
まさか東都タワーから迂回して、ココに降り立つとは思わってもみなかったよ。だが」

銃を構え直して、

「あの真珠は諦めろ。貴様にはもう逃げ場はない」

「いいえ」
と、オレはかぶりを振って、

「今夜はあなた方の出方を伺うただの下見です。盗るつもりはありません」

「何?」

「オヤ、お忘れですか? 今日がいったい何の日か。
ちゃんと予告状の冒頭にも記したはずですよ」

「!」

「思い出されたようですね。そう」

四月バカ。つまり、「嘘」ってね。
あんぐりと口を開けてる面々にそう言って、オレは夜空にハンググライダーを
広げてみせる。

「や、奴を飛ばすな、かかれ!」

と、中森警部が叫んだ。だがオレの行動の方が早かった。
フィルムケース程の大ささの黒い物体。ソレを床に落っことす。刹那のち、
全ては白い輝きに覆われる。閃光弾だ。あまりの眩しさに、
中森警部も警官たちも少年も、腕で目を庇った。

「よぉポウズ、知ってるか?」

と、オレは甘い声で少年に囁いた。

「怪盗は鮮やかに獲物を盗み出す創造的な芸術家だが。
探偵はその跡を見て難癖付ける、ただの批評家に過ぎねーんだぜ?」

「!?」

昂然と睨み返す相手に、深々と一礼、そして煙幕と共に退場。
後は何もない空間を、ヘリコプターのライトが照らしてるだけ。
中森警部がトランシーバーで怒鳴る。

「おいヘリコプター、レーダーだ! レーダーで奴を追え」

『そ、それが我々4機以外の影は、この付近上空にはドコにも』

「くそっ……またしても逃げられたか……」

と歯噛みする中森警部。
この「消失(ヴァニシング)」も、オレの得意技の一つだ。
コレが出来なきゃ、マジシャンは名乗れない。
少年の方はといえば、理解の域を越えてるらしい。唖然と立ちつくしている。

「コレが本物の予告状か」

と、中森警部はピンクのバラと共に置かれた、足下の紙を拾い上げた。





   4月19日
   横浜港から出航する
   Q.セリザベス号船上にて
   本物の漆黒の星を
   いただきに参上する


   怪盗キッド








数日後。
「もう……だからこんなトコでスポーツ新聞広げるの、やめなさいってば」
「別にいいだろ。いちいち、ひとの趣味にケチつけるなよ」
と、オレは青子に言い返した。
まぁ、朝から高校の教室でこんな物読むのっては、少し変わってるかもしれないが。
因みに今日の記事は、以下の通りだ。





  怪盗VS名探偵世紀の大勝負

  来る4月19日、怪盗キッドは新たな犯行を予告した。その標的は、
鈴木財閥所有の世界最大の黒真珠・「Black Star」との事。……予告当日には、
横浜港から出港されるクイーン・セリザベス号において、鈴木財閥60周年
記念パーティが催される予定である。なお、パーティには各界の著名人
500人以上が招待される模様。……警察側は万全の警備体制を敷くと共に、
名探偵として名高い、毛利小五郎氏にも協力を要請している。果して両堆の対決は、
いかなる結果となるか。展開が注目される……。





「まったく、いい加滅にしてほしいわよね。青子のお父さん、また機嫌悪くしちゃう」

と、青子。言い忘れてたが、コイツは中森警部の娘でもある。

「それにしても豪勢な話だよな。客の数は500人、だってさ」

「快斗」

と、青子は真顔でオレに、

「今のうちに言っとくけど。お父さんに頼んでも招待券なんて無理だからね」

その台詞に、オレはまともにズッコケて、

「お、おめーな……いくらオレでも、そこまで図々しかねーよ」

「そう? だって、いつも頼んでくるじゃない。『警備してるんなら
融通きくだろ』とか何とか言って」

「あのなぁ……」

確かに、青子の言ってる事は当たっている。
ターゲットに近づくために、コイツを利用させてもらった事もなくはない。
でも今回に限ってはその必要はない。
この大人数に紛れるくらい、オレに取っては造作もない事だ。
それに船に乗るのが大物ばかりというなら、余計なチェックも行われない。
オレには、まさに願ったり叶ったりの状況というわけだ。





