2.
それから1ヶ月は、あっと言う間に流れていった。
うまく事情を話せないし、話せても物凄く長くなるけど、差し当たっては年度末の調整が大きい。
これでも一応、事業主ってやつですし。ぼく。
苦手なパソコンで苦手な計算を繰り返して役所に通う。
まとまった時間をなかなか取れず、自宅に帰れない日もしばしばあった。
何だかだ言って、真宵ちゃん達とはこのところ会っていない。
向こうも向こうで、立てこんだ用事に追われてるとか。
ある種、都合がいいとも言えるけど。
「――ああ、そうなんだ。大変だな、お前も。――ぼくは大丈夫。約束ならまた次にすればいいよ。
来月辺り、どうかな。会ったらじっくり話したいし。――うん、じゃあな」
ぼくはデスクの受話器を置いた。
やや冷めてきてるお茶で口を湿らせ、息をついた。
やれやれ、これで問題の一つは片づいたな。
次の問題は……こっちだ。
ぼくは恐々と、デスクの対面に顔を向けた。
そこにいるのは、両の拳を握りしめて、ぼくを見上げてる春美ちゃんだ。
「お電話はお済みになりました? なるほどくん」
「う、うん」
「間の悪い事は続くものですね。
真宵さまの一大事をご報告しようとした時に限って、みつるぎ検事さんからのお電話が入るなんて」
「いや、まあ、それはその」
単に、飲みに行く約束が延期になっただけって、正直に言える雰囲気じゃない。
さっきから春美ちゃんは、何というか、えらく追いつめられてるような顔をしてるのだ。
「それで? 一大事って、何があったの?」
「…………それを説明できたらどんなにいいでしょう」
春美ちゃんは困り果てたような声で言った。
少し目が潤んでいるようにも見える。
「わたくしにも分からないのです。
ただ、このところの真宵さまは、間違いなく深く沈みこんでおられます。
あれほど元気のない真宵さまを、わたくしは拝見した事はございません」
「ほ、本当かい、それ……?」
「そうですとも。午後のお昼寝もなさらなくなっていますし、毎日のお食事でも1膳しか召し上がろうとしませんし」
物凄く悲痛な言い方をしてるけど、言ってる内容は何とも平和だ。
「念のためお伺いしますが、まさかなるほどくんに、身の覚えはございませんよね?」
「ぼくに?」
「無論わたくしとしては、なるほどくんを信じておりますが、事が事でございますから。
もしも万が一にでも、なるほどくんが真宵さまにご心配をかけているのならば……」
「いやいやいや! ぼくは何もやってないよ。
少なくとも、彼女に迷惑をかけるような事はしてない……と思う」
「ですよね」
捲り上げようとした袖を直す春美ちゃん。
「ならば是非とも、なるほどくんに協力していただきましょう。
実はわたくし、妙案がございます」
「え?」
「年頃の女性を元気づけるには、『でえと』という物が一番良いと聞きまして」
今この瞬間、お茶を飲んでなくて本当に良かった。
いつかどこかで見たみたいに、派手に吹き散らかすところだった。
「あの。念のために聞くけど。一体ドコで聞いたの? それ」
「昨日、『てれび』の『わいどしょー』から教わりました!」
にこにこにこと、無邪気な笑顔で言ってくれる。
これ以上ツッコミ入れたら、ますますヤヤコシイ事になるのは確実だ。
「それで、如何でしょうか? なるほどくん」
「いや、その。けど、急に言われても……」
時間を割けないというのもあるけど、とにもかくにも先立つモノが無いと始まらない。
そこにまた電話が鳴った。
春美ちゃんの頬が僅かに強ばったが、仕事の電話かもしれないので急いで出た。
出た途端に後悔した。
「何だよ、何なんだよ、早く出てくれよ成歩堂よおッ!」
矢張の大声が鼓膜に刺さって、ぼくは受話器を耳から離した。
それでも延々と泣き叫んでるのが分かったから、スピーカーホンに切り替えてから、
出来るだけ低い声で言ってやった。
「それ以上騒いだら、切るぞ」
「…………お? 何だ、つながってるじゃないかよ。早く言えよな成歩堂」
「用件は?」
「んだよ、つれねーなあ。このオレが、暇してるお前にいい話を持ってきてやってるってのに」
「ぼくは暇じゃないし、お前の話が良かった事もないと思う」
「いいから聞けよ。急いでるんだって、こっちも」
そういう割には、油断すると散らかりまくる矢張の話をまとめると、こうなる。
先日新規オープンしたテーマパークのバイトを始めた。
仕事内容は、着ぐるみに入ってお菓子を売る事。
ところが、別のバイトからヘルプ要請が入ってしまった。
だからぼくに、テーマパークのバイトを代わってほしい。
ぼくは先を促しながら、知らず独りつぶやいた。
「……何か、前にも同じようなやり取りがあった気もするなあ」
「そうだっけ? ああ、ガッコー時代の時な。
そういや、あの時のオマエ、めちゃくちゃ喜んでたじゃんか。これでデート代が浮くとか言って」
矢張の言葉に春美ちゃんは、息を潜めて耳をそばだてた。
ぼくも思わず唾を飲んだ。
調子よく喋り続ける、知らぬは矢張ばかりなり。
「ああ、そうだった!
バイト代の一部って事で、優待券もらったんだよな。オレ達。
何なら今度も融通するぜ。要るか? チケット」
そこに、すかさず春美ちゃんが受話器の方へ身を乗り出した。
「是非ともお願いいたします、ヤッパリさん!」
「うぇ? その声……ハルミちゃんか!
何だ成歩堂、皆で一緒にいるなら言ってくれよ。
分かった、オレも男だ、成歩堂ご一行様3人分、押さえてやるから任せとけ!」
「はい、ありがとうございます!」
あれよあれよという間に、話は違う方向へ転がっていく。
こうして、日々は目まぐるしく進んでいったのである。
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