3.

 御剣は目をむいて驚いた顔してるけど、そんな事に構っていられなかった。
 肺から空気を出しきるほどに叫んでしまった僕は、何度も咳きこんで、やっと少し話せるようになった。
「あ、あの、あのさ。…………何、考えてるわけ? お前は」
「今この場になってから、具体的な単語を言わせる気か?」
 眉根を寄せつつ、ため息をつく御剣。
「我々が何をしようとしているかは明白だと思われるが」
「いや……、だからその、そういう意味じゃなくてさ」
 僕は、必死に言葉を選びながら質問した。
「何で、お前は、わざわざ、自分から、女役を、やろうとしてるのか、って話だよ!」
 とうとう言った。
 対して御剣は、なぜか首をひねっている。
「ではまさか君の方が、ネコに回るつもりだと?」
「ねこ?」
 何でここで動物が出てくるんだ?と一瞬だけ考えた。
「どうやら君は、こういった情報には疎いようだな」
 御剣は腰を下ろして――単に僕の体に座っている形になる――話を始めた。
「君が私と役を替わる事は出来ない。まず、コレは自明の事であるが、男性と女性とでは身体の構造が異なる。
故に異性では一般的である正常位を、しかし男性同士が行う事は非常に難しい。
よってその場合には、後背位が選ばれる事が多いとされる。だが現時点において、
君がそこで仰向けに伏している以上、それも物理的に不可能。更に言えば、もともと後背位は
ある程度の経験を要する。そのため今回は、最も効率的に事を行なえる騎乗位を選択した次第だ」
「……」
「この時点で、何か質問があれば答えるが?」
 そもそも今、お前がそんな事を滔々と説明してるっていう現実に付いて行けないんですが。
「で、でもソレって要は、僕の寝てる位置を変えればいいだけの話だろ? だったら」
「いや、問題点は他にもある。ただ、列挙すればキリが無いため、差し当たって最も重要な点を一つ挙げよう。
 ……君が最後に食事したのは何時だったか覚えているか?」
 いきなり話が飛んだ。
「順当に考えれば……今の君の体内には明らかに、消化物がとどまっている計算になる」
 指を折り、数字を並べて僕に示す。
「そのような状態では残念ながら、君の希望する流れにはなり得ない。ただでさえ我々の行為は、
互いの身体に多大なる影響を及ぼすのだから、考えうる危険は出来る限り避ける必要がある。
もっとも、今から改めて腸内洗浄でも行うなら話は別だが。この手段は率直に言ってオススメしかねる。
もし、役の具体的な要望がある際は、今夜の私のように、早い時点から入念に準備を整えておくべきだ」
「    」
「さて。これだけ説明すれば、もう充分だと思われるが……。どうした成歩堂? 聞いているのか?」
 実を言えば。僕は、御剣の話をまともになんか聞いてなかった。
 ただひたすら、頭の中がザワザワしていて仕方なかった。
 どう言い表したらいいのかは、全く分からない。
 でも、何を言いたいのかは、完全に固まっていた。
「御剣。……悪いけどソコ、退いてくれるか?」
「何?」
「聞こえない? ………………『退け』って言ってるんだよ」
 間を置いて出た声は、自分の物とは思えないほどに冷たくて、低かった。
 僕はほとんど突き飛ばすように身を翻し、御剣をうつ伏せにシーツに押さえつけた。
 両手首をつかんでひねり、頭の上で固定する。
 これでもう簡単には動けない。
「いい加減にしろよ。お前。何考えてるんだよ。何を躍起に調べたか知らないけど。
 お前こそ分かってない。男が男を抱くってのが、どういう事なのか分かってない。
 いいか? そもそも男同士では普通、挿れるまでやらないんだよ。お前の言うように、
体の作りが違うんだから。最後までホイホイやるなんてのは、それこそAVとかの世界だけだ。
少なくとも僕は、そんな事なんてしたくない。だから」
「だから、最後までする気は無いと?」
「そ、そうだよ! そりゃ僕だって、お前と何もしないつもりもないけど、でも、だからって、こんな急に」
「本当に?」
「何?」
「やれやれ……。まさかこの期に及んで、このような意見の違いが生じるとはな」
 僕に組み伏せられている姿勢なのに。御剣の表情は揺るがなかった。
「君は、かつて君自身の言った言葉を覚えているか? あの、夜の公園での話だ」
 また話題が別の方向に飛ぶ。
「君は私に言った。私の全部が欲しいと。ソレは私も同じだ。私も君の全てが欲しい。
 いや……、君が包み隠している心の奥底をも、私は手に入れたくてならんのだ」
「何……だって?」
 言われた意味が分からなかった。
「ここで言っておく。私は君と、生温い関係のままでいられるとは思えない。
 そんな時代など、我々はとうに通り過ぎている。
 抑圧された感情は、いずれ爆発し、それは得てして悲劇をもたらす。
 このまま慣れ合った関係を続ければ、そういった破綻が必ず起こる。
 だからこそ、私はこうして君を誘った。君自身まだ気づいていないだろう感情を、とことん引き出すために」
「……」
 何だ。そういう事か。
 まさか本当に、僕の本音を全部知ってる上で話しているのかと。
 でも違った。やっぱりこの男は知らない。夢にも思ってないだろう。
 僕が今、実際に、どれほどの気持ちを抑えつけているのかを。
「……分かったよ。取りあえず、僕がお前をどうしたいと思ってるかは、お前の言う通りだって事にしておこう。
 その上で訊くよ。……お前、本気で言ってるのか?」
「何?」
「その理屈を進めたら、僕はお前に何しでかすか分かったもんじゃないって事になるぞ? 
