if……(もしも……)

≪SCENE 1≫

 キーボードの上を、十指が動く。
 彼女はモニターの前で、軽やかな音を奏で続けている。
 しかし、何も知らない者がこの光景を見たら、戸惑って驚くに違いない。
年端のいかない――せいぜい6、7歳の少女がたった一人で、コンピューターを完璧に
使いこなしているのだから。
「ふ……」
 吐息を漏らして、灰原哀は肩に置いた手に力を込めた。
 子供らしくないなどと言ってはいけない。彼女は今でこそ、自ら開発した薬物でその姿を変えているが、
本当はれっきとした大人なのだ。
 所属していた組織を抜け出し、今はこうして或る理解者の元で生活している。
自分とほぼ同じ運命を辿っている少年と共に、小学校にも通っている。
 彼女たちの秘密を知っている者は、ごく限られている。この家の主と、そして――。
 ドアチャイムが鳴り響いた。それも何度も。
「博士――」
 と呼ぼうとして、哀は思い出した。今この家には、彼女一人しかいないのだ。
 無視してしまおうかとも一瞬思ったが、結局哀はコンピューターを止めた。
 チェーンロックがなされている事を確認してから、ドアを細く開けた。
「え?」
「アレ、嬢ちゃんか?」
 ドアの向こうの相手は、呆気に取られた顔で哀を見ていた。
「あなた、どうしてココに?」
「イヤ……工藤の奴、今日はこの家に居てる言うてたから来てみたんやけど」
 と、浅黒い肌の高校生 服部平次はドアの隙間から中を覗きこんで、
「工藤は? それに、あのジッチャンも居れへんみたいやな」
「二人なら今は出掛けてるわ。デパートへ」
「デパート?」
「特許料が新しく入ったから、景気づけに買い物して来るって」
「さよか」
 と、平次は拍子抜けしたようになってから、
「ほんなら、コレ外してくれへんかな? なんぼ何でも、コレやったら入られへんわ」
「ハイハイ……」
 哀はチェーンロックを外した。
 断ったところで、どうせ戸口に居座られる。それだけは勘弁してほしかった。

 居間に通して、取りあえず粗茶を出した。
「どうぞ」
「あ、スマンな」
 哀はさっと平次から離れて、向かいのソファに座った。雑誌を開いて、
「たぶん少しの辛抱よ。ソレを飲み終わる頃には、工藤くん達も帰って来るわ」
 言われて平次は、ふと動きを止めた。哀を見て、周りを見て、また哀を見た。
「どうしたの? 落ち着かない?」
「あ、そういうわけでもないけど。ちょお静かすぎるかなー、て」
「BGMでもかける?」
「イヤイヤ、大丈夫やて。そんな気ぃ使わんといて」
「そう」
 暫しの沈黙の後、平次が口を開いた。
「なぁ。いまごろ工藤たち、何やっとるかな」
「さぁね」
「気にならへんか?」
「別に」
「はぁ」
 哀は雑誌の手を止めて、
「そういえばあなた、彼の事いつも『工藤』って呼ぶのね。『江戸川コナン』の方は気に入らないの?」
「そういう嬢ちゃんかて、『工藤くん』言うとるやん」
「私は、けじめは付けてるつもりよ。この家では今のところ盗聴機も発見されてないし」
 と答える哀を、平次は頬杖を突いて見て、
「硬いな」
「え?」
「嬢ちゃんの表情、硬すぎるわ。歳相応の顔せーよ。せっかくの別嬪が台無しやで」
「私は、彼みたいに器用じゃないもの」
「……」
「あなた達は何も分かってない。本当に甘すぎるわ。隙を見せたら最後、組織は私たちを逃さない。
 奴等がドコに潜んでるかも分からない。だから私たちは正体を、存在を誰にも気づかれてはならないのよ」
 それだけ言って、哀は再び雑誌に集中した。
「せやなぁ」
 平次は両手を頭の後ろに組んで天井を見て、どこまでも呑気な口調で言った。
「もしかしたら、オレがその組織の人間かもしれへんもんな」




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