Untouchable Desire

1.

 後で思えば、あの時の僕はどうかしていたんだ。

 灯りを絞った薄闇の中。外の音は聞こえない真夜中。
 目に映る物は、ずらりと並んでいる空き瓶と、高く重なっているグラス。
 氷入れも、とっくに空になっている。
 外の店ではモチロンの事、この自分の家であっても、ここまで深酒した経験は、
今夜が生まれて初めてだった。
 飲める人なら分かると思うんだけど。もうコレ以上飲んじゃいけない――って感じる瞬間があると思う。
 あ、この一線を超えたらマズイな、っていうやつ。
 今夜はもう完全に、その一線を超えていた。
 コイツにだけは絶対に負けたくない――。ひとえに、そんな気持ちから。
 僕は、自分と向かい合って座っている御剣を眺めた。
 今は座卓の上に伏せって、とうとう眠っているように見える。
 でも、ただ眠っているわりには、微かに身じろぎを繰り返しているのが気になった。
 僕は、ゆっくりと御剣のそばに、にじり寄った。
「ねえ……起きてる?」
 声を低めて、耳元で呼びかける。
「もしトイレだったら、この部屋を出た奥にあるから」
「……ん」
 僕の声が届いたのか、御剣はビクッと震えてから、体を起こしてきた。
「!!」
 その、上げた顔を見た瞬間。
 僕は、いきなり心臓をつかまれたような気がした。
 虚ろに潤んだ目が、僕の方をまっすぐに見つめてきている。
 …………きれい…………だった。
 気がつけば、ずいぶん長い間、僕は見とれてしまっていたらしい。
「何だ……。また……君か」
 かすれた声をかけられて、僕はそこで我に返った。
 でも、「また」って??
 僕の疑問を余所に、御剣の言葉は続く。
「困った男だな、君は。……今夜もまた、君は、私に……」
 すっ……と伸びてきた手が、僕の頬に触れた。吐息が間近に、顔に届く。
 って、ちょっと待ってよ。この体勢は、どう考えても。
「ま、待って……!」
 危うく押し倒されそうになるのを何とか踏みとどまって、僕は御剣の背中に手を回して抱き止めた。
 ぴったりと抱き合った形で、僕たちは、しばらく固まっていた。
 …………おかしい。
 いくら強いお酒に酔っているとしても。それだけで、こんなにも乱れるものだろうか。
 コイツが、あんな…………色っぽい顔して、迫ってくるなんて。
「……う」
 その顔を思い出した時。不意に体の芯が、ずきんと痛んだ。
 背筋にぞくぞくと震えが走る。
 この感覚は、寒気……なんかじゃない。
 欲情。
 頭に思い浮かんだのは、この言葉だった。
 我ながら情けないけど。一度実感してしまったら、頭の中はもうその事だけで一杯になってしまう。
 変だよ、変だよコレ。僕までこんな風になるなんて。
 何か、何かやったんだ。それも、とんでもない事を。
 そういや僕たち、部屋に置いてある物、手当たり次第に空けてたよな……。
「!」
 座卓の下に、転がっている小瓶。
 確かコレ、矢張がこの前ウチに来た時に、持っていたやつだ。
 バイト先でもらったとか、今度のデートで使ってみるとか言っていたのに。結局忘れて行ったのか。
 貼ってあるラベルを見ると、何だか分からない英語の文字が並んでいる。
「…………………………」
 間違いない。僕たち、コレ飲んじゃったんだ。
 いわゆる、媚薬ってやつを。それも、普通に使う量よりも遥かに多く。
 と、事情が分かった途端、どんどん耐えられなくなってきた。
「……どうした?」
 ふと、そう囁かれた。どこか眠そうな、気だるい声で。
 相変わらず、潤んだ目をしたまま。御剣は、驚くべき言葉を告げてきた。
「今夜は――――しない、のか?」
 え。
「いつもなら、すぐにでも――――したがるのに」
 って。一体、何て言ったんだ? 今。この人は。僕に。
 第一、その「いつも」ってのは、どういう意味でおっしゃっているんでしょうか。
「あ、あの、あのさ。ごめん……御剣。
 僕、もう、何が何だか分かんなくて。何も、考えられなくて」
 違う。そんなの嘘だ。
 何も考えられないんじゃない。
 一つの事しか考えられないんだ。考えちゃいけない事しか考えられないんだ。
 ――――したい。
 夜、一人でしてるみたいに。
 君を思いながら、してるみたいに。いつもみたいに。
 ああ……もしかして。まさか君、その事を見抜いた上で訊いてるの?
 僕はもう一度、僕にすがり付いてきている相手を見つめた。
 いつもの彼とはあまりにも違う、それは倒錯的な姿。
「成歩……堂……?」
 その唇からの囁きは、まさしく悪魔の誘惑。
「御剣……」
 僕は、思いきって質問した。
「本当に、いいの? 僕が君に――――しても」
 僕に訊かれた御剣は、小さく首を動かして、言った。
「何を……今更?」
 その言葉を聞いた瞬間、僕の理性は断ち切られた。




next

戻る

inserted by FC2 system