ある寓話

 とある時に。とある所に。
 一羽のカラスがおりました。
 それは大きなカラスでした。
 カラスはずっと昔から、独りで空を飛んでいました。
 黒い翼をはためかせ、自由に飛んでおりました。

 ある日。カラスは、暗い森の奥深くに、小さな家を見つけました。
 人の気配のない、その小さな家には、小さなかごがありました。
 その小さなかごの中には、小さなハトが一羽、閉じこめられておりました。
 紅い瞳をした、とってもきれいなハトでした。
 かごの中のハトは、冷たい声で言いました。
「こんなところに何の用だ?」
「別に、用ってほどじゃないけれど」
 カラスは、静かな声で尋ねました。
「ねえ。どうしてきみは、そんなところに入っているの?
 そんな狭いかごの中じゃ、自由に飛ぶこともできないじゃないか」
「良いのだよ。わたしはここで。
 第一、空の飛びかたなど、もうわたしは忘れてしまった」
「どういうこと?」
「そりゃあ、わたしも、昔は空を自由に飛んでいたさ。
 でも、ある時。罠にかかってしまってね。この家の主(あるじ)に拾われたのだ」
「拾われた?」
「しかし、これは後で知ったことなのだが……、
 この家の主は、何やら呪い(まじない)を使える者だったらしい。
 それでわたしは、その主に、幾度も術をかけられた。
 もう、このかごから逃げられないように、もう空を飛べないように。
 おかげでわたしは、自分が本当は何物であるのかさえ、忘れてしまったくらいだ」
「そんな……」
 何て、ひどい話だろう。
 こんなにきれいな姿なのに。それさえ忘れてしまっているなんて。
「ねえ、きみ。そんな悪い人に飼われていたら、きみは駄目になるよ。
 ぼくと一緒に外へ行こう」
「無理なことを言うな。この頑丈なかごから出られるわけがないだろう」
「そんなことないよ」
 そう言って、カラスはかごの上に乗りました。
 かごのふたを留めている金具に、口ばしを差しこんで、何度も何度も動かしました。
 すると、かちっ、という音を立てて、かごのふたは外れました。
「ほら、出来た。これでもう、きみは外に出られるよ」
 蒼い瞳を輝かせ、カラスはハトに告げました。
 かごから出たハトは、驚いた様子で言いました。
「信じられない……。何でキミは、こんなことが……」
「実は、ぼくもこういうかごには、今まで何度も閉じこめられたことがあってね」
「そのとき、キミはどうしたのだ?」
「自分で壊して出てきたよ。だから、こういうことには慣れてるんだ」
 カラスは、自分の羽を大きく広げてみせました。
「さあ、行こう。外の世界は楽しいよ。
 こんな小さな家よりも、ずっと高い空がある、ずっと広い森がある。
 他の仲間にだって、たくさん会える」
「……………………」
「どうしたの?」
「大変申し訳ないのだが……。……まだ、わたしは行けない」
「どうして?」
「簡単なことだ。
 行く前に、わたしの主に、お別れを済ませなければならないから」
「!?」
「確かに、わたしを飼っている主は、キミの言うように、悪い人なのかもしれない。
 でも、わたしの主であることは、やはり動かせない事実なのだ。
 その人を見捨ててしまうなんてことは、わたしにはできない」
「………………何で?」
 それは、今まで長く飼われたことのないカラスには、実におかしな話でした。
「そんなの、変だよ。分かんないよ。
 きみを閉じこめて、独りにしているような奴の、どこが主なのさ」
「……そうだな……」
 つぶやいたハトの様子は、どことなく寂しげでした。
「キミには、分からないのかもしれないね。
 きっとキミは、今までずっと穏やかに過ごしてきた鳥なのだろう。
 傷ついて、傷ついて、本当に独りきりになったときが、まだないのだろうから」
「それは……」
 本当のことを言えば、カラスにもそんなときがありました。
 けれど、今それをここで話しても、仕方ないような気がしました。
「とにかく。わたしはまだ、ここにいる。キミと一緒に行くつもりは、今はない」
「……分かったよ。きみがそういうつもりなら、ぼくらはここでお別れだ」
 ハトは、顔を伏せて。カラスは、背を向けて。
 二羽の鳥は、どちらからともなく言いました。
「さよなら」



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