5.
やっと終わってくれた。
荒い息をついていた僕は、急いで呼吸を整えた。
どうしても言いたい言葉があったから。
「結局……飲んだのか? 全部」
「こうすれば場も汚れん。むしろ合理的だ。それに何より、この方が……『絵になる』のだろう?」
前に僕が使った言い回しを引き合いに出しながら、口を拭った指を、ぺろりと舐める。
まるで、僕に見せつけるかのように。
目の当たりにしてしまった僕は、また反応しかけてしまって。
「お、お前、それって反則…………」
「これも皆、君が教えた事だろうに」
「そりゃ、教えた事は教えたけど……」
何もそこまで色っぽくやってくれとは言ってないぞ。僕は。
赤くなってる顔に手をやろうとして、それでまだ自分の両手が縛られている事を思い出した。
ギシギシという音に、御剣は顔色を改めた。
「もう、解いても良いだろうか」
「あ、うん。お願い」
解いてもらった体を起こして、しばらくぶりに自由になった手首を交互に握ってみる。痛みはない。
御剣は僕のネクタイを持ったまま、僕の手元を覗きこんだ。
「痕が付かなければ良いが……」
「平気だよ。もともと袖で隠れる所にしてあるし」
痕が付いたら付いたで、それも悪くないし。
僕は、まだ心配そうにしている御剣の体に腕を回した。
「それじゃ、今度はまた僕の番っていう事で……」
言いながら唇を重ねようとしたら、なぜか後ろに押し返された。
「今夜は、ここまでだ」
「え?」
御剣は、重苦しい声で僕に告げた。
「実は、言いそびれてしまっていたのだが……明日から呼び出しがかかっている」
「!?」
「今日の午後、君に会う直前に命令が出た。よって明日の朝一番の便で、この国を発たねばならない」
「そ、ソレってまさか」
「安心したまえ。今回は短期出張だ。数日で戻って来られる」
「そう……」
僕は肩から力を抜いた。
こういう時、僕はそれぞれの仕事の違いを痛感する。
僕の方は、事務所に「臨時休業」の札さえ下げれば、実のところ休日は何とでもなる。
けれど御剣の方は、言ってみれば24時間365日が仕事中だ。
今この瞬間だって、一緒に居られるのは幸運なんだと言っていい。
「この件は本来、もっと早く君に伝えるべきだった。申し訳ない」
「ああ、いいよソレは。気にしなくて」
昼間の買物の時から、早々と上機嫌になってた僕だ。
もし話されていたとしても、覚えてなかった可能性の方が高い。
「せめて命令が出たのが、もっと早ければ良かったのだが。
それならば、ココから直に空港に行けた。
しかし今の状況では、いったん自宅に戻らねば話が始まらない」
「自宅……」
僕は、御剣の家の様子を思い返した。
とにかく広くて、たくさん本が置いてあって、紅茶の香りが立ちのぼっていて。
その一方で、人が生活している“匂い”というのは、まるで感じられない。
あの家に、御剣は帰らなきゃいけない。たった一人で。
「………………成歩堂?」
「ん?」
いけない。また独りでボンヤリしてた。
「シャワーを使わせていただきたいのだが。お願いできるだろうか」
「あ……うん」
お先にどうぞ、と僕は御剣を促した。
御剣が先に入浴してから、僕も続く。
入れ違いの形で、急いで浴室に向かった。
あわよくば一緒に入りたいところだけれど、僕の家の風呂場は、どこまでいっても一人用だ。
僕は、浸かっている湯船の中で、何度も自分の顔を洗った。
こんな、みっともない顔を見せるわけにはいかない。
入っているのは熱いお湯のはずなのに、ちっとも体は温まってくれなかった。
何にせよ、明日の事を考えるなら、もう夜更かしは出来ない時刻だ。
でも、だからこそ僕は、出来るだけ時間をかけてお風呂に入っていた。
今日の時間を、もう少しだけ引き延ばしたかったから。
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