3.

 春美ちゃんの言うところの「でえと」の日取りは、なかなか決まらなかった。
 原因は半分以上、ぼくにある。
 一日が24時間じゃ全然足らないような過密スケジュールになってるせいだ。
 どうにかこうにか、ぼくの方の厄介事を一段落させて、真宵ちゃんと春美ちゃんの都合も合わせて、
それでやっと取れた休みが、何と矢張に頼まれたバイトの日と重なった。
 春美ちゃんの言う通り、間の悪い事は本当に続くものだ。
 それでも不幸中の幸いで、ぼくのバイトは午前中で解放されて放免された。
 何でも、緊急事態が起こったから、着ぐるみ販売やってる場合じゃなくなったとか。
 って、そんな事態になっても、こうして普通に営業しているこの遊園地も豪快だと思う。
 待ち合わせの広場に着くと、春美ちゃんが大きく手を振っているのが見えた。
「なるほどくん、こっちです!」
 結った髪をぴょこぴょこと揺らしてジャンプしている。
 ぼくは急いで、待つ二人の所へ向かった。
 久しぶり、と声をかけようとして、その声が喉で止まった。
 真宵ちゃんも春美ちゃんも、今日は装束でなく普通の洋服になっている。
 お揃いの淡い色をした、丈の長いワンピース姿。
 こういう服装をされると、彼女たちがいわゆるお嬢様だって事を、改めて思い出す。
 真宵ちゃんは柔らかく笑って、ぼくに言った。
「どうしたの、なるほどくん? そんなにボンヤリして。
もしかして、あたし達の顔、忘れちゃった?」
「まさか、そんなわけないだろ。疲れてるから、ちょっと反応が遅れただけさ」
「うーん……歳は取りたくないもんだねえ。元気出してこうよ、元気」
 いつもの変わらないやり取りに、少し安心した。
 そのまま立ち話が始まりそうになったところに、春美ちゃんがぼくの上着の袖を引いてきた。
「なるほどくん。お仕事が終わったのですから、後はもう好きな場所へ行けるのでしょう?
 それならば、もっと『むーど』のある所へ行かないと」
 大真面目に言ってくる。
 でも確かに、ずっと動かないでいるのはマズイかな。寒いし。
 ぼくは、近くに立つ看板の地図を指でたどった。
「ええと、ここから一番近い乗り物って言ったら……」
 ボート乗り場がある。
 そういえば、いつだったか真宵ちゃん、公園でボートに乗ってみたいって言った事があったように思う。
「じゃ、手近な所から回ってみようか。こっちだよ」
 振り向いて手招くと、春美ちゃんは小走りでやって来たが、真宵ちゃんの足がすぐに出ない。
 一瞬考えて、分かった。
 履いてる靴に慣れてないんだ。
 和服の時の、ぽっくりみたいなアレとは勝手が違うんだろう。
 案の定、真宵ちゃんは一歩目からバランスを崩した。
「危ない!」
 ぼくは、言うと同時に駆け寄って、真宵ちゃんの体を支えようとした。
 が、真宵ちゃんは、逆に身を引いて踏みとどまった。
 両腕を胸の前に寄せ、肩で大きく息をして、言った。
「ご、ごめんね。ビックリさせちゃって。でも、大丈夫だから。
 なるほどくんまで一緒に転んじゃったら大変だもんね」
「う、うん。……そうだね」
 真宵ちゃんの言う通り。今のタイミングだったら、そういう情けない結果になっていただろう。
 でも、ぼくはその時、何故か違和感をおぼえた。
 一度気づいてしまうと、不自然に感じる部分がどんどん増えていく。
 三人でボートの上にいても(因みに漕いでるのはぼくだ)、真宵ちゃんの態度はぎこちなかった。
 とにかく、ぼくの方に近づこうとしないのだ。
 足場が揺れても、ボートにしがみ付くか、あるいは春美ちゃんのそばに寄るか。
 その度に、春美ちゃんの顔には「つまりこういう事なのですよ」という台詞が見て取れた。
 どうしたらいいんだろうと考えながら、ふと遠くの橋の方を眺めたら、見知ったコート姿が全力疾走して行くのが
見えた。
 真宵ちゃんも気づいたようだ。
「今のって……イトノコさんだったよね」
「ああ。もしかして『緊急事態』って、何か事件でも起こったのかもしれないね」
 こんな場所でも仕事に追われているイトノコ刑事に、他人事ながら同情したくなった。
 すると、真宵ちゃんは意外な事を言った。
「行かなくていいの? なるほどくん」
「え?」
「ひょっとしたら、また無実で困ってる人とか、いるかもしれないよ。
あたし達の事はいいから……、様子見てきた方がいいんじゃないかな、って」
