それが最後の一つの答え

1.

 鼻から出る息さえも白い。
 板張りの床からも、ひんやりとした感覚が伝わってくる。
 こうして廊下を歩いていると、自分が今来ている所の寒さを実感する。
 ぼくは思わず、服の襟元をかき寄せた。
「あれ? なるほどくんもトイレ?」
 角を曲がってすぐの正面、ばったりと真宵ちゃんと行き合った。
「ああ、今行ってきたとこ。真宵ちゃんも?」
「うん。冷えるんだもん、ホントに」
「早く暖かくなってくれればいいんだけど……」
「でもでも、それじゃ修行になんないよ。この雪の中で過ごす事に意味があるんだし」
「ははは、そりゃそうか」
 観光に来てるわけじゃないもんな。ぼく達は。
 真宵ちゃんを中心とする、綾里一族全体を揺るがした大きな事件の後、ぼく達は改めて、
現場となった葉桜院を訪ねていた。
 事件解決のお祝いと、そして中断していた真宵ちゃんの修行を兼ねてだ。
 その修行も今朝で終わり、今日は念のための静養としてココにいる。
 何せ、とことん雪深い山奥だ。
 体力の消耗した身では、家に帰る前にチカラつきてしまうだろう。
「じゃね、なるほどくんも早く寝るんだよー」
 真宵ちゃんは、少し身を縮こまらせて歩いて行った。
 彼女を見送ってから、ぼくは目当てである部屋の入口に立った。
「……失礼します」
「どうぞ、いらっしゃい」
 ぼくは、出来るだけ音を立てないように障子を引き開けた。
 どの部屋もそうだが、ココも天井が高い。
 煙っぽい空気を感じるのは、部屋の真ん中にあるイロリのせいだ。
 赤々と燃える炭火の上に据えられた薬缶から、湯気が細く立ち上っている。
 そのそばに、主である毘忌尼さんが正座している。
 元々かなり小柄な人のため、一層ちんまりと小さくなっているように見える。
 ぼくは向かいの席に置かれた座布団(って名前ではなかった気がする)に、同じように正座した。
「ああ、いいよ無理しなくて。楽にして」
「あ……、そうですか」
 それじゃ、お言葉に甘えて。
「そうそう。今の若い人じゃ、立てなくなっちゃうのがオチさ」
 毘忌尼さんは、薬缶から白湯(さゆ)を注いでくれた。
 2杯それぞれを、二人で飲む。
「ごめんね、こんなのしか出せなくて。一応、決まりになってるから。オバサンに免じて許して」
 毘忌尼さんは体をゆすって、ころころと笑った。
「それで……ご用件というのは?」
 ぼくが切り出すと、毘忌尼さんの笑いが止まった。
「あらあら。最近の子はせっかちね」
 そりゃ、せっかちにだってなる。 
 真宵ちゃんも春美ちゃんも眠ってから、二人だけで話をしたいなんて言われたのだから。
 何か込み入った事情なんだろう事は、誰でも想像できる。
「オバサンもねえ……。こういう事ほとんど初めてだから、どう話し始めたらいいか、よく分かんないんだけど」
 腕を組んで考えこむような顔をしている。
「とにかくまずは。修行お疲れ様。凄かったわね」
「ええ、そうですね。真宵ちゃんも春美ちゃんも、とても頑張ってましたから」
 まさか、一番ハードだと言われてるコースを選ぶとは。
 しかも、そのコースを最後までやり遂げるとは。
 最後の方では、事件の時以上に半死半生になってたよな二人とも。
 ところが。ぼくのその言葉に、毘忌尼さんは首を振った。
「違うわよ。あのお二人は、成し遂げて当然のお力をお持ちだわ。オバサンが言ってるのは、ボウヤの事よ」
「え?」
「え?じゃないわよ。ボウヤは本来、私たちとは住む世界の違う人。
 霊媒師に理解を示してくれてるだけでも充分に異端なのよ。
 ましてボウヤは、その霊媒師の修行まで、ほぼカンペキにこなしてみせた。
