研がれ続ける剣。

「天才と呼ばれる連中は、みんなどこかがオカシイんだよ」  (by諸平野貴雅)
(『失われた逆転』法廷パート後編より)


天才という物は扱いにくい。

……と、コレは実社会の話ではなく。
物語(フィクション)に出てくるキャラクターの話である。


物語の世界では、「彼(彼女)は天才だ」と表現すれば、まずはそれで終わる。
『逆転裁判』の世界でも、そう評されるキャラクターは数多い。
主要人物は、その大半が人並み外れた能力を誇っている。


しかし。そもそも「誰も敵わない天才」というキャラクターを
物語で動かすのは、どだい無理なのだ。


答えは簡単。
物語の書き手も読み手も、凡人だから。

というより、本当に面白い物語とは、
誰でも楽しめる(理解できる)内容であるべきだから。


にも関わらず。
そういった“天才”が、物語に強引に出続けた際、普通の場合はどうなるか。

出番を重ねる度に凡才に堕ちていき、
少しずつ趣の違う新キャラに紛れて押しつぶされて消えていく。
(特に、主人公と対立する「ライバルキャラ」は、この傾向が激しい)

あるいは、何でもかんでも完璧にこなし過ぎる、言うなれば超人になってしまうか。
あるいは、読者が片っ端から置いてきぼりを食らうような、突飛な展開になだれ込んでしまうか。

……具体的な作品名を挙げたら、キリが無いのではと思う。正直なところ。


また、主人公の天才(というか幸運)にも限界がある。

物語を長く続けていると、
「果たしてコイツは、この危機を乗り越えられるのか?」
という、読み手として肝心な緊張感が薄れていくのだ。

「ああ、どうせまた切り抜けるんだろ?分かってるんだよ」とか。それどころか、
「何でコイツばっかり、何でも上手く行くんだよ?」という、妬みの感情さえ起こりかねない。


何にせよ。
「少し変わってるけど凄い人」なら良いが、
「凄いと言われてるけど変な人」になってしまったら浮かばれない。



では、そういう問題点をクリアするには、どうするか?

唯一の方法がある。
長く活躍するキャラクターの金属疲労をストップさせ、耐用年数を延ばせる策が。


物語の舞台から、退場させるのだ。


基本的に、物語に直接には関わらせない。
そして、いざという時、ここぞという場面でのみ活躍させる。
こうすれば、旧キャラクターと新キャラクターは、無事に共存できるのだ。


要するに。この手法が用いられたキャラクターこそ、
第2作・第3作の御剣と、第4作の成歩堂だという次第。
御剣の失踪(と海外研修)、そして成歩堂の失職は、
新しい物語を紡ぐために必要な事だった、とも言えるのだ。



が、この結論は、一つの不安を残していく。

この理屈を推し進めると……
第4作からの新たなキャラクターである、王泥喜や響也たちにも、
いつか必ず”退場”する運命が待っているはずなのだ。


彼らの魅力を、切れ味を落とさないための――――必然として。



(追記。この考察は第5作で立証されたと言える。
王泥喜は事務所から一時離脱したし、響也に至ってはゲストキャラ並みに露出が減った。
こうして『逆転裁判』での人物の能力はインフレを防ぎ続けているのだ)




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