4.
綾里真宵は、アスファルトの中ほどで、とうとう足を滑らせた。
ヒールの付いたパンプスの片方が、足から脱げて転がっていった。
「いっ、たー……」
ヒザを擦りむいたのだろう、涙の混じった声が漏れた。
直後、真宵の耳に、轟音が飛びこんできた。
すぐ近くに、走行する輸送トラックが迫ってきていた。
普段の真宵ならば、何としても無事であろうとする努力もしただろうし、そのじつ無事であっただろう。
だが、今の真宵は突然の出来事に、座りこんで動けずにいるだけだった。
そんな茫然自失の顔をする真宵をも驚かせる怪異が、その時に起こった。
まるで空気の塊がぶつかってきたような突風が、真宵の体を突き飛ばしたのだ。
「きゃ……!」
真宵は悲鳴を上げながら、成されるがまま真横に飛んだ。
再び着地した真宵は、トラックが自分の眼前を走り抜けていくのを目の当たりにした。
振り返って考えれば、真宵の身に危険が生じたのは、ほんの数秒の時間だった。
トラックの運転手側としても、恐るべき怪奇現象だったに違いない。
人一人が突然、見えない何かによって吹っ飛んでいったのだから。
真宵は取りあえず、安全な歩道側に体を寄せた。
「今のって、一体……」
知らず疑問を口にした時、真宵は間違いなく、その声を聞いた。
……良かった……間に合って……。
「なるほどくん!?」
真宵は目を剥いて周囲を見たが、ここに居るのは自分一人だ。
しかし、感じる。
彼の気配が――正確には霊気が――すぐそばに。
真宵は目を閉じて指を組み、呼吸を整えた。
より色濃く霊気を感じる方向へ、呼びかけてみた。
「なるほどくん……いるんだよね。そっちに……その辺りに」
……まさか……聞こえるの……?
常人には、風で葉の揺れる音にしか聞こえないだろう、微かな囁きを、真宵は聞き取った。
「うん。聞こえるよ。……それより、コレ、どういう事なの? なるほどくん、今どうなっちゃってるの?」
……本当は……ギリギリまで隠しておきたかったんだけど……仕方ないね……。
……これは……今ぼくがしてる……修行の……成果なんだよ……。
「修行? それってまさか……、霊媒の?」
真宵の愕然とした声に、風に乗る気配が応じた。
……うん……。
……ぼくは毘忌尼さんの紹介で……倉院流の傍系の一つを訪ねて……。
……ぼくが学んだのは……、言わば、きみ達の術の逆……。
……自らの心身に錠を掛け、悪いもの達から身を守る術……。
……その副産物として……ぼくは自分の心を外界へ弾き跳ばす力を持った……。
……実際に使ったのは……今日が初めてだったけど……成功して良かったよ……。
吹く風が不意に、ひときわ強まった。
歩道に立つ真宵を中心に、小さなつむじ風が生まれ、足下の木の葉が舞い散った。
真宵は、組んでいた指をほどき、その身に当たる風を受け止めた。
慮(おもんぱか)ってくれている感情を、彼女はほのかな熱として感じていた。
……脅かされて、ただ逃げるだけってのは……納得できなかったからね……。
……最終的には、ヒトより上位の存在を目指せとか……向こうからはめちゃくちゃ言われててさ……。
……だから、まずは、きみ達倉院流と交流するのを目標としてる……。
「……へ?」
真宵は、素っ頓狂な声を上げた。
「ちょ、ちょっと待って。それじゃ、あたしが紹介される別門の人って……」
……………………だから……誤解って言ったんだけどねえ……………………。
あまりに狭い世間の真相に、真宵はそばの相手に文句を言いたくなったが、ここで集中を乱したら、
恐らく二度と気配をつかめない。
と言うより、真宵の勘をもってしても、虚空から聞こえる声がだんだん細くなっているのだ。
このまま放置していたら、まずい事になる。
「それより、なるほどくん。これ、元に戻る方法とか、ちゃんと有るんだよね?
外に出ちゃったら出っぱなしとか、まさか無いよね?」
………………………………あー……………………そういえば……。
…………これ……時間制限とかも……あったような……。
「じゃあ、じゃあ、どうすんの?
あたし、どうすればいいの? 何か出来る事ある?」
……………………………………………………それは…………。
…………体の方に或る程度の……刺激を…………。
「分かった! いっちょ、パパッとやってくるから、それまで頑張ってッ!」
真宵は靴を脱いで手に持つと、今度こそ本気で駆け出した。
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