たどり着く場所

「んー……と」
 書類を書く手を休めて、事務所のデスクで伸びをする。
 この一つを片づければ、今日やらなきゃいけない分は終わりだ。
「それにしても遅いなあ……。真宵ちゃん」
 近所のお店で見つからないのかな。修正液。
 ほとんど走るみたいな勢いで飛び出して行ってから、もう随分経つけど。
「………………もしかしたら、別の理由からかもしれん」
「え?」
 ぼくは、声の主に目をやった。
 来客用ソファに座って、分厚い本のページをめくっている御剣に。



「ついでにお菓子も買って来る、などと言っていたからな。
 順当に考えれば、時間がかかっているのは、そちらの可能性の方が高い」
「ああ……そうかも」
「と、いうより」
 本から顔を上げて言う御剣。
「そもそも文房具の買い置きを切らすなどという事が、職場としては問題だ。
 もっと言えば、修正せねばならん誤字を書く事からして悪い」
 どこか説教めいた話し方をしながら、ぼくの方に白目を向けてくる。
 そう。本当ならもう、皆で一緒に食事に行っている時間だったのに。予定よりも遅れているんだ。
「このような事ならば。もっと遅い時刻に訪ねても良かったな。
 この書棚にある本たちも、相当に読みこんでしまったし。やや飽きてきた」
「えっ!?」
 あっさりと言われた言葉に、ぼくは仰天した。
 席を立ち、壁の本棚を見てから、御剣の手元を見て、そこで気づく。
 御剣が読んでいたのは間違いなく、千尋さんが集めた本のうちの1冊だ。
 けど、飽きてきたって事は……つまり。
「お、お前……もう全部読んでるっていうのか、コレ?」
 だって、1冊1000ページくらいの本も一杯あるのに!
「ああ。さすが綾里弁護士のそろえた品だな。資料として純粋に貴重だ」
 なんて、御剣は一人でうなずいているけれど。
 …………信じられない。
「凄いな。よく読めるね、こんなの。
 ぼくなんて、見ただけでもアタマが痛くなってくるのに」
「プロならば当たり前だ」
 と、御剣は、首を振りながら答えた。
「むしろ私としては、これほど質の良い資料に囲まれていながら、手を伸ばそうとしないキミの方が、
よほど凄まじいと思うが」
 あ。ちょっと持ち直したような感じに聞こえる。機嫌。
 ぼくは、ソファの向かいの席に腰を下ろし、おどけた口調で言ってみた。
「そんな事言われても。当のぼく自身、まさか弁護士になるなんて、夢にも思ってなかったから。
 ホント人生って、何が起こるか分かんないよね」
「そうだな。私とて…………あの時に。
 子供時代のあの事件を境に、世界の全ては変わってしまった」
「…………」
「…………」
「…………ええと。その」
 暗い話になりかけるのを、ぼくは何とか押しとどめようとした。
「でもさ。御剣だったら、もし弁護士になってたとしても、活躍してたと思うよ。きっと」
「まさか。そんな事……」
「そんな事あるって。
 葉桜院の時は、本当にお世話になりました。御剣検事弁護士殿」
「そのワケの分からん肩書で呼ばれるのは、もう勘弁して頂きたいところだ」
 肩をすくめて答える。
「それならば……、そういうキミはどうなのだ? 成歩堂。
 もし弁護士の道を選んでいなかったとしたら、他に望む進路はあったのか?」
「ううん……。一応、したい事はあったよ。学生時代」
「確かキミは芸術学部だったな。という事は、やはり芸事の関係か。いったい何だ?」
「まあ、言ってもいいけど。……言った後、笑うなよ?」
「出来るだけ善処する」
「例えば、なんだけど。取りあえず、お金ためてさ。
 それでその…………………………留学…………………………出来たらいいな、とか」
「何?」
「だから。海外の、あちこちの国に行って回って、向こうの生活に触れるとかして、
それで色々勉強とかしてみようかなー、とか。とか。……とか」
「………………ッ」
「ああもう、やっぱり笑った!」
「い、イヤすまん。
 ただその、将来の進路と言うには、あまりに茫漠というか、途方もないというか、
何より現実性に欠けるというか。…………ッッ」
「だから、例えばって言ってるだろ?
 それに、人が本当に本気になったら、やれない事なんて無いんだからね」
「ああ……。確かにその通りだな。
 では、諸々の条件には全て目をつぶった上で、キミの話を進めようか」
「そうそう」
 そう来なくちゃ、せっかくの会話が終わっちまう。
「ええと。じゃあ、あくまでも例えばの話として。
 そうやって、ぼくが海外を渡り歩いて勉強している頃、きみは協会きっての天才弁護士として活躍していて」
