2.
「成歩堂。……成歩堂?」
急に、かけられる声のトーンが変わった。
どこか暗い熱を帯びていたのが、何だか戸惑ってるみたいな感じに。
肩にある手も、ただつかむんじゃなくて、叩いて揺すぶってると言った方が正しい。
「………………………………?」
しばらく状況が分からなかった。
僕は相変わらず、ベッドの上に座っていた。
寝巻も脱げるどころか、乱れてさえいない。
そんな僕の肩をつかんで、御剣が僕に呼びかけてるって事は……?
「!!」
僕は冷や汗まみれになりながら、目の前の相手に訊いた。
「もしかして、今、寝てた? 僕」
「私が浴室から出た時には、明らかに舟を漕いでいたな」
「そ、そうなんだ……」
顔と声だけは、出来るだけ冷静なつもりで、念のため尋ねた。
「何か、僕、変な事、してなかったよね。今」
「時折、うめき声を上げてはいたが……それくらいだな」
僕は心底から息を吐き出した。
コイツがウソを言わない性格なのが、こういう時にはありがたい。
けど、まさか待ってるうちに居眠りするなんて、僕もどうかしてる。
そう思いながら、壁の時計を見た時、口があんぐりと開いてしまった。
時計の針は、僕が確かめた時とは明らかに違う場所を差していた。
こんなに時間が経ってたら、夢の一つも見るはずだ。
「お前いったい何分、入ってたら気が済むんだよ」
「仕方なかろう」
御剣は憮然とした様子で言い返してきた。
「こちらにも用意という物がある。時間を要するのはやむを得ない」
何だよ用意って。
「とにかく。君も起きてくれた事であるし。このような事は最初が肝心だ」
御剣は、やおらベッドの上に乗り、姿勢を正して正座した。
流れる動きで指をそろえて、深々と頭を下げて、言った。
「今宵、不慣れにつき粗相あるやもしれんが、どうかよろしくお願いする」
「………………………………」
思わず見とれてしまったほど、カンペキな所作だった。
ココが茶室とかだったら、誰もがそう思うはずだ。
ただ問題は、ココがホテルのベッドの上で、しかもコイツの着てる物がバスローブだって事。
というか、いつまで頭さげてるんだよコイツは。
それとも……まさかコレ、僕も返さないと、話が終わらないとか?
「あ。えーとその。……こちらこそ、お構いもしませんで!」
這いつくばるように、頭をシーツに押しつけて挨拶する僕。
どこか言葉が間違ってるような気もしたけど、深く悩まないようにする。
僕が頭を戻した時には、御剣も元の姿勢に直っていた。
今更ながら気がついた。
僕たちって今、実は物凄く恥ずかしい事をやってるんじゃないか?
「な……、何なんだよ。急に改まって。新婚の初夜とかじゃあるまいし」
「新婚の初夜、か。……ある種、言い得て妙だな」
だから、何でそこでうなずくんだよ。それもしみじみと。
「君は変わらんな。このような時にまで、余裕がある」
「そうかな」
ついさっきまで変な夢見てた、なんて言えない。
ふと僕は、思いついた事を訊いてみた。
「もしかして……緊張してる?」
「それが当然だろう」
かすれた声が絞り出された。
「かつての時は、場合が場合だった。緊張どころではなかった。しかし、今は……」
「まぁ、そうだね」
つい苦笑してしまってから、ここは笑うところじゃないと思い直した。
僕の見る限り、確かに御剣の方が、より緊張しているようだった。
その体は、小刻みに震えているように感じる。
「成歩堂……」
もう一度、肩の上に手を置かれた。
御剣は、どこか思いつめているような顔で、僕に告げた。
「頼む。今夜は何も言わず、最後まで私に任せてほしい」
「うん……」
僕はうなずいてから、自分の用意していた言葉を告げた。
「大丈夫だよ」
穏やかに笑ってみせる。
「お前になら、何をされても驚かない。お前の思うままにしてくれて、構わないから」
「………………」
御剣は硬い顔つきを崩せないままだった。
まるで、最初の一歩を踏み出しかねているように。
だから、最初だけは僕が先に動いてやった。
「ム? 何を――」
止められるよりも前に、唇に唇を押し当てる。
不意打ちに、身をよじる御剣には構わずに。舌と歯で、下唇を刺激する。
それで上下が緩んだ隙間に、すかさず舌を差し入れる。ひたすらに、奥へ。
やがて見つかる探し物――御剣の舌。
ちゅ……と小さく音が鳴った時、御剣の緊張が解けたのが分かった。
「ん……んん……」
僕に口腔を犯され続ける御剣が、さらに僕を煽っていく。
御剣に煽られ続ける僕は、さらに御剣の口腔を犯していく。
やがて、御剣の方も負けじと舌を入れてきた。
「う…………んん…………………っ」
「……ふ…………っ…………う……」
ん…………あれ?
