3.

 御剣は懐から、自分の携帯電話を取り出した。
「私だ。――ああ、キミか、刑事。どうしたのだ? ――脱走? ソレは一体……。
 ――そうか、キミが逮捕した男だったのか。――心配するな。その件なら解決済みだ。私が確保した。
 ――うム。そういう事だから、一刻も早く戻って来たまえ。場所は、警察の資料室だ。
 ――今、別件で手が離せない? そんな事は理由にならん! とにかく来い。
 さもなくば次の給与査定で、また泣きを見る事になるぞ。――分かれば宜しい。では、また後ほど」
 通話を切ってから、御剣は矢張に告げた。
「今ここに、キミも知っている刑事が来る。
 彼を通じてあの検事の所に戻れば、事を荒立てずに済むだろう。
 もし何か言われたら、全てその刑事のせいにしても構わん」
「おう、そりゃ助かるぜ」
 正直、一人で戻るのって気まずかったからさ、と矢張は苦笑して答えた。
「けどスゲーな御剣。オマエ、刑事相手にも、まるっきりタメ口かよ」
「一応、知人に属する関係だからな。特に敬語を遣う必要もない」
「っていうか、フツーの知り合いってレベル超えてねえ? 今の話し方だと」
「?」
「何も知らねえ奴が聞いたら、まるで上司と部下の会話だぜ。今の。
 あ、モチロン御剣が上司な。
 アレ? でもオマエ、弁護士なら、刑事の上司ってのも変だしなあ……」
「……」
「……あ、そうか。そういう事か!」
「!?」
 まさか。やっと気がついたのか? 私の職業に。
「オマエってさ、実は弁護士じゃなくって……」
「……」
「ホントは刑事なんだろ!」
 御剣は、危うく壁に頭をぶつけそうになった。
「あ! 図星ってやつだな! マジで驚いたみてえだし!」
「う、うム。……ことごとく驚かされている事は、紛れもない事実だ」
 驚いている理由は全く違うが。
 何とか気力を振り絞り、御剣は矢張にもう一度クギを差した。
「……良いか、矢張。キサマが私を何者と思おうが、それは勝手だ。
 だが、私とココで会った事、会話した事は一生言うな。
 成歩堂だろうが誰だろうが、だ。
 もし万が一、口を滑らせでもした暁には……天が見逃し地が許しても、この私が裁いてやるからそう思え!」
「あ。ああ、ああ。分かった、分かったから。そう睨むなって」
 今にも殺されそうな眼光に、真っ青な顔で首肯する矢張。
 ――やや遠慮がちな音で、資料室の扉がノックされたのは、その時だった。
「どうやら、来たようだな。……我々の待ち人が」
 御剣は、矢張から離れて戸口に歩き、錠を外したドアノブに手をかけた。
「良いな。先程の約束、くれぐれも忘れるなよ」
「だから分かってるって。――あ、そうそう」
 笑いながら部屋を出ようとした、直前。
 矢張は御剣に、紙切れを1枚突き出した。
 半ば強引に、手の中に押し付けられたその紙に、御剣は困惑した。
「……何だ? その、コレは」
「そりゃ、決まってるだろ。……オレの連絡先」
「…………だから。どうして」
 そんな物を、渡す必要が?
「どうして、って……。……だって、ダチじゃんか。オレたち」
「!?」
「ありがたく思えよ。オレの今の電話番号知ってる男なんて、オマエ入れて二人しかいねえんだから」
「……」
「んじゃ、またな御剣。
 約束だから、オレは黙ってるけど。ちゃんと成歩堂にも連絡とれよー……」
 別れる最後の最後まで、どこまでも陽気な声で。
 御剣の開けた扉の隙間から、矢張は身を滑り込ませて出て行った。
 すぐさま閉めた扉の向こうから、聞き慣れた刑事の声と、矢張の声とが混じって聞こえる。
 彼らの靴音が、少しずつ遠く、小さくなっていく。
 その音が完全に聞こえなくなってから、御剣は伏せていた目を開けた。
 他人の体温が消えた事で、部屋は元通りの空気を取り戻していた。
 そうだ。これが、この場所の有るべき姿なのだ。
 私は今、夢を見ていただけだ。やけに騒がしい、リアルな夢を。
 御剣は、手の中の紙を握りつぶした。
 安易に見てしまう事は、許されなかった。
 一度でも目にすれば、10桁程度の番号くらい覚えてしまうだろう。
 そして、嫌でも思い出してしまうだろう。
 ただでさえ蘇りかけている、懐かしい記憶を、全て。
 もっとも、自分があの男――成歩堂と会う事になるのは、恐らく時間の問題だ。
 ある程度の鍛錬を積んだ弁護士なら、一度は必ず自分と当たる事になる。
 弁護士たちの前に立ちふさがる最初の壁にして、最大の敵。
 それが検事局で、今の御剣に課せられている役目の一つなのだから。
 …………良かろう。
 そう、心の内で呟く御剣の表情は、先程までの物とは、既に違っていた。
 己を律し、他を律す、恐れられる鬼検事のそれに戻っていた。
 ……来るなら来い。その時は私の方こそ、全力でねじ伏せてみせる。
 被告人ともども、完膚なきまでに。
 せいぜい見せて頂こう。この世界への、キミの覚悟が、どれほどの物なのか……。


 この時、御剣の予感していた通り。
 これより数週間後。彼らの運命の歯車は、ゆっくりと動き出す事になる。
 成歩堂と御剣とが、あの事件の審理で出会う事で。

 その出会いよりも前、密かに有ったこの日の会話が――。
 彼らの、もう一つの邂逅だった。

〈了〉




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