2.

 ぼくにはよく分からない事だけど、御剣の受けたダメージは、相当強かったらしい。
 実際、ぼくと矢張の酔いが醒めてきても、御剣は起きようとしなかった。
 無理やり起こすのは忍びなく、放っておくのは論外で。
 ……などと考えあぐねて、たどり着いた結論。
「じゃ、もう、ここでいいよ。ありがとう」
「ああ、これくらいならお安い御用だぜ」
 今いる場所は、ぼくの家の前。
 矢張の家は、明日の朝にお客さん――100パーセント女の子だろう――が来るという事で、
必然的にぼくが御剣を預かる事になった。
 その代わりにと、矢張は御剣を運ぶ役をかって出たというワケだ。
「いいな。ちゃんと寝かせてやれよ?」
「うん」
「おマエもちゃんと寝ろよ?」
「分かってるって」
「ヘンな事してんなよ?」
「…………。だからお前、さっさと帰れ!」
 ワケの分からない事を言っている酔っぱらいを追いはらってから。
 ぼくは自分の家の寝室に入り、取りあえず御剣を寝床に寝かせた。
 自分の普段の場所に寝かせるなんて悪いかな、とも思ったけど。
 あいにく、来客用の部屋なんて物があるほど広い家じゃないし。
 仕方ないよね。
 ……それにしても。
 ぼくは改めて、御剣の寝顔に目を向けた。
 何とも気持ち良さそうな顔をしている。
 無防備とさえ言えるほどに、安眠している。
 少なくとも、ぼくにはそう見える。
 でも……そういえば。
 ぼくは、ふと思い出した。
 あの事件に立ち向かった時の事を。
『この15年間、毎日のように同じ夢を見る。そのたびに私は、恐怖にハネ起きるのだ』
 あの時の御剣が言っていた、言葉。
 もしかしたらその頃は、こうしてまともに眠れる事自体、そうそう無かったんじゃないだろうか。
 それも、こんな感じに眠れる事は。
 こんなにも、穏やかに。
 ――冷静に考えると、滅多にない機会かもしれない。
 こんな形で、じっくりとコイツと向き合うなんて。
 全体的に色素の薄い、髪や肌。
 丁寧に整えられた、でも一房だけ毛先のはねている髪型。
 今は閉じられている目には、どんな敵でも射殺せる眼光が秘められていて。
 でも、その眼光の奥には、ぼくしか知らないコイツの部分も、実は有って。
 事件の謎を論破する時には幾らでも軽やかに動くこの口が、本当は物凄く不器用だって事も、
ぼくは知っていて。
 けれど、だからと言って気安く手を伸ばせば、あっと言う間に飛び去ってしまうような儚さと、
そして厳しさとを併せ持っていて。
 ……いつまで、続けていられるのだろう。
 当たり前のように会えて、話せて、語れる。そんな関係が。
 こんな風に、自然に触れ合える、関係が。
「……………………。」
 え?
 今、何か言ったような気がする。
 ほんの少しだけど、唇が動いた。
 もう一回言わないかと、もっと口許に顔を寄せ、耳をそばだてた、その時。
「何をやっているのだキミは」
「わ!」
 まさか、このタイミングで起きるなよ!
 指を突きつけてそう訴えるより早く、目の開いた御剣は体を起こしてくる。
 危うく正面衝突しそうになるのを、ぼくは慌てて後ろに退いた。
 御剣は目頭を指で押さえて、軽く首を振ってから、ぼくに尋ねた。
「ここは……?」
「ぼくの家だよ」
 前置きは不要。結論から先に言うのが、この男と会話するコツだ。
「そうか……。……あの時、キミの飲んでいた物にやられて、意識を消失したのだったな。
 私とした事が、油断したものだ。あのボトルのラベルをもっと観察しておくべきだったのに……」
 この通り。自分で状況を整理してくれる。
「いやいや、御剣は悪くないよ。ぼくも先に説明しておけば良かったのに、つい忘れちまってて」
「それから……そうだ。矢張はどうしたか?」
「アイツは、もう帰ったよ。また次のデートが待ってるみたい」
「フッ……。相変わらずだな」
 と、御剣は苦笑を浮かべてから、ゆっくりと立ち上がった。
「では、私も失礼する。キミの部屋を占領しているワケにもいかない」
「あ……」
 部屋を出て行こうとする御剣に、思わず宣言(コール)。
「待った!」
 どうしても仕事口調になっちゃうんだよなあ、この台詞。
「何だろうか」
「いやその、悪いんだけどさ。もう、とっくに終電、終わってるんだよね」
「…………」
「あと、流しのタクシーなんていうのも、この辺は来ないし。
 そりゃモチロン、今から電話して来てもらうとかなら別だけど。
 意外に時間、かかるよ。慣れてない運転手の人だと」
「…………。確かに」
 部屋の時計を見てから、つぶやく御剣。
「そもそもこの時間帯では、ややもすると夜が明けてしまう確率も一概に否定できんところだな」
 どうでもいいけど……回りくどい言い方するよなあ、いつも。
「しかし、何にせよ中途半端な時刻だ。寝なおすにしても、もう目が冴えかかっているし……」
 と、腕を組んで考えこんでいる御剣に、ぼくは何の気なしに言ってみた。
「ううん……。ぼくだったら、いっそ寝酒の力でも借りて寝ちゃうけどね」
「何だと?」
「あ。あくまでも『ぼくだったら』だよ。あくまでも」
 反論されそうな部分には、予防線を用意する。コレも、この男と会話するコツだ。
「医学的に証明されてない俗説だっていうのは重々承知していますよ検事殿。
 けど、あくまでも一つの選択肢としてだったら検討する余地も残されているんじゃないかとも
思いましてね。まあ、ただソレだけの話ですけど」
 などと早口で話すぼくの言葉を、御剣は黙って聞いていた。
 が、やがておもむろに口を開き――――そして笑った。
「クックック……。……その言葉に二言はないな成歩堂」
 え。
「キミの事だ。そのような“俗説”を実践していると証言する以上、
察するに或る程度の分量の酒類は、常備済みという事だろう。
 あの店で飲んでいた物と同じ酒類もまた、十二分に。
 キサマが愛飲しているのは『レア物』の酒だと、矢張は言っていたからな」
 え!?
