3.

 彼は駅ビルの手洗所の洗面台で、頭を抱えていた。
 少しだけ一人にさせてほしいと、怜侍に頼んだのだ。
 立ち寄った喫茶店で、怜侍から聞かされた話は、信じがたい内容ばかりだった。
 彼が怜侍と別れてから既に15年以上も経っている、という事実からして、目眩がしそうになってくる。
 その後の怜侍の辿った人生は、まさに波乱に満ちていた。
 まさかあの狩魔に師事し、検事職を選んで今に至るとは、夢にも思っていなかった。
 ただ、振り返れば、聞く話どれもに大仰に反応しすぎたかもしれない。
 現に、怜侍は話す内に段々と、苦い顔つきになっていた。
 「これも前に教えたはずだが……」と、首を捻りながら。
 だが、彼としては、文句を言われても困る。
 現状を正確に知らなければ、対処の仕様がない。
 無論、私はお前の父親だと、打ち明けられれば簡単だ。
 問題は、その行動がどんな結果をもたらすか、予測できない事だ。
 悪い冗談を言うなと、怒らせるならまだ良い。
 逆に、もしも万が一、怖がられて拒絶されたら。
 それは考えたくない。今の自分には耐えられない。
 本来なら、成歩堂氏に相談するのが最善策だが、それが出来れば苦労しない。
 あの手紙には、自由に動けるのは約12時間とあった。
 つまり、今日の日付が変わる頃までは、猶予があるのだ。
「なるように……なるしかないか」
 独りごちて、彼は正面の鏡に顔を向けた。
 自らの信条を思い出し、笑顔を作った。
 その笑みは、自然で柔らかい物に見えた。
 手洗所を出て、廊下のベンチに腰を下ろしていると、怜侍は紙袋を手にして歩いてきた。
「気分はどうだ? 落ち着いたか」
「まあね。おかげさまで」
 努めて明るい声で返事する。
「ところで何だい、その荷物? かなり重そうだけれど」
「注文していた法律書だ。当初は向こうで買う予定だったが。何冊か、最新版の出版が遅れてな」
 横文字の書籍の一冊を示す顔は、やけに嬉しそうだ。
 彼としては、職務熱心である我が子を誇らしく思いつつも、その身を案じた。
「今日は一応休日だろう? ワーカホリックはあまり推奨できないよ」
「私に言わせれば、世の資料に全く関心を持とうとしない弁護士にこそ問題があると思うがね」
「ああ、それは確かに。……じゃなかった、余計なお世話だよ!」
「その調子だ。ようやく覇気を取り戻したな」
 怜侍は唇の端でクスクスと笑った。
 と、その笑いがピタリと止まる。
 怜侍は眼光鋭く、今日の日付を確認してきた。
 聞かれた彼はしどろもどろになりつつも、答えを返した。
「しまった!」
 怜侍は早足で、元の書店へ戻って行った。彼も急いで後に付いた。
 颯爽とレジへ向かった怜侍は、店員に凛然と申し出た。
「恐れ入る。本日発売の『トノサマン写真集傑作選最終決定保存版Ver.2』を注文した御剣と申す。
先程、品を貰い受けるのを、不覚にも失念した次第。お願いできるだろうか」
「………………え。……はッ、はい、ただいま!」
 レジの店員は度肝を抜かれた。
 つい数分前、粛々と専門書の山を手に去った成人男性が、今度は特撮番組を扱った、マニア御用達の
豪華本を指定してきたのだ。それも、前にも増して通る声で堂々と。
「では、こちら。初回特典の付録も、入って、ございます。ど、どうぞ」
 店員は笑いを堪えた声で、言葉につかえながら、あれこれと箱の入ったビニル袋を怜侍に手渡した。
 怜侍は、実に優雅に一礼し、言った。
「かたじけない」
 哀れな店員は、とうとう吹き出して悶絶した。
 書店から出た怜侍は、憤懣やる方ない様子で、鼻を鳴らした。
「嘆かわしい。こちらは礼儀を尽くしていると言うに。接客業の風上にも置けん」
「いや、今のはお前が悪かったと思うぞ。まさかお前が、あんな真剣に、そんな本を欲しがるなんて
誰も思わない」
 そう応じる彼も、肩を震わせていた。
「でも、そうか。お前にも、そんな趣味が、ちゃんとあるんだな。安心した」
「……?」
 訝る怜侍には答えず、彼は静かに微笑んだ。
 大丈夫だ。この子にはこうして、趣味を明かせるような友達もいる。この子は、ひとりじゃないんだ。




next

二次創作作品群へ戻る

inserted by FC2 system