Unforgettable Desire

1.

 僕の上で、君が動いている。
 それぞれ互いに、見つめ合って、腕を伸ばして、脚を開いて。
 時には貪るように、互いの唇を吸い合って。
 ぴったりと隙間なく、互いの肌を寄せ合って。
 いま僕たちは間違いなく、体を重ねて、睦み合っている。
 すぐそばに居る君が与えてくれる、この快楽。
 こんなにも気持ちいい事がこの世にあるなんて、知らなかった。
 汗ばむ体にかけられる、熱い吐息さえ心地いい。
 やがて僕たちは、想い人の腰に手をかける。
 そして今こそ、体の芯を穿とうと――。



 ……………………………………って、ちょっと待てよ。



「うああああああッ!」
 僕は今夜も、自分の叫び声で跳ね起きた。
 起きると同時に、現実の出来事でなかった事を知ってホッとする。
 部屋の時計を見ると、まだ夜中。
 床についてから、ほんの少ししか経ってない。
 僕は独り、寝床の中で頭を抱えた。
 ……何だか、どんどんヒドくなってきてないか? コレ……。


 始まりは、小さな事だった。
 幼なじみの親友と、一晩かけて飲み明かした夜にやらかした騒動。
 一言で言えば――いやいや、一言でなんて、とても言い表せない。
 とにかく、男としてヒドい事をしてしまった事は間違いなくて。
 気の迷い、物の弾み、事の勢いだったと言えば、それまでの話。
 あんな出来事は全部忘れよう。無かった事にしてしまおう。
 そう決めて過ごせていた時間は、後で思えば短かった。
 今は気づくと、アイツの――御剣の顔がチラついて。
 あの時の、アイツの声が頭に響いて。

『今夜は――――しない、のか?』
『成歩……堂……?』
『何と、いやらしい――』

「……う」
 顔に血が集まってくるのを感じて、僕は激しく首を振った。
 けど、まさか夢にまで出てくるようになるなんて。
 いくら何でも、対処の仕様がないだろう。悪夢を止める方法なんて無い。
 それに日が経つにつれて、あっちでの展開はエスカレートする一方だし。
 もしも最後まで目が覚めなかったら、果たしてドコまで突き進む事やら。
 そもそも一体、どっちがどっちの役をやってるんだろう。アレって。
 要するに、その……男役とか女役とかの、そういうの。
 さすが夢だけあって、肝心の細かい所は分からず終い。
 そのくせ手触りとか匂いとか、その辺は妙にリアルなんだよな。
 何たって、あの夜の実体験のおかげで……………………って。
「ううううう!」
 駄目だ駄目だ駄目だ! 何でわざわざ思い出そうと努力してるんだよ僕は!
 本当にもう、あの夜の事は、全部忘れないといけないのに――。


 そうやって眠れない夜を過ごしていても、朝は容赦なくやって来る。
 溜まっていく仕事たちも、長くは待ってくれない。
 せめて提出期限の迫っている書類だけでも片づけようと、僕は真宵ちゃんを連れて、裁判所を訪れた。
 受付さんと最低限のやり取りを交わしてから、待合の席で一息つく。
「………………くん、なるほどくん!」
「え?」
 真宵ちゃんに声をかけられていた事を知って、僕は顔を上げた。
「ハイ、コレ。名前呼ばれてたから、貰って来てあげたよ?」
「あ、そう。ありがとう」
 全ての欄に印が押されてる事を確かめてから、僕は書類を仕舞った。
「さあ、後はついでに、地下の資料室にも寄って行こう。そうしたら今日は帰れるよ」
「うん……」
 と、頷く真宵ちゃんの顔は、なぜか冴えない。
「ね、ね。ホントに大丈夫? なるほどくん」
「うん。提出する時も、何度も確かめたからね。書き間違いはないはずだよ」
「って、そうじゃなくて。なるほどくんの事」
「?」
「何かさ。この頃なるほどくん、どこか辛そうなんだもん」
「そ、そう?」
「そうだよ。今日だって、別に無理して裁判所まで来なくても良かったんじゃあ……」
「そんなワケにもいかないよ」
 と、僕は苦笑交じりに答えた。
 今日のこの書類たちは、僕が直に出向かなきゃいけなかったし。
 資料たちにも早めに目を通しておかないと、事務所の仕事にいずれ差し支えるし。
 そんな風に業務を説明していると、少しだけ気が紛れた。
 ところが。その僕を見る真宵ちゃんは、逆にますます心配そうな顔色になっていく。
「やっぱり、なるほどくん、変」
「な……、何だよ変って」
「だって。変だよ。特に今。なるほどくん、眉間にヒビ入っちゃって。
 そんな顔で仕事仕事って言ってると、まるで不機嫌な時の御剣さんみたい」
「!」
 禁句の名前をズバリ投げつけられて。
 次に気がついた時には、声の限りに叫んでいた。
「何でそこでアイツが出てくるんだよ! アイツは関係ないだろ!」
「きゃわわああああっ!」
 悲鳴を上げて逃げだそうとする真宵ちゃんを見て、僕は自分の失敗を悟った。
「あ。ご、ゴメン! 真宵ちゃん。ビックリさせて」
「う、うん。ちょっとだけ驚いたけど」
 ほうっと息をついてから、答える彼女。
「っていうか、あたしこそゴメン。なるほどくんの言う通り。御剣さんは関係ないもんね」
 いや、そんな事ないんだけど。
 なんて正直には、口が裂けても言えやしない。
 僕は、努めて笑顔になって言った。
「実はさ。この頃ちょっと疲れ気味なんだ。色々あってね」
「そうなの?」
「うん。でも大丈夫。自分で何とかするから」
 そう。ここまで来たら、何とかした方がいい。
 御剣に連絡を取ろう。少しでも早く。全部を水に流すんだ。
 ――この時までは、正直、それくらいで済むって思ってたんだ。