「だからキミが望むなら、これから飲みなおすというのも、また悪くない。如何かな?」
「え……でもお前、家の外では飲まないって、店で」
「ここは『外』ではない。個人の宅内だ」
 物は言いようだな。それ。
 って。いやいやいや、それよりも。
 ツッコミを入れるべき所は、もっと手前だ。
「い、異議ありっ! 何でお前が、矢張のその言葉を覚えてるんだよ!
 お前はぼくのお酒を飲んでからは、店ではずっと気を失ってたはずだろ?」
「おやおや……」
 大げさに腕を広げて肩をすくめる、お得意のポーズ。
「証言の記録は正確にして頂きたいな弁護士クン。
 確かに私は、『意識を消失した』とは言った。
 ただし完全に消失していたのは、ごく短い時間に過ぎない」
「じゃあ……その後は、お前は……」
「意識こそ有ったものの、身体だけが動かない…………平たく言えば、いわゆる金縛りのような状態だった。
 だからこそ、油断したと正直に自己分析させて頂いた次第だよ」
「って事は……。本当に、覚えてるっていうのか? 全部」
「左様。もしお望みならば、キサマと矢張がやらかしていたバカな会話の全てを、
今ここで再現してやっても良いほどだ」
 なんて事を御剣は、自信たっぷりに話してくれているけれど。
 ぼくの方の頭の中は、もうソレどころじゃなく。
 だって。だって。だって。
 実はずっと起きていたって事は。全部気づいているかもしれないって事で。
 ぼくが御剣を寝かせた時の事とか。その後にぼくがしてた事とか。色々。
 そりゃ、目は開いてなかったけど。見られてはいないと思うけど。でも。
「どうした成歩堂。裁判並みの冷汗が出ているぞ」
「い、いやそのあの。これはその」
「それとも、もしや今のキミには、何か重大かつ不利な点でもあるのかね?」
「ううう」
 ええいもう。こうなったら、ヤケだ。
 ぼくは気持ちを奮い立たせて、御剣に毅然と言った。
「…………いいだろう。御剣」
「何だろうか」
「ぼくは、きみの挑戦を受けて立つ」
 有無を言わせず、(御剣の言っていたように)家に置いているビンとコップを持ってきて、
部屋のテーブルに置いた。
「飲みなおしといこうじゃないか。
 でも、やるって言うからには、ぼくだって……本気でいくよ?」
 こうなったらもう一度、前後不覚になるまで飲ませるしかない。
 幸い、明日は休日だ。何があっても問題は無いだろう。
 というか、今のこの状況こそが、すでに最悪の事態の一歩手前なワケだし。
 大丈夫。前に皆でやったパーティの時だって、御剣は先に帰ってた。ぼくよりも潰れるのは早いはず。
 ところが。
 ぼくに言われた御剣は、ぼくを不敵に見返して、こう言った。
「甘いな、成歩堂」
「え?」
「断っておくが。先刻、私が倒れたのは、あくまで油断したからに過ぎん。
 言うなればノーコンテスト、無効試合だ」
 私の方こそ、ここからは本気で行かせてもらうぞ。
 薄く笑って、そう宣戦布告。
「……ふ、フン! それはこっちのセリフだね。後悔しても知らないよ?」
「そのセリフ……、更にもう一度キミにお返ししよう」
 ぼくと視線をぶつけ合い、御剣は低い、でも鋭い声で言ってきた。
「返り討ちに、してくれる……!」




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