2.

「そういう事なら、分かったよ。
 もし見つけたら、保管しておくから。……あまり、気にしないようにな」
「…………はい」
 検事局の一室にて。
 御剣は、現在世話になっている検事に会釈してから部屋を出た。
 本当は、充分に悟っている。この庁舎に落とした確率は、限りなく低い。
 ここを出る時には、アレは間違いなく懐に入っていた。
 だとしたら、可能性の残る場所は後一つ。
 が、あのような人通りの多い所で落としたのなら、とうに塵芥に紛れてしまったかもしれない。
 それでも探しに戻ろうかと、廊下を歩き始めた時だった。
「ま、待って下さい! ここは、関係者以外は立入禁止です!」
「私はれっきとした関係者よ。第一、ここにいる人間とは同門なんだから」
「で、ですが! 勝手に入られては困ります!!」
「お黙り」
 ぴっしゃーん、という音を最後に、相手のヒステリックな声は静かになった。
 御剣が廊下の角を曲がると案の定、引っくり返っている事務官のそばに、冥が泰然と立っていた。
「………………相変わらずだな。メイ」
「あら、ご挨拶ね。遥々こんな所まで、落とし物を届けに来てあげたのに」
「何だと?」
「あなた宛の手紙の封筒。一応、拾っておいてあげたわ。
 心から深く感謝してほしいところね」
「……そうか」
 御剣は、胸に手を当てて吐息をついた。
「そういう事なら話は早い。探していたのだ。……渡して頂こう、ソレを」
「ええ、勿論。そのつもりで来たんだもの。
ただ、その前に……条件があるわ」
「条件? ……どういう意味だ? ソレは」
「ここじゃ、ちょっと狭いわね。場所を変えましょう」
 質問には答えずに、冥は先に歩き始めた。


 数分後。二人は庁舎の屋上に立っていた。
 空は晴れてこそいたが、今日は少々、風が冷たく頬に当たる。
「そういえば……久しぶりよね。レイジ。
 こうやって二人きりで、話をするなんて」
 冥は、ふと遠くに目を向けて言った。
「覚えてる?
 あなた、私がまだ子供の頃、よく遊び相手になってくれたわよね」
「ああ。遊び相手というか……そのムチの練習台にな」
「まあ、そういう表現も出来なくはないわね」
 さもなくば彼女は、近所の住人たちを、無邪気に叩いて回りかねなかったのだ。
 思えば、あの頃から既に、得物を扱う才能は確かだったという事か。
「しかし……だから、それが何だと言うのだ? わざわざ今ここで、話すべき内容とも思えんが」
「話は最後まで聞いてよ」
 御剣の言葉を鷹揚に遮りながら、冥は独り、ほくそ笑んでいた。
 間違いない。今の彼は明らかに、焦れ始めている。
 こんな態度の彼を見る事自体、冥にはほぼ初めての経験だった。
「実を言うとね。この頃ちょっと物足りないの。このムチの相手たち。
 誰も彼も、軽く小突いただけで失神しちゃうんですもの。
 本当の全力なんて、もう何年も出してないわ。だから」
 ぴしッ!!と鳴る音と共に、コンクリートのカケラが飛んだ。
「今から受けてみてほしいのよ。あなたに。私の全力の攻撃を。一通り。
 それが手紙を返す条件。
 あ、念のために言っておくけど、避けたり逃げたり、それからムチを捕まえたりなんて行為は一切禁止ね」
「…………」
 言われた御剣の顔が、少しばかり険しくなった――ように、冥には見えた。
 当然だろう。とても簡単に呑める条件とは思えない。
 無論その点は承知の上で、冥は御剣に尋ねているのだ。
 呆れて笑うか、声を荒らげて騒ぐか。何にせよ一悶着あるはずだ。
 そうやって葛藤する様を、冥はとっくりと見物するつもりだった。
「大丈夫。すぐに答えを出せなんて言わないわ。
 考える時間なら幾らでもあげるから、せいぜい好きなだけ悩んで――」
 という冥の台詞が終わるより前に、御剣は口を開いた。
「何だ。それしきの事で良いのか」
「え?」
「私なら構わん。何発だろうが何十発だろうが、好きにしたまえ」
「!?」
 一瞬、何と言われたのか分からなかった。
「ちょ、ちょっと……待ってよ。ほ、本気で言ってるの、あなたは!?」
「もとより。それとも、まさか私がこのような場で、冗談など言うとでも?」
「そ、それはそうだけど……でも、だって……」
 何か反論しようと試みるものの、続く言葉が出てこない。
 想定していたどのパターンでもなかった展開に、冥は混乱していた。
 冥を知る者にとっては自明の事だが、彼女の攻撃は極めて強力だ。
 ひとたび本気を出した彼女の前では、たとえ大の男でも、たちまち泣いて許しを乞う。
 並の相手なら、冗談では済まない事態も起こり得る。
 そんな冥の実力を、彼は誰よりも知りぬいている――はずなのに。
 御剣は、再び口を開いた。
「言わずもがなだとは思うが……、契約不履行は断じて許さんぞ。
 にも関わらず、中途半端に手加減などした場合は……分かっているな?」
「……」
 御剣の表情は、相変わらず硬いままだった。
 ただ、その瞳の色だけは、先程とは違っていた。
 さながら烈しい炎のような。
 如何なる敵も射落とす矢のような。
 その瞳の色に負けないほどの鋭い声で、御剣は命じた。
「さあ、早く打て! そのムチを…………放てッ!!」
「な……、な…………」
 その眼光に耐えるのは、もはや冥には限界だった。
「何なのよ! あなたって人は!!」
 言うと同時に、ムチを出来るだけ遠くに放り捨てる。
 こうでもしなければ、この男は強引にでも自分に打たせかねない。
「いいわよ、もう。返せばいいんでしょ、返せば。契約は取り消し」
 ぶつぶつ文句を言いながら、冥は懐から封筒を取り出した。
「まったく。そんなに大事なの? こんな古ぼけた、みすぼらしい封筒が。
 そもそも、まだ封さえ切っていないようけど……どうして?」
「キミに答える義務は無い」
「さっきも聞いたわ。その台詞」
 と、冥は眉をひそめて言った。
「本当に……あなたって、いつもそうね」
「ん?」
「一番に言うべき相手に、一番に言うべき内容を話さない。
 その封筒を親切に持って来てあげた私に、説明も無しなんて」
 親切どころか、ムチを放とうとしていたのは誰だったか。
 異議を唱えたい御剣を無視する形で、冥の話は続いた。
「おおかた、この手紙だって、本当は一刻も早く返事を出すべき物なんじゃなくて?」
「……」
「そうよ。あなたの事だもの。今ここで一読すれば、書かれている内容くらい、
完璧に覚えてしまうでしょう?
 そうすれば、たとえ失くしたって問題ないし」
 話しながら、封筒の口に指をかけた瞬間。
「それ以上触るなッ!!」
「きゃッ!」
 予想していなかった御剣の怒号に、冥は身を竦ませた。
「わ、分かってるわよ。いくら私でも、勝手に開けようなんてしないわよ」
 どうぞ、ご自由に持って行きなさいな。
 そう告げて、冥は封筒を、指でつまんで突きつけた。
 御剣が彼女に歩み寄り、封筒を受け取ろうとした、その時。
 不意に突風が二人を襲った。
「あ……ッ!!」
 風にあおられ、冥の指から、ひらりと封筒が逃げていく。
 その直後。
 冥は、生まれて初めての光景を目撃した。



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