紅き烏の関係図。(歌の話)

当方が昔から好いている、GARNET CROWの曲たち。
実はその歌詞に、以前から思っていた事が有りまして。


最初に、歌詞によく出てくる人称の確認。
一人称は「僕」「私」
二人称は大抵が「君」。(「あなた」も一応あるが少ない)


で、その一人称に見られる特徴。

「僕」:「だよ」「だね」など、幼い言葉遣いが目立つため、
    一見あどけない雰囲気を感じる。
    が、実は自分の中にこもりやすく、やや無気力。外界への興味は薄い。
    その分、相手の「君」への関心は、非常に強い印象を受ける。

「私」:「あたし」と発音している事が多いが、しかし女言葉はほぼ皆無。
    感情を表す言葉は少なめ。
    自責の念が強く、「君」を含む他人を信じる事に強い抵抗を持っている。
    全体的に、儚げな印象。どことなく病弱な感じも。


そんな「僕」と「私」の共通項。

まずは、毅然とした礼儀正しさ。
というのは、GARNET CROWの歌詞には、崩れた日本語がまず出てこないため。
むしろ、凝っている文語体が目立つ。
英語(英文)も少なめ。(ただし間奏や後奏には、よく出てきますが)

また、良くも悪くも、超然とした態度が強く、生活感には欠ける。
常に自分の心を抑え、客観的な気持ちでいようと努めているような。
連想するキーワードは、「無常観」「厭世観」「虚無感」etc。


更に、複数の曲を通して感じられる、「僕」と「私」の関係図。

ずっと昔は、どんな時も離れる事なく、気安い関係を続けていた二人。
が、ある程度の月日・年齢を重ねた今は、ある程度の距離を置いている。

その自分たちの関係が、恐らく長くは続かないだろう事、
いつか関係は壊れるだろう事、いつか別れ離れるだろう事、
――最終的には死に別れるだろう事も――を覚悟している。
だからこそ、今一瞬の、目の前の絆を、ひたすら全力で保とうとしている。

ただ、必要以上に馴れ合う関係は求めない。
互いに尊敬(憧憬)の念を相手に持っている故に。
むしろ、互いに正し合う事を望み、それで衝突してしまう事も厭わない。

そして、そのような激しい想いにのめり込んでいるという事もまた、冷静に把握している。
二人とも、どこか狂気めいた危うさを抱えているという事も。


……などとまあ、色々語ってみてますが。
要するに。少なくとも私は、GARNET CROWの曲たちを聴いていると、





「一度、手痛い破局(ピンチ)を味わったため、
それ以上、近しい関係に進めないでいる幼なじみの二人」






という感じに聞こえて仕方なく。

”彼ら”の感情で解釈して歌ってみると、ぴたりとハマるのです。どの曲も。
(もちろん例外もありますが)


あと小ネタとして。
歌詞の中に、「迷い」という単語が含まれる曲が物凄く多いという点も追記しておきます。


以下、私的ラインナップ。ご参考までに。(1stアルバムorベスト盤で聴けます)


「僕」視点
『夏の幻』
『Rhythm』
『Holy ground』
『君という光』

「私」視点
『巡り来る春に』
『Holding you, and swinging』
『未完成な音色』
『HAPPY DAYS?』




実は、この論を思ったきっかけは、或るサイトさんのイラスト。
一つのソファに座る二人の図が、私の思う『Last love song』の世界そのままだったので。
……偶然って、凄いな……。




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