≪ACT 3  潜伏≫



オレは船内を歩き回って、ターゲットを見つけた。
相手の後ろ姿が見える。そいつは会場へ向かって、廊下を真っ直ぐ歩いて行く。
オレは相手の肩に手を置いた。麻酔薬を染みこませた布を顔に押し当てて、
小道の奥へ一思いに引きずりこんだ。
けど、楽勝というわけにはいかなかった。相手は必死にもがいて暴れた。
振り上げた手が、サングラスをしたオレの顔をぶん殴った。

「!」

それでも最終的には、何とかオレの方が勝った。
参ったな、少し甘くみてたぜ。まさかこんなに手こずるとは。
本物は隠した上で、オレはターゲットと同じ姿に変化した。鏡の前で悦に浸る。
どこから見ても当人だ。これなら、いける。
オレは、改めて会場へ向かった。





「え? 怪盗1412号が?」

少年の話──オレがもうこの船に乗りこんでる事──を聞いた園子嬢は、

声を引っくり返して聞き返した。朋子さんの方も、大さく目を見開いている。

「うん、さっきトイレで見つけたんだ。園子ねえちゃんのお父さんの服と、
変装に使った道具をね。今、刑事さんたちが調べてるよ」

と、少年は朋子さんに返事してから、毛利探偵に、

「それより蘭ねえちゃん、ドコ行ったの?」

「蘭なら、お前がなかなか戻って来ねーから捜しに行ったぞ。もしかして
怪盗1412号に捕まってるかもしれねーからって」

「1412号じゃありません」

「ハイ?」

と、毛利探偵が振り向くと、中森警部が後ろに立っていた。

「奴の名前は怪盗キッドです。ややこしいから間違えんで下さい」

「は、はあ」

「まったく……」

しかめっ面で去って行く中森警部。
毛利探偵は朋子さんに小声で尋ねた。

「誰ですか、今の人は?」

「彼は警視庁の中森警部。怪盗キッド専任の刑事さんです。彼もあなた同様、
我が家の秘宝『Black Star』を守って下さる頼もしいナイトの一人ですわ」

「しかしですな、奥さん」

と、毛利探偵は自分のスーツの襟を指して、

「今夜集まった、この500人を越える客は全員、
問題の黒真珠を胸に着けているんですよ。
しかもたった一つの本物以外は、全て精巧に作られた偽物だなんて。
せめてドレが本物なのか教えて頂かないと守りようが」

「精巧に出来ていると言っても所詮、模造品です。
よく見定めれば、多少数は絞れます」

微笑する朋子さん。

「中には私が着けているような光沢が鈍くて冴えない物や、
あなたが着けているような輝きすぎて安っぽい失敗作も交ざってますので」

「はあ……しかし、この群衆を一人一人チェックするっていうのは」

「では一つ、取って置きのヒントを差し上げましょう」

悩む毛利探偵に、朋子さんは言った。

「本物は、60年前、祖父を魅了したあのピーコックグリーンの光沢をもつ
黒真珠に最も相応しい方に預けております。
偶然にもソレに値する人物は、500人中ただ一人です」

「宝右が似合うとなると、やっぱり女性ですか」

「アラ、あなたもお似合いですわよ? 毛利さん」

「おお、やっぱり毛利さんだ」

と、会話に割りこんだ者がいた。毛利探偵と同年代の中年男性。

「お久しぶりです。いつぞやは大変お世話になりました」

「あ、あなた、確か旗本グループの」

「ハイ。祥二です」

と頭を下げる中年男性・旗本氏。

「こちらの奥様や会長のお力添えで店を増やす事も出来ました。実は今夜の料理も私が」

「残念だったよな、祥二さん」

皮肉気な口調の、別の声。

「どうやら怪盗キッドのせいで鈴木会長は欠席だ。おべっかのための料理が泣いてるぜ」

「相変わらずの悪態ぶりだな、三船くん。若社長がそれでいいのかい?」

「いえいえ、そちらには負けますよ」

「何だ、四井のお嬢さんの誕生パーティに来てたあんたまで呼ばれたのか」

辛辣ながら明るく挨拶を交わす二人に、毛利探偵は少し眉を寄せた。

「オヤ、君は着けてないのかね? 黒真珠」

「こういうガキっぽいゲームのような事は嫌いでね」

と、浅黒い肌の男・三船氏は、旗本氏の言葉に肩を竦めた。
そんな三船氏を、しかし毛利探偵は咎めた。

「でも着けてないと、疑われますよ」

「仕方ねーな」

三船氏は不満極まりない顔で、ポケットからハンカチを出した。
小箱を開け、布越しにプローチをスーツの襟に着けた。
そんな彼らのそばでは、更に別の会話がなされている。