長くキスし過ぎてるせいなのか、頭がボーッとしてきた。
息が苦しい。溶けて消えちまいそうな感じになってきてる。
でも、まだ御剣は止まらない。
あ、ダメ、これ以上されたら、変になる。っていうか、もう、半分、変かも。
それなのに、やっと唇を離した御剣から出た言葉は。
「……まだ、だ。……まだ……足りない……」
…………いや。あの。まだ、って。足りない、って。何が。
こっちから仕掛けておいて言うのも何だけど。
もうどうしたらいいのか分からなくて、頭が真っ白になりかけた、その時。
ぬるりと濡れた感触が、指先に走った。
御剣は、放心していた僕の手を取り、その指を口に含んだのだ。
それどころか、唇と舌を動かし、指の付け根からから指先までを舐め上げて――。
「ひ…………ッ!」
何すんだよ!と手を引っ込めようとは思ったんだ。
だけど。いっそ真剣とさえ言えるような表情を見てしまって、僕は言葉を失くしていた。
同時に、ゾクゾクと変な気持ちか湧いてくる。
そりゃそうだ。自分の好きな人にこんな事されて、平然としていられるはずもない。
そんな僕の気持ちも知らないまま、御剣は一心に、事を進めていく。
この部屋で聞こえているのは、耐えている僕の息遣いと、口づけている御剣の水音だけ。
やがて、一本を丁寧に舐めつくした御剣は、そっと唇を離した。
これで終わってくれたかと、僕はホッと息をついた。
が、まだ甘かった。
御剣は、いっそう大きく口を開き、僕の指をまとめてくわえようとしたのだ。
当然、まともに全部を入れられるはずもない。
それでも何とか舐め回そうと、懸命にむしゃぶりつき、吸い上げようと口を動かす。
今にも喉に詰まらせそうな顔になって、やっと自分には無理だと分かったらしい。
そこで止めてくれればいいのに、何を思ったか、今度は僕の手首をつかみ、僕のヒジ辺りに舌先を当てる。
そこから更に続けようとされたところで――僕は最初の限界に達した。
「あ。あのその。ちょっと、お願いだから。……ストップ!」
「何だろうか」
せっかく今いいところなのに、と言わんばかりの不機嫌な顔。
「こう言っちゃ悪いんだけど。その。いきなり変わった事するのは、止めないか?」
「……これだと、感じないか?」
「いやいやいや、そういう意味じゃなくて。……って、だからそういう変な意味じゃなくて」
深呼吸してから後は、一息に言った。
「僕たちさ、初めてじゃないか。今夜が。だから、最初は普通にやろうよ。
同じキスして舐めるんでも、こんな指とか腕とかマニアックな場所じゃなくて、例えば」
「例えば、ドコならば感じると?」
「って、だから変なトコで相槌いれるなよ……!」
僕にどこまで言わせる気なんだこの男は。
「君がどうして騒いでいるのか、今一つ理解できんが……、
つまりは次の段階に進んでも構わないという事で合っているか?」
「あ……まあ、はあ、そうだと思います。はい」
何で僕、仮にも自分の恋人に、敬語で会話してるんだろうか。
「もう一度言うが、あくまで事の主導権は私側だという事を忘れるな」
「うん……分かった。もう邪魔しないから」
けど……コイツこの後どうする気なんだろう。必要な物とか、ちゃんと用意してるのかな。
コイツの事だから、手抜かりはないと思うけど……。
「…………ぅくッ!」
突然与えられた刺激に、思わずビクンと体が跳ねた。
「確かに……予想していたほどには、興奮できていないようだな」
「あ……ゃ……ちょっ、何言って……」
言いたい台詞がつながらない。
いきなり服をはぎ取られ、足の間に手を突っ込まれて、平気でいられるわけもない。
それも真顔で、調べるような手つきで、アチコチいじり回されるなんて……。
こっちの方はさっきから、高ぶらされたり萎えさせられたり、どう落ち着くか予想できない。
そんな風に前の方を探られて、僕がへたり込みそうになった頃。御剣は手を止めた。
「まずは、この程度で良いだろう」
え。そんな。ここまで追いこんどいて寸止めって。何でまた変な真似を。
「動くなよ」
御剣は、自分も同じように服を脱いでから、仰向けになっている僕の腰に手をかけた。
何となく、その体勢がオカシイような気がしたけど、何がオカシイのか思いつけない。
そのまま御剣は、僕の上によじ上った。
足を大きく開いて、またがるような姿勢になっている。
そして、ゆっくり息を吐きながら、自分の腰を落としていく。
――そこまで進んで、やっと分かった。
この男が今、何をしようとしているかを。というか、僕が何をされようとしているかを。
「待ったあああぁぁぁーーー!!!」
ムードもロマンも何もかも吹っ飛ばす大声で、僕は絶叫した。
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