Border Zone

1.

 うららかな日差しが、事務所の窓に差してくる。
 こんなに穏やかな日だと、いつもの仕事も一段とはかどるというか。
「ええと……コレは、こっちに、と。それから…………」
「ちょっと! なるほどくん!」
「わっ!」
 突然、真宵ちゃんに大声で呼びかけられて、ぼくは思わず振り返った。
「な、何だよ急に。何か用?」
「『何か用?』じゃないよ!
 一体いつまでやってる気なの? トイレ掃除なんて」
「いいだろ別に。こっちは好きでやってるんだから。それに、ここは…………」
「ここは?」
「あ。いや、何でもない。
 それより、確かあっちの棚に、頂き物のお菓子があるから……」
「え、ホント? 食べていいの?」
「うん。ずっと置いておくと傷んじゃうし」
「やったあ! なるほどくん、いいヒト!」
 ……やれやれ。何とか、ゴマカせたかな……。
 喜んで走って行く真宵ちゃんを見送りながら、ぼくは人知れずため息をついた。
「――って! もう、危うくゴマカされるところだったよ!」
 ちぇ。バレたか。
 怒った顔で戻って来た真宵ちゃんを迎えながら、ぼくはもう一度ため息をついた。
「ね。ね。なるほどくん。今、言いかけた事って何なの?」
「ううん……。まあ、別に話してもいいけど……長いよ?」
「いいって、いいって。どうせ今、事務所もヒマなんだし」
 ソレを言うなよ。
「……わかったよ。少し長くなるかもしれないけど、聞いてもらおうかな……。
 ぼく自身、未だに信じられない話なんだけど」
「お。何となく、面白そうな予感」
「ほら。あの時……。真宵ちゃんと久しぶりに再会した時の事」
「ああ……あたしが倉院の里で、殺人事件に巻きこまれた時?」
「うん。その時に起こった事なんだ…………」

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

「記事の切り抜きを……どこへやったッスかねえ……」
 あの時。イトノコ刑事にそう言われたぼくは、自分の持っている新聞記事を取り出そうとした。
 ところが。法廷記録のどのページを繰ってみても、その記事が見当たらない。
 何でだろう?と考えてから、ふと思い当たった。
 …………もしかして。事務所のデスクに置き忘れてきた?
 そう気づいた次の瞬間。ぼくの頭の中は、あっという間に真っ白になった。
 だって、この倉院の里から、事務所のある街までは、ざっと電車で2時間かかる。
 昨日、真宵ちゃんには、「たった2時間」という言い方をしたけれど、今となっては、「2時間も」だ。
 でも、ここで記事を渡せなければ、新しい情報は手に入らない。
 真宵ちゃんを救い出すためには、何としても事務所に戻らなくちゃならない。
 そう自分に言い聞かせてから、ぼくはひとまず、里の入口へ戻った。
 そんな時。
「如何なさったのですか? なるほどくん」
 ぼくの後に付いて来ていた女の子――綾里春美ちゃんが、小首を傾げて尋ねてきた。
「あ、ちょっと。一旦、事務所に帰ろうかなって思って――」
「まあ!」
 と、彼女は、大きく開けた口に手を当てて叫ぶと、片袖をまくって、ぼくに詰め寄ってきた。
「なるほどくん! まさか、あなた、真宵さまを見捨てようというおつもりでは、ございませんよね!?」
「い、いやいやいや!」
 ぼくは慌てて首を振った。
「違うよ。逆だよ。
 真宵ちゃんのために、どうしても必要な証拠品があるんだけど。
 ソレを事務所に忘れてきちゃってさ。取りに行かないといけないんだよ」
「ああ、そういう事ですか。ほっとしました」
 と、彼女。どうやら、分かってくれたようだ。
「でも……お言葉ですが、なるほどくん。今からその“じむしょ”に行かれるのは、
かなりのお時間がかかってしまうのでは……?」
「う、うん。けど仕方ないよ。忘れちまったぼくが悪いんだから。
 急げば、別に大した距離じゃないし」
「いいえ! そうは参りません!」
 参りませんとも!と、春美ちゃんは厳しい顔つきになって力説した。
「そんなノンビリしていては、すぐに今日が終わってしまいます。
 あのお客様の、心理錠(サイコ・ロック)を解く手順も、お教えせねばなりませんし」
「あ……そういえば」
 そんな事もあったっけ。
 どうも、見たところ、ぼくより彼女のほうが、よほど切羽詰まっている様子に感じる。
 それだけ、真宵ちゃんの事を、彼女も大切に思っているのかもしれない。
「………………とにかく。こうなりましたら……」
「ましたら?」
「何としてもわたくし、なるほどくんを送り届けてさしあげます。その“じむしょ”という所に」
「え!? …………で、でも。一体どうやって?」
「はい! それはもう! お任せください!」
 と、春美ちゃんは嬉しそうに跳び跳ねながら答えた。
「この倉院の里に伝わる、あの秘術を使うのです!」




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