「真宵さま!?」
 水面で指を遊ばしていた春美ちゃんが、目を丸くした。
「い、一体どういうおつもりですか? 真宵さま。
 そのようなお言葉、真宵さまらしくありません。
 真宵さまなら、なるほどくんと一緒に行こうとおっしゃるのが常でありますのに……」
「ダメだよ、はみちゃん。昨日も言ったでしょ。
 あたし達が居たら、なるほどくんの邪魔になっちゃう。
 そもそもあたし達は、住む世界が違うんだから」
 瞬間、辺りの気温が下がった気がした。
 水に当たってる日の光が、やけに眩しかった。
「ごめんね、なるほどくん。ボート、止めてくれるかな。
 全部話すよ。あたし達の、これからの事」
 よく通る声で言った真宵ちゃんの表情は、とても穏やかだった。
 ボートから降りたぼく達は、まず春美ちゃんをバイトの詰所に連れて行った。
 真宵ちゃんとしては、聞かせたくない話だったからだろう。
 詰所には、ぼくと同じようにバイトが早く上がったという矢張が様子を見に来ていたため、
ひとまず春美ちゃんを預かってもらった。
 詰所の裏手には、バイトが休憩に利用している空き地がある。
 道路が近くにあるせいで、走る車の音が大きく聞こえるが、おかげで盗み聞きされにくい場所でもある。
 真宵ちゃんは、ベンチに腰を下ろして話し始めた。
「今日は、ありがと。誘ってくれて。楽しかったよ。ホントに、いい思い出になった」
 らしくなく、うつむいて。ぽつぽつと言葉を紡ぐ。
「あのね。あたし、これでも家元なんだよね。
 だから最近になって、いろいろ教えられたんだ。
 倉院流の霊力は、やがて先細りになりつつあるとか。
 一子相伝を繰り返している事に、限界が出始めてるとか。
 だから今後は、異なる系譜の一族からも力を借りなければならないとか。
 それでこの前、大おば様たちから命じられたの。
 差し当たってあたしが、その別門の人と会って話してみなさいって。
 行く行くは、良い流れになる事を期待してるって。そう言われた」
「……ええと」
 我ながら、間の抜けた返事しか出来ない。
「ぼくにはよく意味が分からないけど、つまりはお互いの技術交流みたいな物だろ?
それ自体は悪い事じゃないんじゃないか?」
「悪い事じゃなくないよ」
 真宵ちゃんは、ますます顔を下に向けてしまった。
「分かんない? コレ、要するにお見合いだよ?
 しかも断れないんだよ? もう決まっちゃってるんだよ?
 あーあ、あたしだって、好きな人は自分で選びたかったのに」
 ベンチの下で、じたばたと両足が動いている。
「だからね。もうすぐ、なるほどくん達とは簡単に会えなくなっちゃうの。
 ホントは、もう少し話がまとまってから打ち明けたかったんだけど。
 やっぱり、黙ってるのは辛いから」
 真宵ちゃんは、ぶんぶんと首を振ってから、ぼくの方に顔を向けた。
 爽やかな笑顔だった。
「それに。これ以上、あたし達と接していたら、なるほどくんが壊れちゃう。
 霊力の封印なら、倉院の里で責任を取るから。安心してね」
「!?」
 告げられた時、いきなり殴りつけられたような気持ちになった。
「まさか………………聞いてたのか!? あの時の、毘忌尼さんの話……!」
「いやー、寝る前に白湯を飲み過ぎるもんじゃないね。あのカレー、意外に辛くって」
 ぼくの頭の中がぐるぐる回る。
 説明しないと。申し開きしないと。
「待ってくれ! きっと、きみは誤解してる。そもそも、ぼくは」
 立ち去ろうとする真宵ちゃんを引き止めようとしてから、ぼくは自分の失敗を思い知った。
 遠くから駆け寄っただけでも怯えられたんだ。
 至近距離から追いつめたら、どうなるか分かりそうなもんだろう。
 真宵ちゃんは顔色を変えて、立木の向こうへ飛び出して行った。
 さっきまで何度も転びそうになっていたはずの彼女が、こういう時に限って、身軽に走り去って行く。
 ぼくは必死に追いすがったが、真宵ちゃんは歪んだフェンスの隙間を見つけて滑り出た。
 小柄な彼女でやっと通れた穴だ。
 フェンスの上や横から回りこんでたら見失う。
 それだけでも厄介なのに。
 間の悪い事は、続くものだ。
 スピードを上げる車が、道路に飛び出た真宵ちゃんの近くにあった。
 その光景を見た時。ぼくの意識が、跳んだ。



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