3.

 地も割れんばかりの声とは、こういう声の事なのかもしれない。
 冥が最初に思った事は、ソレだった。
 その声の主が目の前の相手――御剣である事や、その御剣が血相を変えて
封筒に追いすがって行ったという事を認識できるまで、数秒かかった。
 唖然と立ちつくす冥を置き去りにして。御剣は、まさに全速力で駆けて行く。
 一方、つむじ風に乗った封筒は、まるで御剣をからかっているかのように、くるくると空を舞っていく。
 とうとう敷地の端まで飛んでいき、更にはフェンスの上も越えようとする。
 追う御剣は、フェンスの格子に手足をかけて、あっと言う間に上まで登る。
 さも当たり前のように、外へ大きく身を乗り出して腕を伸ばす。
 その様子を目の当たりにして、冥はやっと、止まってしまっていた自分の思考を取り戻した。
 そう。
 くれぐれも忘れてはならない事がある。それも、命に関わる重大な事が。
 自分たちが今いるここは、紛れもなく――――、高層建築物の屋上なのだ。
 走った冥は、一足飛びに前へ跳んだ。
「危ないッ!」
「……ムッ!」
 叫ぶ冥。うなる御剣。
 御剣がよろけながら封筒をつかみ取ったのと、冥が御剣の身にしがみ付いたのとは、
ほぼ同時の事だった。
 二人それぞれ、どっとコンクリートに倒れ込む。
 冥は息を弾ませながら、声を振り絞って訴えた。
「あ、あ…………呆れて物も言えないわね御剣怜侍!」
 興奮すると相手をフルネームで呼ぶのは彼女の癖だ。
「一体全体なに考えてるの! そのまま落ちて死ぬつもり? 人は空なんて飛べないのよ!?」
 そのじつ、後ほんの少し遅かったら、転落事件が一件発生しているところだ。
 鬼の形相で睨みつける冥を余所に。御剣は半ば独り言のように、同じ台詞を繰り返していた。
「……良かった……。本当に、良かった……。コレが無事で、本当に……。
 ……良かった……」
「だから! たかがそんな封筒一つで、何を……そん……な………………」
 今日、言うべき言葉を見失ったのは、これで何度目だろうか。
 封筒を両手に抱えて座りこんでいる御剣の顔を見つめた後、冥は立ち上がって言った。
「帰るわ、私」
「メイ……?」
 顔を上げて、冥を見やる御剣。
「こんなバカのバカげたバカバカしいバカ騒ぎに、これ以上付き合ってられないもの。勝手になさい」
 素っ気なく言い捨てて、さっと背を向けて。
 そうやって背中を向けたまま、冥は微かな声で言い添えた。
「それに…………いい物、見せてもらったしね」
「……? 何の事だ?」
 問われはしたが、あえて聞こえないフリをして、冥は歩き出した。
 正直には、答えたくなかったから。
 あなたのあんな姿、初めて見たから――なんて。
 あれほどまでに、必死になって走る姿。
 あれほどまでに、無我夢中になっている姿。
 そして、何よりも。
 手紙を抱きしめていた時の、彼の顔。
 あれほどまでに無防備な表情。
 今にも泣きそうになるほど、嬉しそうな顔だった。
 まるで、人込みの中で、はぐれた親を見つけた迷子みたいな顔だった。
 あんな顔も、するんだ。
 あんな顔も、出来るんだ。
 いったい、どんな人物なんだろうと思う。
 彼にあんな顔をさせる、あの手紙の相手は。
「まあ……私には、何の関係もない事だけど」
 誰にともなく、冥はそう呟いた。

 ――彼女がその相手と、思わぬ形で縁を持つ事になるのは、これから数年後の話である。

〈了〉



《※筆者注》
手紙の差出人の名前は、あえて作中では伏せました。(入れられなかったとも言う)
「成歩堂」という名字は、知らなきゃ日本人でも読めないと思います。



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