 今だから言うけど、ボウヤが受けた修行の中には、とても一般の人には無茶な物もあったの。
 もしもの事になったらどうしようって、ちょっぴり思ってたくらいよ」
「………………」
 思ってるなら止めてくれよ頼むから。
「だからね。……回りくどい言い方は止めましょ。ハッキリ言うわ」
 毘忌尼さんは、ぼくの目を見つめて言った。
「あなたには確実に、霊媒師の血が流れている。それも非常に強力な」
「……………れ?」
 あのすみません、よく聞こえなかったんですが。
 って、ゴマカせたらどんなにいいか。
「いやいや、待って下さい。
 そもそも倉院流っていうのは、女性しか霊媒師になれないんじゃありませんでしたっけ?」
「ええ、そうよ。一族に生まれる子供からして、女の子ばかりだし」
「でも、ぼくは」
「だからボウヤは、ウチの倉院流とは直接のつながりは無いと思うの。
 どこか別の系譜から続いているんでしょうね」
「………………………………」
 何か反論を。何か反証を。何か反駁を。
 その感情を、けれどぼくは押し殺した。
 今この場でするべき事は、そういった口論じゃない。
「質問があります」
「何だい?」
「ぼくはこれから、どうすればいいんですか? 真宵ちゃん達の安全のために」
 言われて毘忌尼さんは、大きく目を見開いた。
「ど……、どうして急にそう思うんだい? オバサンの話、まず疑ったりしないのかい?」  
「疑う理由が無いからです」
 ぼくは姿勢を正した。
「もしも毘忌尼さんの話が冗談だったり、純粋に良い話だったりするなら、真宵ちゃん達の前で話しても
良かったはずです。あるいは、ぼく一人が不運な目に遭うのなら、なおさら皆の協力が必要でしょう。
 もしかして、本当はこうして話をしている時間自体、もったいないんじゃないですか?」
 毘忌尼さんは、呆けたような顔で吐息をついた。
「驚いたね。まさか、そんなに話が早いなんて」
「すみません。何て言うか、勘ぐるのが癖みたいになってるもんで」
「さすが弁護士さんって事かしらね。
 そう、ボウヤの考えてる通りよ。
 ボウヤは、私たちの世界と関わる事で、少しずつ霊力を増してきている。
 今はもう、破裂寸前の爆弾のような状態。
 このままだと、あと1ヶ月……遅くても2ヶ月くらいで暴走を始める」
「暴走……」
「綾里の歴史でも、何人か居た。そういう人はね、呼ぶんだよ」
「呼ぶって……悪霊とかですか?」
「悪霊ならまだマシな方。神様や仏様の逆を呼び寄せ、取り憑かれるのさ」
 具体的には言えないよ。それこそ呼ぶから。
 毘忌尼さんは、暗い声でそう付け加えた。
「ただ、逆に言えば、猶予は残されてるって事。
 例えば……今なら、この霊媒の世界と完全に縁を切れば、ボウヤは普通の生活に戻る事も出来るわ。
今ならね」
 さらっと言われた言葉の意味を理解するのに、暫くかかった。
「……………………それしか、無いんですか?」
 何とか落ち着いた声で、そう返した。
 縁を切る。
 それは、確かに一つの答えだ。
 千尋さんや、真宵ちゃんや、春美ちゃんや、他の色々な人と関わった事が原因だと言うなら。
 その原因を消せばいい。
 当たり前の理屈だ。
「他にも方法は無くもないけど。オススメしないわ。良い面よりも悪い面が多すぎるから」
 毘忌尼さんは、改めてぼくを見据えて言った。
「ホントにゴメンね。急ぎの話なの。だからすぐに決めてほしい。
 ………………ボウヤはこれから、どっちの道へ進むんだい?」



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