「え? 綾子さん来てないの、園子ちゃん?」

「うん。ゴメンね雄三さん。姉貴も悔しがってるはずよ。婚約者と離れ離れだなんてね」

「そうか……残念だなあ」

深く俯く青年・雄三氏。

「それにしても蘭の奴、遅いな」

と周囲を眺める毛利探偵に、園子嬢は苦笑して、

「きっとどこかで迷ってるんですよ。蘭って方向音痴だから」

「どうせ方向音痴ですよ」

「あ……お帰りなさい、蘭」

真っ赤な顔で当の少女が、園子嬢の後ろに立っていた。

「ねぇ蘭、部屋の外の様子どうだった?」

「廊下は刑事さんたちでごったがえしてたよ」

「皆さん! 私は警視庁の茶木と申します」

と、茶木警視がステージから話し始めた。

「もう耳にされた方もおられると思いますが、
あの忌ま忌ましい悪党がどうやら本船に侵入したようです」

ざわめいてステージに注目する客たち。

「御存知の通り、奴は変装の達人です。成りすます相手の事を予め調べ上げ、
顔はおろか声も性格まで、完全に模写してしまう、常識では計れない悪才の持ち主です。
もしかしたら、既に奴はあなた方の中に交ざっているかもしれません。
本来なら一人一人を入念に調べ上げるところですが、
今回はそんな無粋な真似は避けましょう」

言葉を切って、

「その代わり、皆さんには合言葉を決めて頂きます。
そばにいる方とペアを組んで、二人だけの合言葉を決めて下さい」

「なるほど。そうすれば奴は次から次へと変装が出来なくなり、
警察としても不審人物を特定できるってわけか」

と、毛利探偵は納得のいった顔をする。
確かにソレは一理ある――けど。
甘いな、警視さん。オレにそんな手は通じねーぜ?
客たちは隣の者と機械的にペアを組まされた。互いに耳打ちして合言葉を決めた。

「ねぇコナンくん、何にする? 合言葉」

「じゃ、ボクが『ホームズ』って言ったら」

「わたしは『ルパン』ね」

ってな調子で、あらかたの組が話を終えた時だった。
唐突の停電。そして、どこからともなく聞こえる笑い声。
中森警部は慌てて連格を入れる。

「オイ、何やってんだ、発電機室!?」

『あ、警部、これはですね』

と、相手が答えるより早く、状況は知れた。
湧いた白煙が、天井の一角を覆い尽くした。ソレが消え去った代わりに
現れるのは、純白の衣装をまとった紳士。

「か、怪盗キッド!?」

「合言葉なんて、無駄ですよ」

「何?」

「既に『Black Star」』、私の手の中だ」

と、紳士は手のブローチを弄んでみせた。

「わぁ!」

と頬を染める園子嬢(イヤ、アレはオレじゃないんですけど)。
意外にも、客の中では朋子さんが一番落ち着いていた。

「オヤオヤ、困った泥棒さんね。ああいう悪戯ボウヤにはお仕置きをしてあげなくちゃ」

と、彼女はハンドバッグを開けたこ出した物は──黒光りするオートマティック。
少年、毛利探偵、中森警部が血相を変えた。だが全ては遅すぎた。
銃声。それも3発。
スーツの白地に、緋色が染め抜かれる。胸に、腹に穴が開く。
紳士はバランスを崩して落下した。食器や燭台のぶつかる音がした。
照明が復旧した途端、彼の周りの人間たちは絶叫した。
彼はテーブルクロスの上に、長々と横たわっていた。
中森警部が朋子さんに食ってかかる。

