3.

 数秒おいて、彼は重そうに体を起こした。
 虚ろな顔つきで、自分の周りを見回している。
「あれ……、何だ、ここ。ぼくは……」
「……成歩堂?」
「御剣!? お前、そんなトコで何やってんだ?」
 弾かれるように立ち上がり、御剣の戒めを解こうと手を掛ける。
「わ。何だコレ。縛った上に接着剤でくっつけてある。いったい誰がこんなヒドイ事を」
「誰も何も、他ならぬキミがした事ではないのか」
「まさか。どうしてぼくがこんな……って。
 ちょっと待てよ。言われてみれば、そんな気も……」
 自分で言いながら、何度も首を捻っている。
「まあいいか。解けないなら切っちまおう。何か刃物、刃物」
 彼はぺたぺたと黒の服を探り、ポケットから出てきた小ぶりなナイフで、要領よくロープを切っていった。
 暫くぶりに開放感を取り戻した御剣は、全身の関節を軽く動かしてから立ち上がった。
「…………大丈夫?」
「ああ。跡も一切残っていない。プロの仕事だな」
「いやあ、それほどの事は」
「褒めているつもりはない」
 御剣は、改めて対面の相手に尋ねた。
「さて。念のために確認するが。つまりはキミも思い出したという事か? 成歩堂」
「うん。まだはっきりしてない所も多いけど。お前と友達だったって事は、一応分かるよ」
 成歩堂はうなずいてそう言った後、口許に指を伸ばし、思案顔を作った。
「でもこれ、一体全体どういう事なんだ?
 ぼくはお前を助けた記憶は確かにある。
 でも、お前と一度も会った事がないって記憶も確かにあるんだ。
 これじゃまるで、自分が同時に二人いるみたいだよ」
「私も同様だ。記憶が二重露光のようになっている。
 ただ、キミとは違い、自分なりの仮説は持っているつもりだが」
「仮説?」
「根拠の無い戯言レベルだが。それでも良いか」
「この際いいよ。納得できるなら何でも」
「平行世界という単語を知っているか」
「へー、こー、せかい?」
「横文字でパラレルワールドとも言う。
 時の流れ、つまり歴史は一本道ではないという説だ。
 もしあの時こうしていたら、という選択肢の数だけ、歴史は無限数に存在する。
 例えるなら、いわゆるアドベンチャーゲームのテキスト分岐の概念が一番近い。
 無論、通常の人間は一つの歴史しか知覚できない。
 だが、ごくまれに、異なる歴史を知覚してしまう場合がある。
 デジャヴ(既視感)やジャメヴ(未視感)の原因は、それだと言われる事もある」
「そうなんだ……」
「カガク的には、単なる記憶のエラーという説が有力だ」
 御剣は肩をすくめた。
「とどのつまり、我々のこの現象は、そういった記憶のエラーにおける極端な症例と考えるべきだろう」
「症例って……まるで病気みたいに」
「実際問題そうだろう? こうして二つの人生を知覚しているだけでも混乱しているのだ。
 これが三つ四つ、果ては無限数まで知覚してしまったら、日常生活を送れまい」
「そうだよね……それは、確かに……」
 成歩堂は、憮然とした顔でうつむいた。
「なあ、それでぼく達、これから一体どうしたらいいんだ? 何が何だかワケが分からないよ」
「そうだな。二人がかりで思い出したのならば、何か進展があるかと思ったが」
 いっこうに舞台の幕は下りてくれない。
 夢から覚めるか、あるいは誰かがこれで終わりだと言ってくれたら、どれほど楽になれるだろう。
 しかし、現実は非情だ。
 悔やんでも嘆いても、失った物は戻ってこない。
 御剣は、その事を誰よりも思い知っている一人だ。
「こうなってしまったら、続けていくしかなかろうな。我々の、今ここでの人生を」
「それ……本気か?」
「こういう時に、私が冗談を言うと思うか」
「だってお前、それって、ぼくに殺されるって事だよ。それが元々の流れだったんだから。
 ぼくに助けてほしいとか思わないの?」
「キミがそう提案してくれるなら、喜んで受け入れよう。
 ただし、私を解放するなら覚悟した方がいい。私は一生を費やしてでもキミを捕らえ、罪を償わせる。
 予定通り殺すというならそれでも良い。その代わり、せいぜい全力で抵抗させていただく。
歯や骨の一本二本は……もらっていくぞ」
 不敵に笑って、掌底と拳を打ち合わせた。
 成歩堂は途方に暮れるような声で、小さく言った。
「まったく、お前って奴は、なんて……、なんて……」
 御剣の肩に右手を置き、胸に寄り添うようにもたれ掛かった。
「なんて馬鹿なんだよあんたは」
 金属音。
 成歩堂の左手に握られた短銃が、御剣の身に押しつけられていた。
「いきなり変な事言い始めたから、面白そうだからテキトーに付き合ったけど。もう限界。
これ以上演技してたら、笑い涙で溺れちまう」
 にやにやと笑みを浮かべたその顔には、つい先程のしおらしさの影もない。
 御剣の態度は、しかし変わらず冷静だった。
「そうだな。確かにそろそろ、演技は止めていただきたい」
「だ……だから、もう止めたって言ってるだろ。
 ぼくは、あんたと話してる途中で思い出したフリをしてやっただけで」
「ああそうだ。キミは途中で思い出したのではない。
 私よりずっと早い時点で、既に思い出しているのだろう」
「!?」
 御剣は泰然と、部屋の壁を見渡した。
「今のキミは、かなり優秀な腕の持ち主と判断できる。
 普段ならば、私をここに運び入れてすぐに処置を下しているはずだ。
 にもかかわらず、キミはこの期に及んで、私を殺すのを先延ばしにしようと努めている。
 恐らく、正直に事情を説明すべきかどうか、決断に迷っているのではないかね?」
「…………………………………………」
 成歩堂の左腕から、力が抜けた。
 銃口を離し、元通りに仕舞いこんだ。
「参ったね」
 天井を仰いで、ため息をついた。
「御剣は、凄いね。
 別の人生でも、きみはちっとも変わってない。
 腐ってるぼくとは大違いだ」
「いや、それは違うぞ」
 御剣は首を振った。
「キミの事だから、私のプロフィールは調査済みだろうが、今の人生の私には、
DL6号事件にあたる出来事が存在しない。
 私の小学校時代は、ごく平凡に過ぎた。
 父はもう他界しているが、原因は純粋に事故だ。
 先生……狩魔氏とも面識はない。当然、綾里家とも。
 ともあれ、私は自らの意志で弁護士になった」
 順風な人生だと思って生きてきた。
 だが、いつもどこか遠くから、誰かの声が聞こえてくるような気がした。
 「助けて」と。
 御剣はその声に突き動かされるように、遮二無二働き、活躍した。
「結果、もたらされたのが、キミの言った『正義の味方の体現者』というわけだ」
 自分に訴えかけるのは、果たして誰の声なのか、それをいつか知りたくて、前へ走り続けてきた。
 今まで分からなかったはずだ。
 今まで会った事のない者の声だったのだから。
「ひょっとしたら私は、この日のために生きてきたのかもしれんな」
 今度は私が、キミを助ける番だ。
「話してくれ、成歩堂。キミの知っている情報を全て。私は全面的に協力する」
「簡単に言うね」
 成歩堂の表情は硬かった。
「言っとくけど、戯言なんてレベルじゃないよ。悪質な悪夢の極みみたいな話なんだ。
きみが信じてくれるかどうか」
「信じるかどうか決めるのは、私だ」
 御剣は、傲然と断言した。




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