5.

「……ちぇ」
 思わず、だだっ子みたいな声が出ちまった。
 こっちとしては、ギリギリまで隠して驚かせたかったのに。なのに。
「いつから……分かってた?」
「最初から」
「!?」
「と言えたら理想だが。確信を持てたのは、やはり町外れに向かおうとした時だな」
 あの、変に間(ま)が空いちまった時か。
「そこから記憶をさかのぼり、論理のカケラを拾い上げた。
 私が車を借りようと提案した時の流れだ」
 指を一本立てて、続ける。
「あの時。私の提案に対し、キミは強硬に反論し、私はキミを論破した。表面上はそう取れる。
 しかし後に思えば、アレはどうにもキミらしからぬ言動だった。だから発想を転換した。
 実のところ、キミは私を誘導したのだ。私が自らの意思で車を選んだのだと強調したのだ。
 キミが本当に隠したい目的を、カモフラージュするために」
 そこまで話してから、苦い顔になって首を振る。
「結局。私は、キミの脚本通りに動かされていたわけだ。
 この場所には、あくまで私自身の意思で、ごく自然に訪れた、という演出でな」
「………………お見事」
 さすが。理路整然ってのは、コイツのためにある言葉かもしれない。
「じゃ、改めて。あっちの方、行っていいかな。
 ぼくが行きたい場所……今日の旅の目的地ってやつに」
「この期に及んで断るくらいならば……、とうの昔に、帰り道を走っている」
 そんなやり取りを済ませた後、ぼく達はひたすら歩いた。
 着いた山のふもとには、古びた小さな石段が残っていた。
 始めの内は、その石段を使ってのぼれた。
 けれど、やがてその石段も地面に埋もれ、終いにはすっかり消えてしまった。
 そこから先は、ある種、密林状態。
 目の前を塞ぐ枯れ枝を、払いのけても払いのけても終わらない。
 足元も同じく危なっかしい。積もった落ち葉を踏む度に、靴が深く沈みこむ。
「…………本当に、コレが正規のルートなのか? 成歩堂」 
「一応ね」
 ぼくは、地面の様子を確かめながら先に歩く。その後に、御剣が続く。
「あ。そうそう。次、少し道が曲がるよ。まっすぐ行くと危ないから」
「そうなのか?」
「覚えてない? ぼくらの前に進んでた矢張が滑って、悲鳴あげて消えてった事」
「何だと!?」
 心底からギョッとされたのが、背中越しでも分かった。
「いやいや。そんな大した話じゃないだろ。後で頂上で、ちゃんと会えたじゃないか。あの時」
「そうだったか……?」
「ホントに、覚えてないのか?」
 振り返って尋ねると、御剣はどこか遠い目をして答えた。
「覚えていないというより、思い出さないようにしているのだろう。無意識のうちに。
 ココでの出来事は私にとって、恐らく……」
「……」
「…………すまない。こんな場で、こんな話をしても仕方ないな」
 御剣はぼくに謝って、早く行こうと促した。
 ぼく達は再び歩き出した。
 ぼくは自分の腕時計で、頃合いを確かめた。
 歩く度に、少しずつ西日が強くなっているのを感じる。
 吹き込んでくる風が、立ち木をざわざわと鳴らしている。
 横倒しになっている大木を乗り越えて、それでついに頂上にたどり着いた。
 大人の足なら、大した高さじゃなかったけど。あの足場の悪さは、子供でないと無茶だな。
「…………しかし、分からん…………」
 その声に後ろを見ると、御剣も同じようにたどり着いたところだった。
 ヒザに手をつき、肩で息。気のせいか、ぼくより消耗してるように見えた。
「ココに来たかったのなら、何故このような時刻を選んだのだ?
 もう、そろそろ暗くなってきている。これでは見たい物も見られないだろうに」
「そんな事ないさ」
 ぼくはもう一度、右腕の時計の針を確かめた。
「良かった。ちょうどいいタイミングだ」
「……?」
「ぼくが見たかった、いや、見せたかったのは―――アレだよ」
「……!」
 顔を上げた、御剣の視線の先。
 腕を掲げた、ぼくの視線の先。 
 そのずっと先にある物は。
 どこまでも透き通った赤い空、その下の方で、ひときわ輝いている炎の塊――。
 ぼくは後ろを向いて尋ねた。
「やっぱり……驚いた?」
「驚くも、何も……」
 ぼくは、立ちつくしている御剣の隣に立った。
 改めて、空の夕日を眺めながら、ぼくは話した。
「この景色を見れたから、あの時のぼく達は家に帰れたんだ」

 “道に迷ったら、高い所に行けば方角が分かる。お父さんに教わったから間違いない。”