更に数日後。

「じゃあ、お願いします」

「かしこまりました」

頭を下げて、服を撫ぜて、

「立派な物ですね。高かったでしょう?」

「ええ、来週パーティがあるんです。ソレに着て行こうかと」

「パーティですか。いいですねぇ」

と、オレは極めて愛想よく──オレに選ばれた哀れな客に言ってやった。





そして4月19日、夜。ついに船は出航した。

「我が鈴木財閥も、今年で早や60周年。
これも一重に皆様のお力添えの賜物でございます。
今夜はコソドロの事など忘れて、500余名が集まった優雅且つ盛大な船上パーティを、
ごゆるりとお楽しみ下さい」

高いステージの上の、金屏風の前。
探い一礼と共に、鈴木会長のスピーチは蹄め括られる。
ったく、なんて広い会場だ。部屋の端っこが見えやしない。
それでも目を凝らすと、知ってる顔がいるいる。
中森警部や茶木警視を始めとする警察の皆さん、それからこまっしゃくれた例の少年。
その隣には、オレと同じくらいの歳の女二人──鈴木会長の次女・園子と、毛利探偵の
娘・蘭──と、そしておっさん1名(アレが名探偵なんて、誰が言ってもオレは認めん)。

それでは乾杯という時、別の声が割って入った。

「その前に、今夜は特別な趣向が擬らしております」

泣きボクロの映える美人の中年女性。鈴木会長の妻・朋子さんだった。
彼女は黒の手袋をはめた右手で、四角いケースを見せて、

「乗船する際に皆様にお渡しした、この小さな箱をお開けになって下さい。
ソレは愚かな盗賊へ向けた、私からの挑戦状です」

言われた通りに、皆の箱は開かれる。同時にざわめきが会場を駆け抜けた。
艶のある紅のビロードの中に鎮座しているのは紛れもなく、黒真珠のブローチ。

「そう、我が家の象徴であり、怪盗キッドの今夜の獲物でもある『Black Star』ですわ。
もちろん本物は唯一つですし、ソレを誰に渡したかを知っているのも私独りです。
つまり後は、全て精巧に作られた摸造真珠というわけです。
さあ皆さん、ソレを胸にお着け下さい。そしてキッドに見せつけてやるのです。
盗れるものなら盗ってみなさい、とね。もちろん」

と、朋子さんはクスリと笑って、

「船が洋上にいる3時間の間に、ドレが本物か彼に判別できたらの話ですが」

ドッと笑いがおこった。





一言断って、オレはトイレに立った。一番奥の個室へ入った。
錠を掛けたのを確認してから、鈴木会長の仮面(マスク)を剥いだ。

そう、スピーチをしたのは他ならぬオレ自身。
茶木警視の声色で、「出航を遅らせる」という嘘の連絡をしといたのだ。
よって今日は、鈴木会長とその長女・綾子さんは欠席というわけ。
それにしても、誰もオレの事を疑わなかったとはね。
嬉しいような、呆れるような。ちょっと復雑だ。

オレは取りあえず最低限、素顔を隠す程度の変装を済ませた。
最後に鈴木会長の眼鏡を外して、トイレを去った。





変装する次のターゲットを捜すべく、会場に戻ろうとした瞬間だった。
あの少年が鬼のような形成をして、こっちへ突進して来た。
少し焦ったオレの横を、少年は駆け抜けた。一直線にトイレに走って行く。
どうやらオレに気づいたわけじゃないようだ。オレが潜入した事を知っただけらしい。

けど、つくづく面自い奴だ。こりゃ、さしずめアルセーヌ=ルパン対
シャーロック=ホームズの現代版ってトコかな。

オレは、少年が走って行った方を眺めた。独り、笑みを浮かべた。
こうなったらせいぜい楽しませてもらうぜ、ポウズ……!





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