2.

 だからどうして、ぼくって奴は、約束した当日に急用が入るように出来てるんだろう。
 御剣の言う通り、予約の問い合わせ電話をしておいて正解だった。
 今までは開店直後に入っていたから、空いている事が多かったけど、今夜はかなり人が多い。
 入口には、順番待ちだろう人も数人見える。
 ぼくは、明かりの漏れる窓を横目に、自動ドアをくぐった。
 壁際に飾られていた花々が無くなり、すっきりした印象だ。
 レジカウンターにいた店員さんに、息せき切って声を掛けた。
「すみません。席を予約させていただいた成歩堂と申しますが」
「なるほどう、様ですね。承っております。どうぞこちらへ」
 応対する店員さんの後に付いて、奥まった席まで進む。
 その間、ぼくは首や体を回して、他のお客さん達を一瞥していく。
 御剣の姿は、まだ無かった。
 当然、「予約」のプレートの置かれたテーブル席にも居なかった。
 嫌な予感が、何となくした。
 ぼくは真新しい椅子に体を落ち着けながら、店員さんに訊いた。
「あの。もしかしてなんですが。ぼくの事を待っている人、先に来ませんでした? ミツルギっていう人です」
 店員さんは、ぼくの疑問を確かめるために、少々お待ち下さいと言って離れて行った。
 そう。一番に考えられるのは、来るのも連絡するのも遅れたぼくに痺れを切らして、
店から出て行ってしまったパターンだ。
 アイツに限って、待ち合わせに遅れるなんて事は考えられない。
 アイツは、例えば9時に会うと決まったら、当日その30分以上前から、居住まい正しく待ってる男だ。
 それで、時間通りに来るぼくに、いつまで他人を待たせれば気が済むのか!とか毎度のように
言ってくるわけで。
 どっちかと言うと、本来ならぼくの方が正論なんじゃないのかなあとも思う。
 まあこの頃は、アイツも別の場所で時間潰しするのを覚え始めてきたようだけど。
 そんな事をつらつらと考えていると、店員さんが戻って来た。
「誠に申し訳ございませんが……お客様をお待ちの方は、まだ当店にお見えになっておられません」
「そうですか……」
「それで……如何なさいましょう。お食事の品につきましては……」
「ああ……それは」
 確かに、こうして手持ち無沙汰のまま座ってるのは良くない。ただでさえ時刻はオーバーしてるんだ。
「それじゃ……すみません。飲み物、一人分だけ出してもらえますか。
 何にせよ、料金は最後に全部払いますから」
 かしこまりました、と頭を下げる店員さんが、ほっとした顔をしたように、ぼくには見えた。
 さて、ヤヤコシイ事になってきたぞ。
 置かれたグラスの中身を乾しながら、ぼくは所在なく、指を組んだり解いたり、姿勢を正したりを繰り返した。
 他に考えられるパターンは、つまり、さっきまでのぼくだ。
 急用に追われて、検事局や事件現場から動けなくて、電話をする機会もなくて。
 それで今は、車か徒歩か何かで、全速力で移動中だから、やっぱりぼくに知らせる術がなくて。
 それなら、今は変にこちらから連絡を取らない方がお互いのためだ。
 そう考えながら、数分たって、更に数分たって。
 その「たって」が、幾つも、幾つも積み重なって。
 飲み物の氷が溶け始めて。味が薄くなってきて。美味しくなくなってきて。
 グラスに結露した水が垂れて。それがテーブルへ輪染みを作って。それが汚く歪んで。
 ぼくは自分の電話機を、何度も何度も確かめていて。
 信じたいけど。信じなきゃいけないけど。
 無事に来るって。何事もなくここに来るって。
 さっきから頭の中で、短い言葉が点滅している。
 事故。事故。事故。
 考えたくないけど。考えちゃいけないけど。
 でも、もしも、不慮の、不測の、万一の、事態だったら?
