2.

 だけど、いくら待っても、衝撃は襲ってこなかった。
 目を開けてみると、拳はぶつかる直前で寸止めされていた。
「と、私がキサマを殴り飛ばせば、キサマの書いた脚本は完結するのだろうな」
 古い青春ドラマでもあるまいに。誰が殴るか。
 そう言って御剣は、軽く突き飛ばすような形で、ぼくの襟首から手を離した。
「…………やはり、こうなってしまうのか」
「え?」
「キミがあの手この手で私を遠ざけようとし、最終的には決定的なケンカ別れを演出する。
 まさしく、私が想定していた通りのシナリオだ。
 話が脱線したせいで、数分ほど遅れたが」
 肩を大きくそびやかして、続ける。
「シナリオライターは、キミ一人だけではないのだよ。
 私にも、この場を仕切る権利がある」
 座り直した御剣は、優雅な仕草で足を組んだ。
「もう、キミのペースには乗らん。平和な談笑の時間は終わった。
 これから私が行うのは、自らの話を語り終える事だけだ」
「……」
「さぁ、キミも席に着きたまえ。他の客が見ている」
 ぼくは視線を合わせないようにしながら、元の椅子に腰を下ろした。
 御剣は静かに話し始めた。
「確かに、私が今している行為は、己の個人的な感情による部分が大きい。それは認める。
 だが、そのような私の諸事情を、ココで論じる意味はない。
 私の質問を、はぐらかさないで頂きたい。
 もとより私は、知っているのだよ。今のキミの背後にある、ある組織について」
「組織……」
「本当はキミの口から聞きたかったのだが、仕方あるまい。
 その組織の名は、『公安局』だ」
「………………………………」
 ぼくは、ポケットの中にある手を、強く握りしめた。
「公安局は、検事局・警察局と居並ぶ、第三の局。
 基本的には、警察局と連動し、検事局との調整役を受け持つとされている。
 ただし、その活動内容をカンペキに把握している者は限りなく少ない。いわば、この国のブラックホール。
 その組織こそが、キミの人生を変えようとしている張本人なのだろう?」
「……」
「もし万一、この私の論に異議を唱えたいならば、今のうちだが」
「……って、そうしたら早速反論してくるのが、お前のいつもの得意技じゃないか」
「さすが理解が早いな。喜ばしい事だ」
 御剣は低く笑った。
「キミの言う通り、私は曖昧な憶測は言わない。
 私が既につかんでいるのは、確たる証拠……いや、証人というべきだな。
 実はキミの身近にいるのだ。公安局と関わりを持っている人物は。
 それ即ち……、この私自身だ」
「!?」
「今こそ言おう。私が、キミのいうところの『失踪』をしていた時代、
ある種、私が世話を受けた組織こそが、公安局だったのだ」
「……」
「どのような世話を受けたか、詳細は伏せる。彼らの守秘義務は、カンペキさえ超えた異常の域だ。
 だが何にせよ、私は今も彼らとある程度のつながりを保っている。
 そのおかげで、私は知る事が出来た。キミが彼らに『誘われて』いるらしいという事を」
 その台詞を聞いた時、ぼくは思わずつぶやいていた。
「………………何て……余計な事を……」
「今の発言は、証言として採用してよろしいか? 成歩堂」
 御剣の声は、いっそ穏やかなほどに落ち着いていた。
「だが、心配は無用だ。不本意ながら、私は彼らに『守られた』実績がある。
 現時点で、彼らが私に不利益をもたらす可能性はゼロだ。
 私に何か起これば、それは彼らのプライドに関わる一大事になるのだから」
「……」
「話を戻そう。
 とにかく、彼らは表向きは、あくまでも司法の調整役を務めている。
 だが彼らは、世に隠れたもう一つの役目を持っている。それは超法規的な捜査、いわゆる諜報活動だ。
 そしてその際、彼らは得てして、民間人を捜査官として登用する。
 彼らの手法は、いつも強引だが、同時に的確だ。
 その彼らに認められたというのは、むしろ誇りに思っていい。しかし」
 次に言う言葉を探すように、御剣は一瞬だけ黙った。
「…………しかし、だ。一度、彼らの手駒に落とされて、無事でいられると思うな。
 彼らはこの国、ひいてはこの世界全体の治安のみを優先する。世間一般の常識さえ、容赦なく切り捨てる。
 彼らは明言しなかったが、恐らく彼らはキミに、トンデモナイ条件を突きつけてきているだろう。
 例えば……自由に行動できる身分になるべく、いったん法曹界から姿を消せ……などというような」
「……」
「成歩堂。キミはまだ、あの背広を脱ぐべき時ではない。彼らの脅しに屈するな。自暴自棄になるな。
 今この時が、キミの人生最後の分岐点だと自覚しろ」
「……」
「私が伝えたい事は、以上……だ」
「……そう」
 ぼくは、ゆるゆると体を起こした。
「ありがとう。御剣。最高だったよ。お前の話。とっても最高の………………暇潰しだった」
「成歩堂…………」
「じゃ、話は終わったって事で、これで帰ってくれるかな。お前の長話にいつまでも付き合ってあげるほど、
ぼくも暇じゃないんでね。他に会わなきゃいけない人と、話さなきゃいけない事もあるんだし」
「ソレが……、キサマの答えか」
「何でもいいよ。いいから帰れよ。出てけよ。こんなトコ、もう二度と戻ってくるなよ」
 ひらひらと振ったぼくの手が、ずっと忘れられていた封筒の山にぶつかった。
「そうそう、コレもちゃんと持って帰ってくれよ」
 席から立って、テーブルの上に散らばっている物を集めて、紙袋に詰め直した。
 色とりどりの封筒も、使いかけのメモ用紙も全部。
 その紙袋を、御剣の両腕に抱えさせるように押しつけてから、
詰めた物の一番上を、これ見よがしに引っぱたいた。
「コレは即刻、燃やしちまってくれ。一秒だって残しておいてほしくないから」
 御剣は無表情のまま、紙袋に視線を落とした。
 顔色が変わったのは、ほんの一瞬。
 再び顔を上げた時には、元の鉄面皮に戻っていた。
「…………承知した。コレは私の責任で速やかに処分しよう」
「くれぐれも頼むよ」
 淡々と答える御剣。愛想笑いを浮かべるぼく。
「いいかい? 今後ぼくに何があっても、もうぼくは『死んだ』と思ってほしい。
 特に、イトノコ刑事とかにはシッカリ伝えといてくれよ」
「そうだな。アレは余分な気を遣う性分だ」
 ぼくが椅子に戻るのを合図に、御剣は店の入口へ歩いて行った。
 ドアに手をかける時、その場で足を止めた。
 ――コツン。
 靴先で蹴られた床が、小さく鳴った。
 直後にドアベルが鳴り響き、それで御剣は去って行った。




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