遠き空に、想う。

1.

 『新世紀の天才検事、またも完全勝訴!』……と言ったところかしら。
 明日の報道が、今から楽しみね。
 そんな事を考えながら、裁判所から外に出た狩魔冥に、今日もカメラのフラッシュが浴びせられる。
 この国アメリカにて、13歳にして検事となった彼女。
 マスコミからの質問への受け答えも、我ながら慣れてきたものだ。
 今回の事件のポイントを、彼らへ淡々と説明している中、冥は自分に注がれている異質な視線を感じ取った。
 顔は動かさないまま、その視線の主を盗み見る。
 人込みから離れた、建物の陰に立っているその男。
 やはり、勝手知ったる相手――年上の弟弟子(おとうとでし)だ。
 確か、今はこの国で研修中という情報だったか。
 何の感情も読み取れない目で、彼は冥を見つめている。
 一体どういうつもりかと怪しみながらも、冥は正面を見直して言った。
「すまないけど。もう失礼させて頂くわ。まだ仕事も残っているので」
 自分を囲む人々の群れに、形式的に頭を下げ、彼女は歩き出した。
「あ、ちょっと!」
「待って下さい!」
 次々に掛けられる声を全て無視して、足早に進む。
 そんな中、騒ぐ記者たちの一人が、気安い口調で言葉を投げた。
「なあ、ちょっと待っておくれよ、お嬢ちゃ――――うぎゃッ!!」
 台詞の最後が悲鳴になったのは、当然、冥の愛用している武器――ムチが一閃したためである。
「あら、ごめんあそばせ」
 侮辱発言が耳に入ったものだから。
 ムチを構えて、そう強気で言い放つ。
「私には『狩魔冥』という名があるわ。
 くれぐれも、『お嬢ちゃん』なんて不正確な呼び方はしない事ね」
 と、冥は、引っくり返っている記者に忠告した。
 呆気に取られている者たちから離れて、広い路地へ出る。
 そんな彼女の様子を、彼女の弟弟子――御剣怜侍は、視線を外す事なく見つめ続けている。
 その視線が、動いた。
「危ないッ!」
「え?」
 叫ぶ御剣。戸惑う冥。
 その、次の瞬間。
 御剣が冥を突き飛ばすように押し倒したのと、その冥の立っていた場所で乾いた音が弾けたのとは、
まさに同時の事だった。
 突然すぎる事態に、記者たちは一斉に色めき立った。
「な、何だ!?」
「銃声だ! 狙撃だ!」
「あのビルからだ! 凄い事になってるぞ!」
 そう言って記者の一人が指差したビルの窓からは、白煙が立ち上っている。
 警察、それも特殊部隊が突入している事は確実だった。
「………………もう、大丈夫のようだな」
 ビルからの煙が収まってきたのを見届けてから、御剣は身を起こし、冥を見下ろした。
「どうした? もしや、腰でも抜けたか?」
「な、何を……」
 震える体を密かに抑えながら、冥も立ち上がる。
「そういうあなたこそ、心の底では、不測の事態に慌てているんじゃなくて?
 まさか、いきなり、あんな……」
「いや、それはない」
 御剣は、首を振ってから答えた。
「あの狙撃者(スナイパー)がキミを標的にしているという情報は、昨日の時点で、私の元に届いていた」
「な……!?」
 平然と返されて、途端、冥は気色ばむ。
「となれば後は、敵の行動パターンさえ考えればそれで済む事。
 幸い、この地点での狙撃ポイントとタイミングは、極めて限られている。
 故に、そのポイントに対しては警官隊が張り込み、そのタイミングに対しては私が控えていた、という次第だ。
 恐らく今はもう、現行犯で取り押さえられている頃だろう」
「で、でも……。そもそもそんな狙撃情報なんて、私には届いてなかった!」
「……単なる行き違いだろう。些細な事だ」
 と、御剣は流そうとするが。事はそんな簡単な話ではない。
 何かがおかしい。何かが。
 考えを巡らせた冥の頭に、一つの答えが浮かび上がった。
「分かったわ。……パパの差し金ね」
 冥の父親。
 海の向こうの国で、その実力は神話とも伝説とも評されている辣腕検事。
 恐らく、全ては彼の手による物だ。
 冥が狙撃情報を知る事が出来なかったのも、御剣がここに居たのも、全て。
 そんな手の込んだ工作を施した目的もまた、自動的に推測できる。
「衆人環視の中、狩魔一門の検事が、同じ一門の検事によって華麗に救われる……
マスコミが食いつく事うけあいのネタだものね」
 そういう事でしょ?と、冥は御剣を見やって問いかける。
 対して御剣は、目を伏せつつ言葉を返した。
「キミに答える義務は無い。……それよりも」
 瞼を上げて、一言。
「この期に及んで、礼の言葉も言わんつもりか?」
「え?」
「この身を晒して、銃撃からキミを救ったというのに……冷たい話だな」
 そう言った時。初めて御剣の表情が、変わった。
 強いて言えば、それは笑顔と呼べる物ではあった。
 形ばかりの、笑顔。
 顔に張りついた、笑顔。
 氷よりも冷えた、笑顔。
 師匠そっくりの、笑顔。
 その笑顔を見るうちに、冥の気持ちは逆巻いた。
「う……うるさいッ!」
 余計なお世話よ!
 怒鳴るや否や、立て続けにムチを振りまくる。
 その怒涛の攻撃を、しかし御剣はことごとく避け続ける。
 身をしならせ、ひねり、紙一重のところで擦り抜けていく。
 そして最後には――。
「!」
 御剣につかみ取られたムチは、音を立てて直線に張られた。
「ムダだ。視線と手の動きを見ていれば……、軌道くらい見きれる」
「……」
「では、私は失敬する。次の用件が控えているからな」
 悠然と一礼を決めてから、御剣は、きびすを返して歩き去った。
「…………もうッ!」
 残された腹立ち紛れに、目の前の地面を、思いきりムチで引っぱたいた時。
 冥は、地面に封筒が落ちている事に気がついた。
 書かれているのが日本語である事は、一応分かる。
 しかし彼女は、聴き話しこそ出来るものの、読み書き――特に漢字には疎かった。
 よって拾い上げた彼女が読み取れたのは、「御剣怜侍様」の名前の他、ごく僅かな一部のみ。
 冥は取りあえず、読める漢字だけ音読してみた。
「セー、フ、ドー…………イチ?」
 やっぱりよく分からなかった。



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