2.

 無人の資料室に、矢張と共に入る。
 念のために施錠してから、御剣は息をついた。
「……これで良し。会話していても、ここならば問題なかろう」
 対して相手――矢張は、珍しそうに部屋を見回しながら話しかけてきた。
「なあ、御剣よォ……。場所変えるってのは分かるけど。
何だって、こんな殺風景なトコに入らなきゃならねえんだ?」
「私とて、入りたくて入った場所ではない。……それよりも」
「?」
「どういうつもりだ? 事件の被告人という身でありながら、留置所から脱走を試みた、と話に聞いたが」
「へ?」
 矢張は腕を組んで考えこんでいたが、やがて合点の行った顔で言った。
「ああ、そうか。オレ、『ヒコクニン』ってヤツだったんだっけ」
 ソレを忘れるものだろうか。普通。
「って言うかさ、別にオレ、脱走なんかしてねえって!
 そもそもオレ、何も悪い事なんかしてねえし! むしろ被害者よ、被害者!
 オレの、オレの大事なカノジョを…………誰かがーッ!!」
「よ、よせ! 大声を出すなッ!!」
 と、止める御剣自身、大声を上げている事に、しかし当人は気づけない。
「とにかく落ち着きたまえ! 何があったのか、順を追って話すのだ!」
 泣いている矢張に命じながら、ふと御剣は当時の記憶を思い起こした。
 あの頃、小学生だった頃もこうやって、矢張が巻きこまれた(または起こした)トラブルを
問いただしていたものだ。
 もっとも、その時には、聞き役に回る人間が、自分以外にもう一人いた。
 素直すぎる目で、率直すぎる言葉の矢を放つ、少年が。
 そんな感慨を抱いている御剣の前で、矢張の釈明は続いた。
「――っていうワケでさ。その時だって、ちゃんとオレ、トイレ行きたいって言ったんだ。
 なのに脱走だの何だのって……、参っちまうよ」
「……なるほど」
 細かい部分は未だ分かりかねるが、事の概要はつかめた気がする。
 結局は、互いの話の行き違いに過ぎなかったというわけだ。
 関連して思い出せた新聞での報道も合わせ、瞑目して情報をまとめる御剣に、
矢張はしみじみとした面持ちで言った。
「あー、それにしても、さすが御剣だわ。オレの今の身の上を訊き出すのも早い事。
 このオレなんかの話だけで、よく分かるよな」
「ソレが私の仕事だからな」
「イヤもう、さっきのあのオッサンとはエライ違いだぜ。ホントに」
「…………。……あのような人物とは、一緒にしないで頂きたいが」
 半ば無意識のうちに、御剣は本音を呟いていた。
「だよな。そうだよなー。……やっぱり、弁護士ってのは一味違うよな!」
 …………………………?
「矢張」
「はいよ」
「念のために尋ねるが……。キサマ、私の職業が何か、知っているのか?」
「ハッ! いまさら訊くなよ。そんな分かりきった事」
 と、矢張は鼻を鳴らして答えた。
「オマエ昔、言ってたじゃねえか。
 『ボクは大きくなったら弁護士になるのだよ』って。
 オマエの事だから、その夢ゼッタイに叶えてるだろうって思ってたぜ」
「……………………」
「それにオマエ、言ってたじゃねえか。あのオッサンと一緒にするなって。
 あのオッサン、明日の裁判でオレの弁護士を負かしてやるって言っててさ。
 だったら、ソレとは関係ないって言うオマエは弁護士。ハイ証明終わり」
「……確かに。…………実に極めて論理的な推理だと言えるな。ソレは」
「だろ? だろ? オレだって学校は出てるんだ」
 と、胸を張る矢張を余所に、御剣の中には苦い物がこみ上げてきていた。
 弁護士。
 正義と称して、罰されるべき罪人を裁きの庭から奪う、忌まわしき輩。
 今の御剣にとっては、弁護士というのはそんな種の人間を指していた。
 だからこそ御剣は、その真逆に位置する者――検事職を目指したのだ。
 だがしかし。まさか、先程のあの中年男性が、自分と同じ検事とは。
 もう顔もよく覚えていないが。
 あのような者と同じ扱いを受けるのも、また御免こうむりたいところだ。
 御剣が、そんな考えを巡らせているとは夢にも思わず。矢張は話を続ける。
「けどホント、やっとスッキリ出来たぜ。
 どいつもこいつも、オレの話、聞いてさえくれねえんだもんよ。
 特にあのオッサンときたら、最初からオレの事、疑いまくりやがって。
 少しは信じてくれたっていいだろうにさ。なあ?」
「…………愚か者め」
「え?」
「忘れるな。キサマは今、被告人の立場なのだぞ。
 仮にも検事たるものが、その被告人ごときの話を信じてどうするのか」
 我知らず、語気が荒くなる。
「良いか。被告人の烙印を押された時点で、その人物は既に有罪なのだ!
 一度たりとも疑われた罪は、必ずや裁かれなければならない!
