ユメヲミタアトデ

1.

 よう……アンタ、こんな所に何の用だい?
 そう。今、オレのツラを眺めているアンタだよ。
 イイ趣味してるぜ、アンタ。
 わざわざ好き好んで遥々と、こんな所に来るなんて。
 それも、こんな空っぽの男のツラを見るために、やって来るなんて。
 …………まあ、いいだろう。
 今日はこうして、極上の一杯を飲ませてもらっている事だしな。
 せっかくだから、これから少し付き合っちゃくれねえか?
 ……おっと、そんなに慌てるな。オレはドコにも行きやしない。長い時間も取らせねえよ。
 オレはただ、話をするだけさ。空っぽの男が話す、空っぽの絵空事を。
 オレがここからアンタに渡せる、そう、手土産だとでも思ってくれ。



 オレが一生忘れる事はないだろう、あの日。
 オレの中の“時間”を止めた、あの運命の日。
 あの日からずっと、鳥のさえずりにも、目覚まし時計のベルにも気づけず眠っていた、その間。
 オレは、闇の中にいた。
 そう。今こうして、オレのカップの中で揺れているヤツと、同じくらいの深い闇に。
 だが、時々その闇が途切れる事があった。
 今になって考えれば、夢を見ていたんだな。……あの時のオレは。
 ただ、「夢」の一言で片づけるには、アレは、あまりにも苦味が強すぎた。
 ふと気がつくと、オレはあの場所にいるんだ。
 あの忌まわしい、カフェテリアの席に。
 そんなオレの向かいの席には、長い髪の女が一人。
 オレは、その女から視線を外さずに、自分の分のカップを取る。
 その時オレは一瞬、何か大事な事を忘れているような気持ちをおぼえる。
 が、ソレが何なのかは、どうしても思い出せない。
 ともあれ、オレは普段通り、一息にカップを乾す。
 闇色の液体が喉を滑り落ちていくのを感じる、次の瞬間。
 全身を刺し貫く激痛を受けて、初めてオレは思い出す。
 また同じ“流れ”が繰り返されている事を。
 どうしていつも思い出せないんだと、後悔の海に沈む心とは裏腹に。
 勝手にせり上がってくる嘔吐感、体中を掻きむしりたくなる衝動、いっこうに止まらない震え…………
それらが一度に、オレに襲いかかってくる。
 そして。意識が闇の底に落ちていく寸前。オレは確かに見てしまう。
 目の前の女が、輝くばかりの笑みをオレに投げかけているのを。
 ……あんな物を、何度も何度も見せつけられるくらいなら。いっその事、ずっと闇に包まれている
だけの方が、まだマシだったかもしれねえな。
 とにかく、終わりってヤツがねえんだ。永遠のような繰り返し。
 あの時のオレの立場は、さながら、賽の河原で小石を積まされる子供か、
あるいはタンタロスで責め苦に苛まれ続けるシーシュポスか……そんなようなモンだろうぜ。
 ……けどな。
 そんな、故障したビデオの上映会は、意外な形でフィナーレを迎えたんだ。
 その時もオレは、文字通り吐き気のするような悪夢を味わっていた。
 あの女の笑顔を睨みつける事しか出来ないまま、意識を手放しそうになっていた、その時。
「…………」
 ごく微かな声が、オレの耳をくすぐった。そんな気がした。
 それも、どこかで聞き覚えのある、懐かしい声だ。
 オレは必死に集中して、その声の主をたどった。
「………………さん。…………神乃木さん。……神乃木さん!」
 この声は……?
 溺れそうになる闇の中をもがいて、オレは、確かな陸(おか)へと這い上がる。
「起きて! お願い! ――起きてッ!!」
 …………アンタには悪いが、あいにく今から「起きる」事はできねえ。
 この通り、もう起きちまったからな。
 そんな事を思いながら、オレは瞼を上げた。
 最初に目に飛びこんできた物は、嫌でも目の覚めるような、真っ白な天井だった。
 オレは、首を横に向けた。
「………………チヒロ?」
「神乃木……先輩……」
 オレに呼びかけていたのは、そしてオレにすがりついていたのは、やっぱりアイツだった。
 綾里千尋。
 オレと同じ事務所にいた、手のかかる後輩。
 そう。アンタもよく知っているアイツさ。
 アイツの姿を見たその時は、何とも懐かしく思ったもんだ。
 実家のお守りだと話していた勾玉の首飾りも、お気に入りだと笑っていた黒いスーツも、そのままだった。
 ただ、その顔だけは、少しだけ違っていた。
 オレの知っているアイツは、跳ねっ返りもいいトコのオテンバ娘だったはず。
 それが、余計な甘さの抑えられた――色っぽい女になっていた。
「アンタ……本当にチヒロか?」
「えッ!?」
 オレの質問に、チヒロは戸惑ったような声を上げた。
「ど、どういう意味ですか、ソレ!?
 私ですよ、先輩。私は、先輩の後輩の、だから……」
 ってな彼女の声を聞くうちに、オレは不意に視界がかすんだような、そんな気がした。
 思わず目を閉じてから、もう一度見た時。
 今度こそ、オレが最後に見たあの頃と、何もかも同じ姿がソコにあった。
 前髪を揺らして、オレの顔を覗きこんでいる彼女に、オレは苦笑してから告げた。
「本気にするな、チヒロ。ただのジョークさ。……久しぶりだな」
「もう……。先輩ったら」
 チヒロはオレを軽く睨んでから、震えた声で言った。
「よかった……。先輩に会えて、本当に……」
 もう一度オレにすがりついて、彼女は泣いた。




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