 あの時の御剣は、そう話し続けて、ぼく達を励ましてくれた。
 森を抜けて野原を抜けて、何度も転びながら、ぼく達はこの場所に着いたんだ。
「お前さっき、言ったよな。ココでの出来事は思い出さないようにしてるって。
 だからコレも覚えてないかもしれないけど。あの時のお前は、ココの景色に凄く喜んでた」
「……」
「もともと夕日は好きだけど、この景色は今までで一番キレイだって。近いうちにまた見に来ようって。
お父さんにも見せたいって。両手を広げて大はしゃぎしてた」
 もっともコイツ、矢張がのぼってきた頃には、すっかり澄ました顔を作ってて。
 それでもバレて、指を差されて笑われて、それでまた一騒動になったんだっけ。
「たとえ、お前が覚えてなくても、ぼくが覚えてる。あの時のお前は、最高に嬉しそうだった」
「……」
 ずっと黙っている御剣に、ぼくは思いきって言葉を継いだ。
「…………お前ってさ。ぼくの方から昔の話すると、いつも寂しそうな顔するよな。
 今だってそうだ。
 その理由は、ぼくだって分かってるつもりさ。
 事あるごとに、嫌な思い出ばっかり思い出してたら、それこそ嫌になるよ。
 でも……、そんな事いつまでも言ってたら、悲しすぎないか?
 ぼくは、あの頃のお前の話をしたい。あの頃のお前にお礼を言いたい。
 あの頃のお前と同じ思い出を持っていたい。
 ぼくが今こうして生きてるのは、あの頃のお前のおかげなんだから」
「…………………………あの頃の私……か」
 御剣は、腕で自分の体をかき寄せて、顔を背けた。
「確かに、当時の私は、夕日を見るのが好きだった。また次の夕日を見たいと待っていた。
 ただ……、次の夕日を心待ちに出来るには、前提がある。
 夕日が沈んでも、また変わらぬ朝日がのぼると信じられるという前提が。
 太陽が失われる事などないと信じられるという前提が。
 今の私は知っている。次の夕日を見られる保証などない事を。
 自分にとっての太陽が、突然失われる日もある事を」
「そ、それは……」
 ……そうかもしれないけど、でも……。
「そう考えて以来、夕日どころか、こうして景色を眺める事自体、私は興味を失っていた。
 近頃は誘われて、皆と出かけるようにはなったが。
 自ら率先して楽しんでいたかと問われたら…………断言しかねる」
「だ、だから……」
 ……そんな悲しい事を言うのは、止めろって……。
「今の私は、昔の私と同じ気持ちを抱く事は出来ない。
 今ある景色は、あの時あった景色とは違うと知っている。………………しかし」
「?」
「そんな理由よりも前に、私は一番大事な事を忘れてしまっていたようだ。
 それを今、思い出せた」
 御剣は、ゆっくりと顔を上げた。
 両腕をいっぱいに伸ばして、胸を広げて叫んだ。



「理由はどうあれ、“これ”は美しいのだ!」



 更に声を張り上げて、天に向かって吠えた。
「私の過去がいかに忌まわしい記憶に満ちていたとしても。この景色そのものに罪はないのだ。
 そうだ! 何があろうとも、今ここで、こうして見ている景色そのものを、
私は決して否定できない、否定したくない、否定などするものかッ………………!!」
 ――そんな単純すぎる事を、私は忘れてしまっていたのだな――。
 御剣はそう言って、両手を下ろした。
 顔はまだ、空を見ているままだった。
「もっと早く、この場所に来ていれば良かったな。キミに連れられる前に、私自らの意思で」
「……お前の意思だよ。ココに来たのは」
「?」
「別にお前は、ぼくに引きずられてココに来たとかじゃないだろ。
 お前は自分でココに来て、自分で気がつけたんだよ。思い出にも色々あるんだって事にね」
「そうか……、そうだな」
 御剣は軽く肩をすくめてから、ぼくの方に向き直った。
「今度こそ、私は今日の出来事を忘れない。………………ありがとう、成歩堂」
「…………………………………………」
「………………何だ? 成歩堂。急に妙な顔をして」
「あ。いや。その」
 口元に手をやって、そっぽを向いて言ってやった。
「お前もとうとう、人にそんな素直にお礼を言えるレベルまで成長したんだなって感心して」
「な……、何だその言い草は! 私とていつまでも常識知らずなニンゲンではないぞ!」
「へー、そーですか。それでは検事殿は、かつて自分が常識知らずだった事はお認めになるって事ですね?」
「い、異議あり! ソレは論点のすり替えだッ!」
 顔を真っ赤にして反論してくる御剣に、ちょっと申し訳ない気持ちになったけど。どうかカンベンしてほしい。
 お礼を言われて舞い上がってるぼくの顔の方が、よっぽど赤くなってるなんて事を知られたら、
それこそ大変だから。


 ――忘れやしないよ。君と一緒に見た、今日の夕暮れは、いつまでも――。

〈了〉




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