 ぼくは、テーブルに置いていた電話機をつかみ取った。
 忙しいと怒られてもいい。それなら笑い話で済むのだから。
 ところが、予想外の展開が起こった。
 鳴り出した電話に表示されたのは、当の御剣の名前だった。
 けれど、一緒に示された数字は……。
「……もしもし」
「成歩堂。キミは今一体ドコにいる?」
 開口一番、舌鋒鋭く詰問された。
「ど、ドコ、って」
 すぐに声が出てこない。こっちの唇はカラカラだ。
「それは、こっちの台詞だよ。
 どうして、お前、今、自分の家の電話番号からかけてるんだよ!!」
 思わず出してしまった大声に、近くのお客さん達が顔を向ける。
 当然ながら店員さんも目顔で注意してくるので、ぼくは頭を下げてから、店の隅にあるお手洗いの方へ移り、
近くの壁へ体を寄せた。
 深呼吸してから、出来る限りの小声で通話を続けた。
 そうだ。まだ怒るべきタイミングじゃない。
 冷静に、本当の事を確かめてからだ。
「まさか、と思うけど。まさか、お前、今日の約束をまるっきり忘れてたりしないよな?」
「何の愚問だそれは。キサマこそ忘れているのではないのか。
 駅近くの『ピアット・ウニコ』だぞ」
 そう返す御剣の言い方は、いやに平坦だった。
 そこから先の会話はもう、混乱どころの騒ぎじゃなかった。
「だから、その時刻になら、ぼくはとっくに店内にいたよ!
 お前がまだ来てないって聞いて待ってた! 今もいる! 嘘じゃないよ!」
「だから、それがおかしいと言っているのだ。
 私が出向いたら、キサマは来ていないどころか、席の確保すらしていないと言うではないか。
 危うく恥をかくところだった。
 こうなると思っていたから、私がやろうと言ったのに」
 最後、盛大にため息を吐かれた。
「なので、やむなく自宅に戻り、キサマからの弁明を、私こそ待っていたところだ。
 もしや緊急事態が起こっているのではと苦慮していたが、どうやら要らぬ世話だったようだな」
 二人の話が噛み合わない。
 何だよ、これ。何なんだよ。
 ぼくがこの店に入っても、ぼくにはアイツが見えなくて。
 アイツがこの店に入っても、アイツにはぼくが見えなくて。
 だから二人は会えなかった。
 お互いに、目の前にいたはずなのに――――!?
 あり得ない。そんな気持ち悪い答えは、絶対にあり得ない。
 だけど、いったん思いついてしまうと、どうしても考えてしまう。
 止まらない動揺が、体ごと心を揺らせて震わせる。
 そんなぼくと裏腹に、御剣の考え方は、遙かに論理的だった。
「待った。一つ、可能性がある。
 ひょっとしてキミは……別の店に来ているのではないのか?」
「え?」
「その店が『ウニコ』ではないという可能性だ。それなら全ての辻褄が」
 ああ、そうか。そうだよね。そうなるよね。
 きみの見る世界が正しいなら、ぼくの見る世界が間違ってるって事になるよね。
 それは、なんて合理的な解答!
 でもお生憎様。
 他人を誘いたいと思う店の名前を間違うほど、ぼくだって流石に馬鹿じゃない!
「あの…………お客様?」
 店員さんが、今度は声に出して注意してきた。
 気づけば随分、長電話になってしまっている。
 電話の相手は、変わらぬ冷たい声で、ぼくを呼んでいた。
「どうした。成歩堂。黙っていては分からん。
 それとも、キミの意見はそれで終わりか?」
「……………………………はい。然るべく。以上をもって、本件の論議は終了します」
「な……!? 待っ」
 木槌の代わりに、電源OFF。
 目の奥が、痛かった。
 何が何だか分からないのが嫌だった。
 友達に疑われているのが嫌だった。
 友達を疑っているのが嫌だった。
 何もかもが、嫌だった。




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