 玄関ホールを廻って、廊下を通る。
 どうやら僕たちがやって来たのは、ちょうど審理が一段落した頃だったらしい。
 辺りは、あちこちで人があふれていた。
 僕の知ってる弁護士、知らない弁護士、知ってる検事、知らない検事。
 胸を張って歩いてる人、肩をすぼめて歩いてる人。
 皆それぞれ、自分の人生を左右するようなドラマの真っ最中だ。
 そんな人たちを見ている僕自身も、今まさに悩んでる真っ最中だけど。
 ……そういえば、アイツも確か、事件が立て込んでるって噂だったような……。
 そんな折、人込みが二つに割れた。
 その方向に目をやって、僕は身構えた。
 廊下の奥から、脇目も振らない早足で歩いて来る――御剣。
 後に続くイトノコ刑事も、追いついて行くのがやっとのようだ。汗かいてる。
 両手に抱えた書類を落としたり……大変そうだなアレは。
 ……なんて眺めてる場合じゃないぞ。声かけなきゃ。
 そう思って御剣の顔を見た時、急に喉が渇いてきた。
 あれも言おう、これも言おうと思っていたはずの台詞が、何も出ない。
 ずっと詰まっていた言葉が出たのは、御剣とすれ違う、その瞬間だったと思う。
 だから、僕は驚いたんだ。
 御剣が、何も答えずに通り過ぎて行った事に。
「!?」
 振り返った時の僕の顔は我ながら、物凄く間が抜けていたと思う。
 景色のずっと遠く。一歩も足を止めずに、離れていく御剣の背中。
 その後を、ほとんど駆け足みたいになってるイトノコ刑事が続いて行って。
 残るのは、二人が出て行った後に置いて行かれた、僕がいるだけ。
 ……何だよ。
 ……無視かよ。
 ……素通りかよ。
 自分の頭が沸騰してるような、それとも凍りついてるような、とにかく混乱しているという事は、
何とか分かって。
 何かを叫びそうになる気持ちだけは、強引に押さえつけたけど。視界が滲むのは止められらなくて。
 って、そりゃ流石にマズイだろう。こんな外で、大の男が泣くなんて。
 慌てて目元を拭おうとした時、手に書類を持ったままなのを思い出した。
 そうだ。もともと僕、コレのためにココに来てたんじゃないか。
 地下室に行って、あの資料をファイルして、だからそのために、ええっと……。
 これからやるべき流れを頭の中で繰り返しながら、階段の方へ真っ直ぐ歩く。
「へ? ちょ、ちょ、ちょっと! なるほどくん!?」
 何だよ、この忙しい時に騒ぐなって。今は仕事、仕事……。
「待って、待ってよ! なるほどくん、した!した!――――足下!!」
「え?」
 真宵ちゃんが訴えてる言葉の意味に気づけた時は、もう遅かった。
 空中に足を踏み出してしまっていた僕は、階段から転がり落ちた。




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