「ちょっと待て。まさか、そちらの方の話も続けるつもりなのか?」
「その方が面白くなるんだよ。
 ……とにかく。もし弁護士になってても、それでも御剣の無敗は変わらないと思うんだ。
 モチロン、きちんと事件の真相を見抜いた上でね」
「それは当然だろう。私は、有罪の依頼人などに惑わされたりしない」
「さすが厳しいね」
 確かにこの男なら、身内を人質に取られたりしても、動揺なんかしないだろう。
「でも、そうやって努力していても、どうしようもないピンチっていうのは、いつか襲いかかってくるはずだよ」
「事件の関係者になる……とかか?」
「それもそうだけど。
 他にも、偽者が出回るとか。それこそ命に関わるようなトラブルに出遭うとか」
「酷寒の激流に身を投げるような事もあるのかもしれんな。……確率は低いが」
「そう。もしきみに、そんなピンチの時が来たとしたら――――そうしたら、どうなると思う?
 ぼくときみの間でさ」
「…………」
 ぼくに訊かれた御剣は、しばらく黙っていたけれど。
 やがて、しみじみとした言い方で、ぼくに告げた。
「……………………なるほど。今、分かったかもしれん。キミの言いたい事が」
「ありがと」
 だったら、わざわざ口に出して言うのも、ちょっと恥ずかしいけど。
「もしも、途中の歴史が違っていたとしても。結局たどり着く場所は同じだって思うんだ。
 最初に、ちゃんと出会えていれば。その時の気持ちを忘れなければ。
 ぼくは必ず、困っている人の所に、きみの所に駆けつける。駆けつけてみせる。
 どんなに時間をかけたって、どんなに遠い所からだって。何があってもね」
「そうか……。そう、だろうな」
 御剣は、遠い目をして言った。
「恐らくキミならば、法曹界とは縁もゆかりもない世界に行っていたとしても、
しぶとく最後まで生き抜いている事だろう。私が保証する」
「って……褒めてるのか、ソレ?」
「さあ、どうだろうか」
 と、御剣は、薄く笑って言い返した。
「だが……断っておくが、私は検事職から離れるつもりは毛頭ないぞ。
 弁護士になる予定もない。……無論、キミが別の道を目指すのはキミの自由だが」
「分かってるって」
 ぼくが色々言ったのは、ただのジョークなんだから。
「ぼくだって、弁護士を辞めるつもりなんてないよ。この仕事は一生さ。
 千尋さんの思いをつなげて行くんだから。真宵ちゃんの事だって頼まれてるんだし」
「――あたしがどうかした?」
 ずっと待っていた声を耳にして、ぼく達は顔を向けた。
 真宵ちゃんが、ビニル袋を手に提げて戸口に立っていた。
「あ。お帰り、真宵ちゃん。…………あった? 修正液」
「うん、バッチリ! ……はいコレ!」
 良かった。これでやっと仕事が終わる。
「あとね、それからね、こんな物も見つけちゃったんだよ!」
「って、何だよソレ」
 見せられたのは、お菓子が入っているにしては、やけに大きな紙の箱。
 真宵ちゃんは、明るい声で説明した。
「あのね。あのね。凄いんだよコレ。
 お菓子と一緒に、こんな立派なフィギュアが中に入ってるの。
 それなのに、こーんなにお買い得なんだから!」
「いやいやいや! どう考えてもソレ、ぼったくりってヤツじゃないか?
 第一、肝心の中身より、オマケの割合の方が、量も金額も絶対に多いし」
「あー。古いな、なるほどくん。
 今は『オマケ』じゃなくて、『食玩』っていうんだよ?」
 知らないそんなの。
 ため息をついたぼくに、横にいる御剣が声をかけてくる。
「それより成歩堂、キミはするべき事を早く済ませたまえ。
 今から行けば、当初に予定していた店にも間に合う」
「ああ、そうだね。……ちょっと待ってて!」
 ぼくは急いで、デスクの席に座り直した。







 何て事ない生活。何て事ない日常。
 当たり前のような繰り返しを、ぼく達は続けていく。
 これからも何かあるだろうけど。これから何があったとしても。
 いつかは再び、この場所にたどり着く。
 穏やかに過ごせるこの場所に――――きっと。

〈了〉




《※筆者注》
この作品の挿絵は、「逆裁祭」(ファンサイト企画)でのコラボレーションとして
「iorism*」の壬生伊織さんに描いて頂いた物です。この場を借りて、心よりお礼を申し上げます。
というわけで。その画たちから書き起こした話は、こちらの
Bonus Track にてどうぞ。



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