「あ、あんた何て事を」

「心配無用ですわ、警部さん。だって彼は、まだ生きてますもの」

「え?」

隅のテーブルを見る中森警部の目が、点になった。
紳士は平然と起き上がったのだ。そしてヒラリと床へ下りる。

「ウチのガードマンが、テープルクロスで彼を受け止めたんです。
このモデルガンで撃たれたふりをした彼をね」

紳士は朋子さんの隣に立った。シルクハットを脱いだ。
その素顔は鋭い瞳をした青年だった。

「御紹介しましょう。彼はこの余興のために私が雇った天才マジシャン・真田一三さんです」

と、朋子さんはマジシャンに手を向けた。こちらに注目している客たちに、

「皆さん、怪盗キッドの哀れな末路を演じてくれた彼に盛大な拍手を」

「……なるほど」

拍手と歓声がやんでから、旗本氏はしみじみと、

「怪盗キッドは奇術の名手。まさに適役というわけか」

「確かに彼も私も人の目を欺く芸術家ですが、私はプロのマジシャンです。
泥棒が本職の彼には負けませんよ」

と、マジシャンは言って、ペイント弾で汚れた上着と長いマントを脱いだ。
新しい服に着替えて、きびすを返した。

「では皆さん、ステージのそばへいらして下さい。私の技を御覧に入れましょう」

オレは少年を盗み見た。マジシャンの言葉でオレとの会話を思い出したか、
少年は唇を噛んでいた。
今思えば、我ながらいい文句を言ったもんだ。

『怪盗は鮮やかに獲物を盗み出す創造的な芸術家だが。
探偵はその跡を見て難癖付ける、 ただの批評家に過ぎない』

そう──。

「批評家に、ね」

「!」

少年は背筋を震わせた。明らかに顔色が変わっている。
そうだ。オレはココに居るんだぜ、探偵くん? どうしてソレが分かんないのかね?





「では、まずは簡単な物を」

と、マジシャンはカード(いわゆるトランプ)を手にした。
右から左、左から右へ空を舞わせ、細かくシャッフルする。

「待った」

と、三船氏が手を挙げた。

「オレは昔から疑い深いタチなんでね。そのカード、オレにも切らせてくれないか?」

「ええ。構いませんよ」

と、マジシャンはカードを揃えて差し出した。よかったら他の方々も、と誘った。
カードは客から客へ渡されていった。
そんな様子を見る少年の目の動きは自然、落ち着かなくなっていた。
キョトキョトと人の顔を覗き見る。オレの顔も見はするが、同じ調子で別のに移る。
ソレを繰り返す。

「あ!」

と、雄三氏が突然叫んだ。カードが、手から零れたのだ。足元へ滝のように流れて落ちる。
皆の見守る中、大慌てで拾い集める。少女と園子嬢も手伝った。

「す、すみません」

「いえいえ。カードを落としたくらいでは、私のツキは落ちませんから」

「……?」

少年は口許に手を伸ばした。瞑黙した後、

「おじさん。確かこのパーティに来る人のリスト持ってたよね?」

「ん? ああ」

受け取って捲った。険しい目で文字を追っていく。
ステージでは、カードの方は集め終わっていた。

「ありがとう、お嬢さん達。そうだ、お礼に一枚引いて頂けますか?」

「いいんですか?」

「勿論。さあ」

「ええと……」

園子嬢に促されて、指を伸ばす少女。

「あ、待った」

と、マジシャンは手で制して、

「その前に私の透視眼で君たちの心を見透かして、選ぶカードを予言してみましょう」

目を伏せて、ううん、と唸る。右手を振り上げて、指を弾いた。
羽昔と共に銀鳩が飛び出した。小さく歓声が上がった。

「鳩……ハト……ハートのA(エース)、かな?」

惚けた口調に沸くギャラリー。

「さあ引いてみて下さい」

「ハイ」

「右、右。右の奴」

と、園子嬢があおる。少女は引いたカードを、園子嬢と一緒に見た。
二人、絶句した。
カードはハートでもAでもなかった。代わりに書かれている文は──。





   クレオパトラに
   魅了された
   シーザーの如く
   私はもう
   貴方のそばに

    怪盗キッド





「か、怪盗キッド!?」

「え?」

「嘘!?」

園子嬢の叫びに、大半の客は顔色を変えた。

「み、皆さん落ち着いて。合言葉の確認を」

と怒鳴る茶木警視が一番取り乱している。

「オイ中森くん、まさかもう盗られたりしてないだろうな?」

「奴はまだ盗ってもいないし、逃げてもいない。
動揺させて自分のペースに巻きこもうとしてるだけさ」

「!?」

茶木警視と中森警部は、愕然と下を見た。声の主は例の少年だった。

「大丈夫、捕まえられるさ。奴は魔法使いなんかじゃない。
タネもシカケもある、普通の人間なんだから」

と言い放つ少年の顔は、強い確信に満ちていた。





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