3.

 笑いがこみ上げてきて仕方なかった。
 今までのような嘲笑じゃない。
 ぼくは心からの喜びに包まれていた。
 ありがとう。御剣。
 お前なら、あのメモにも気づいてくれると思ったよ。
 ぼくが紙袋の一番上に乗せたのは、さっきポーカーのルールを書こうとしていたメモ用紙。
 あの紙には、実際はこんな内容を書きつけていた。


『盗聴や盗撮をされてると思うから、だまって読んで。
 このメモの次のページから、ぼくが伝えたいことを書いてある。
 このメモを読んでくれたら、店を出る時、クツで床を鳴らしていって』


 それで御剣は、その通りに答えてくれたんだ。
 でも、ホントに驚いたな。
 まさか、あんなに調べがついてたなんて。
 そう。ほとんどは、アイツが言っていた通り。
 当たりすぎてて、気味が悪いくらいだ。 
 確かに、彼らはぼくに、彼らの世界に入るよう誘ってきた。
 そうすれば、もっとずっと高い場所から、法曹界を見下ろせる立場になれると。
 そして、彼らの世界に入るなら、弁護士バッジを失う覚悟も必要だとも。
 簡単に言えば、それは社会的な“死”に等しい。
 正々堂々とする事も出来なくなる。身近な人を守る事も出来なくなる。
 今までの自分を捨てて、むしろ今までの自分を否定して生きなければならない。
 そんな大きすぎる代償を、彼らはアッサリと突きつけてきている。
 ただ……残念だけど、お前の推理は一つだけ違ってたよ。御剣。
 ぼくは別に、彼らに脅されて屈するわけじゃない。
 自暴自棄になってるわけでもない。
 ぼくがこのまま、この道を選んだとしても、あるいは選ばなかったとしても、それは全てぼくの意志だ。
 目の前に置かれた、“死”のボタンを押すのは、あくまでもぼくだけの権利なんだ。
 他の誰にも邪魔はさせない。
 ぼくは、一人きりに戻ったテーブル席で、ぬるくなったグラスの中身をあおった。
 舌先の焼ける甘みと、喉奥に残る苦みとで、くらくらと頭が揺れた。
 ぼくの今日の行動も、恐らく彼らに報告されるだろう。
 どうか、とても手に負えない厄介な奴だと思われたい。
 彼らと互角に渡り合わなきゃ、彼らに近づく意味がなくなる。
 絶対に生き延びなきゃいけないゲームは、もう始まっているんだ。
 だから今は、自分の“役”を作る事に没頭しよう。
 幼なじみを思う気持ちも、この身に背負う責任も、何もかも忘れてしまえ。
 そうすれば、ほら、ぐずぐずと意識が溶けていく。
 ふと、取りとめもなく考えた。
 ずっと昔に聞いた話。
 この世界は、誰かの見ている夢に過ぎないかもしれないという、そんな空想。
 もしソレが本当だとしたら、このぼくを担当した作家は、相当に底意地の悪い奴に違いない。
 よりにもよって、こんな舞台で踊れだなんて。
 これほどまでに、暗く黒く深く淀んだ袋小路で。
 何とも無茶なリクエストをしてくれたもんだよ。
 ぼくは、テーブルの向こう側に目を凝らした。
 すると、沈んだ暗闇のその奥に、幻が見えてくる時がある。
 ソレは、今のココではあり得ない、ぼくの姿。
 当たり前のように仲間たちに囲まれて、当たり前のように蒼い情熱を振りかざして、
当たり前のように笑っている。
 この現実にいるのは、破滅すると分かっていながら、それでも進んでやろうと足掻いている、
くたびれた男なのに。
 何で違ってしまったんだろう。
 何で狂ってしまったんだろう。
 そもそも、ぼく、何でココに居るんだっけ。 
 ……うん。いい感じに、頭が働かなくなってきた。 
 そういえば、さっきは結局、使わなかったな。コレ。
 ぼくは、テーブルの端に置きっぱなしになっていた、カードの束を引き寄せた。
 御剣は、今この時が、ぼくの人生最後の分岐点だと言っていた。
 けれど、もしかしたら、彼らに誘われるよりも前に、ぼくの運命はもう分岐していたのかもしれない。
 あの依頼人からこのカードを受け取った、あの日から。
 いつまでも変わらずに過ごせている未来と、こうして闇の中でうごめいている未来とに。
 さて、この先に待っている運命は、果たして何か。
 そんな占いめいた気分で、伏せられたカードの束の一番上を、指で弾いた。
 めくられて場にさらされたのは、何かの汚れの染みついた、スペードのA(エース)だった。

〈了〉




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