 さもなくば、現在のこの国の治安を守りきる事は不可能なのだ!」
「………………って。何で、オマエがそんなに怒るんだ?」
「あ」
 いかん。つい興奮して。要らぬ説教を。
「と……その。あの。そう、私の知り合いの検事が言っていたのだ。
 そうやって、検事という職種を誤解されるのは心外だ……とな」
「……ふうん……」
 正直、かなり苦しい言い訳に思えたが。矢張は納得したようだった。
「まー、そうよな。人それぞれ、色々あるわな。……よく分かんねえけど」
 御剣の知り合いなら、そんな悪い奴でもねえだろうし。
 そんな事を独り呟いている矢張に、御剣は話題を変えようと試みた。
「ところで……明日の裁判で、キミにつく弁護士というのは?」
「お? 気になる? もしかして御剣も、オレの弁護してくれるとか?」
「い、いや! そういうワケでは……」
「あ。いいっていいって。無理しなくても。
 大丈夫。もう決まってるから。オレを弁護してくれる弁護士は」
「そうなのか?」
「ああ、聞いて驚けよ。…………成歩堂龍一、だ」
「!」
「オマエも覚えてるだろ。あのギザギザ頭のアイツ。
 ていうか、オマエも弁護士なら、もう名前くらい聞いてるかもな」
「あ、ああ……そうだな」
 矢張のこの指摘は、ある意味では当たっていた。
 「成歩堂」という名の弁護士が協会に登録したという情報は、御剣の元にも届いていた。
「スゲーんだぜ、アイツ。
 『ぼくは、弁護士になる!』とか喚いてたと思ったら。本当になっちまうし。
 ありゃ絶対、オマエの事を目標にしたんだと、オレは思うね」
「そ、そうなのか?」
「だって、この頃のアイツ、二言目には『御剣がー』『御剣でー』『御剣のー』ばっかりでさ。
 ガキの頃の事も、めちゃめちゃ話してくるし。
 おかげでオレも、オマエの話し方の癖とか思い出しちまったくらいだし!」
「……………………。……そう、か……」
 本当に、来るのか。あの時の彼が。この世界に。
 あの頃の彼の姿は、ややおぼろ気ながらも覚えている。
 当時、御剣と一緒に、矢張の話の聞き役になっていた彼。
 意志の強さなら誰にも負けないだろう、静かながらも鋭い双眸をもった彼。
 あの彼が――――殴り込みを、かけに来る。この、法の世界に。
「実は……コレもその、私の知り合いが言っていたのだが……」
「?」
「今回のキミのようなタイプの事件は、最近は増加傾向にある。
 本来なら揃えるべき情報が、裁判に至っても、まだ足りていないのだ。
 迅速性を最優先する今の捜査方法から生まれる、寧ろ必然の結果なのだが。
 そしてそのような事件では、被告人の有罪を立証するのは、相当に困難だ。
 が、だからと言って、真犯人を確保するのもまた同等に難しい。
 私……もとい、検事としては、最も避けるタイプの事件なのだ。
 端的に言って、被告人の運命は、担当弁護士の腕にかかっているからな。
 故に……弁護士の初陣としては、寧ろ相応しい事件と言えるかもしれん。
 その弁護士が然るべき水準に達していれば、の話だが」
「へえ……」
 御剣の流暢な口ぶりに、矢張は心底から感心した様子で言った。
「さすが御剣、言う事が違うな。先輩は語る!って感じで」
「……せ。先輩……」
 まあ確かに、同じ法曹界の者という意味でなら、間違いでもないが。
「とにかく。まともな弁護人ならば、失敗するような審理ではないはずだ。
 逆に言えば、その程度の審理で手こずっているようでは、
もっと込み入った事件の処理は無理だと悟るべきだな」
「そうか! 分かった!」
 矢張は親指を立ててみせつつ、御剣に言った。
「ソレ、ちゃんと成歩堂の奴にも伝えとくぜ。
 先輩様からのアドバイス、しっかり受け取れって」
「!!」
 聞いた瞬間、御剣の顔から血の気がひいた。
 というのも、今の御剣はそれなりの有名人である。
 よくは読んでいないが、新聞や雑誌で取り上げられた事も一度ではない。
 この矢張はともかく、成歩堂が今の自分の事情を何も知らないというのは、考えられない事だった。
「ま、待ちたまえ。ソレは……ソレだけは、困る」
「え? 何でよ。……あ、ひょっとして直に会いたいとか? だったらオレが話つけてやっても」
「誰もそんな事は頼んでいないッ!」
 お願いだから、これ以上、ややこしい事態にするな!
「な、何だよ急に。そんな怒鳴らなくても……って、アレ?」
「ム?」
「そういや、オマエ……アレ、付けてねえのな」
「アレ、とは?」
「弁護士バッジだよ。成歩堂なんかさ、会うたんびに見せつけてくるんだぜ。
 『どう思う?』って。まー嬉しそうな顔でさ」
「……」
「でもオマエ、そのバッジ付けてねえよな。ここ、襟んトコ。
 弁護士なら絶対付けてるって成歩堂は言ってたのに。……なあ、何でだ?」
「…………」
 開いた口が塞がらないとは、こういう時に遣うのだろうか。
 この期に及んで、そんな当然すぎる事実に気づくとは。
 果たして一体どうすれば、この男の誤解は解けるのか。
 というよりも、今更ドコから解いたら良いのか。
 そう、途方に暮れかけた時。
 資料室の中で、電子音が鳴り響いた。




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