 それなら。僕はお前を壊す。ズタズタにする。お前を殺すような事さえするかもしれない」
「それでも構わない」
「な……」
 1秒と置かずに即答された。
「犯したいというなら犯せ。壊したいというなら壊せ。君が何をしようと、私は逃げない。だから君も逃げるな。
そうやって論を並べ、時間を稼ぐな。私はココに至るまで、自分なりに最大限の努力をした。
その手段や目的が間違っているというならば、君自身で証明しろ」
 ……って、どっちが論を並べてるんだか。
 なんて軽口はもう、許される流れじゃなかった。
 僕へまっすぐに向けられている、御剣の視線。
 僕のどんな言い訳も逃さないと、その瞳が物語っていた。
「そこまで言うなら………………試してやるよ。お前の意地が、一体ドコまで続くのか」
 それから先しばらくの事は、よく覚えていない。
 というか、思い出そうとしたくない。
 それくらい、僕がしたのはヒドイ事だったから。
 絶対に逃げられないように縛りつけた。
 絶対に暴れられないように戒めた。
 挿れる前に、きちんと慣らす事ができたかも、自信がない。
 我ながら獣か、あるいは鬼でもあるかのようだった。
 ただひたすらに、無我夢中で、僕は好きな人の身体を貫いていた。
 ――分かってる。そんな言葉が詭弁である事は。
 我を忘れているかのように振る舞ったって、本当に自分を見失ってるわけなんかない。
 逆に、恐ろしいほど醒めた部分から、僕は御剣を見下ろしていた。
 殊更に荒々しく抱いたのは、音を上げてもらいたかったから。
 もう嫌だと、信じられないと、僕を止めてもらいたかったから。
 けれど。彼は泣かなかった。泣こうともしなかった。
 痛みに僅かに顔を歪めるくらいがせいぜいで。
 僕を見たまま、歯を食いしばり、、悲鳴さえ上げようとしなかった。
 もどかしかった。
 もっと壊したいのに。もっと乱したいのに。僕だけの物になってすがり付いてほしいのに。
 どうして――こんなに遠いんだよ!
「………………っ」
 腰が震えた。
 行き場のなかった熱が、自分の身体から出ていくのを感じた。
 それで、やっと意識が本当に冷えてきた。
「み……つる……ぎ……?」
 御剣の身体からは、完全に力が抜けていた。
 顔も、シーツの方に向いたままだ。
 大急ぎで離れ、御剣の手首に巻いていたネクタイをほどき、楽な体勢にしてやった。
 目を閉じて、気を失っている。
「だから……言ったのに」
 そう。あんな行為をされ続けて、いつまでも耐えられるはずがない。
 最初から、ソレは分かっていた事だ。
 でも、この男は最後まで拒まなかった。耐えられなくても、拒まなかった。
 何も言わずに、僕のする事を受け入れたんだ。
「……………………ム?」
 抜けるように白い肌に、ほんの少し赤みが戻って。
 御剣は、うっすらと目を開けた。
「どうした? 何を泣いている?」
「え……?」
 聞かれて、初めて知った。
 自分の顔が、涙で濡れてる事を。
「どうやら君には相当、無理強いをさせてしまったようだな。煽ってしまって悪かった」
「い……いや、そんな……事……じゃなくて」
 しゃくり上げそうになるのを我慢しながら、目元をゴシゴシとこする。
「僕は……ただ……お前が……動かなく……なってたから……だから……」
「ああ……そうか」
 気絶していたのだな。情けない話だ。
 御剣の言い方は、どこか自嘲しているようだった。
「とにかく。泣くな。私なら大丈夫だ。だから言っただろう、全て私に任せてくれれば……っ」
 御剣の言葉が途切れたのは、僕のせい。
 僕が唇を塞いだからだ。
 もう、長々と言い合うのはたくさんだったから。
 だけど油断すればまた、どんどん激しく求めてしまう。獣みたいに食いつくしてしまう。
 そんな事、絶対にしたくないのに。
 もっと愛したいのに。もっと優しくしたいのに。君だけの大切な人になりたいのに。
 どうして――あんな事をしてしまうんだろう。
 だから今度は敢えて、ついばむようなキスをした。
 少しだけ吸って、唇を離しては、また吸って。
 そんな風に口づけを落としながら、僕は祈った。
 神様でも仏様でも何でも良い。
 どうか、お願いします。
 僕だけが気持ちよくなるのは嫌です。彼だけが痛みに苦しむのは嫌です。
 僕は辛くて構わないから。彼に幸せを与えて下さい。
 どうか、どうか、この恐ろしい鬼から、彼をお護り下さい。
 それだけが、僕の今の願いです。



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