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≪SCENE 1≫


「博士。コレ見てくれるか?」

工藤新一こと江戸川コナンが、低い声で阿笠博士にそう告げたのは、
かなり夜の更けた頃だった。
今日コナンは学校が終わると、すぐにこの阿笠家に賭けこんで来た。
何があったと問う阿笠に、だがコナンは黙りこむだけだった。
それが今になって、やっと話し始めたのだ。

コナンがテーブル越しに渡す紙切れを、阿笠は眺めた。
書かれている物は、ごく簡単な演算の羅列。小学1年生用の算数のテストである。
阿笠は点数欄を見て、

「ほお、満点か。君にしては珍しいな。
いつもわざと何問か間違えるようにしとると聞いたが」

「ああ。いつも満点じゃ正体を疑われる可能性があるからな」

肩を竦めて答えるコナン。自分の正体――ワケあって高校生から小学生の姿に
変えられてしまっている事――を阿笠は知っているのだから、
敢えて子供ぶる必要はない。

「でも今オレが問題にしてるのは点数じゃない。名前さ」

「名前?」

言われてから名前欄を注視して、阿笠は絶句した。



 工どう  しん一



やや歪んだ字体だが、間違いなくそう読み取れる。

「こ、こりゃ一体」

「オレも後で担任に言われるまで全然気づかなかったよ。それどころか、
オレはそのテストを受けたこと自体覚えてねーんだ。何も記憶にねーんだよ」

「うむ」

暫し唸ってから、阿笠は思いついたように、

「もしや寝惚けて勘違いでもしたんじゃないかね。
自分が小学生だという事を忘れて書いてしまったとか」

「だったら――どうしてひらがなが交じってるんだ?」

「!?」

「仮に当時のオレが勘違いしてたんなら、全部漢字で書くはずだろ?
故にその文字はオレの文字じゃない。少なくとも『今』のオレの文字じゃない」

「……」

「もしかしてって思って、昔のノートとか調べてみた。愕然としたよ。
全く同じだったんだ、オレが本当に小学生だった時に書いた文字と」

「……」

「クラスの仲間に聞いてみたら、この頃ボーッとしてる時が多いって言われた。
オレにはそんな覚えなんか全然ねーのに。つまり明らかに意識の飛んでる時があるんだ」

「そんな……まさか学校でもなのか?」

「な――!? まさかって」

「ああ。二日くらい前だったかな。ウチに来ていた時の君にも、そういう時はあったよ。
あの時は疲れのせいだと思っていたが、今思うと、アレはまるで」

「ハッキリ言ってくれよ」

というコナンの口調は静かだった。

「まるで本当の小学生みたいだった、だろ?」

「新一くん……」

「これでもオレの体だぜ。オレの事はオレが一番よく分かってる。
ただでさえ今のオレは、奴らの妙な薬に引っかき回されてるんだ。
これ以上何が起こっても驚かねーよ」

体は小さく縮んでも、心の中は元のまま。冷静に考えれば、あまりにも不自然なのだ。
体が子供になったなら、中身も子供になる方が、寧ろ自然なはずなのだ。

「要するに、身も心も小学生化するかもしれんという事か? 大変じゃないか」

「よせよ。まだ、そうと決まったわけじゃない。
この程度で症状が収まる可能性も高いんだから」

「しかし万一という事もあるぞ。ううむ、こんな事なら用事など入れるんじゃなかった」

「え? あ……そうだったっけ」

「学者仲間と会う約束をしてあるんだ。もうこんな時間じゃ取り消せんし」

「だからそんな気にするなよ。要はオレが常に自分の意識を保ってればいいんだ。
実際、博士に話したらかなりスッキリしたし」

「そうか?」

「ああ。心配かけて悪いな。ちょっと弱気になってたみてーだ」

らしくねーよな、とコナンは苦笑を浮かべてみせた。





翌朝、コナンは阿笠と共に外に出た。
門で別れた後、今の自分の家――毛利探偵事務所のビルへ向かった。
だがその足取りは、次第に重くなっていった。

「ああは言ったものの……」

我知らず、独り言を口に出す。

阿笠に対しては強気な事を言ったが、やはり最悪の事態も想定しておかねばなるまい。
ではその際、役に立つ人間は果たして誰か。

阿笠には今日は頼れない。何も知らない毛利家の人間は問題外。
となると残るは、約1名。最近増えた、自分の事情を把握する男がいる。しかし。

「協力してくれるってタマじゃねーよなぁ」

深いため息と共に、事務所のドアをくぐった。

「ただいまー」

「あ、お帰り。コナンくん」

「よっ、遅かったな」

と部屋からコナンに話しかける男女二人。一人は彼の愛すべき幼なじみにして、
今の保護者の毛利蘭。そしてもう一人はこの家の主――ではない。

「なっ――!?」

コナンは相手を指差すと、思わず名前を叫んでいた。

「服部平次!」

「こらこらボウズ。ひとを無闇に指差すな、て習わんかったか?」

まぁ別にええけど、と笑う平次。そこに蘭が弾んだ声で、

「でもホント服部くんて、タイミングがいいわよね。ちょうど大掃除始めた時に
来てくれるんだもん。お父さんとかとは大違い」

言われてみれば、なるほど二人は書棚の前で資料を整理しているところだった。
蘭はハタキと雑巾を持ち、平次はバインダーの束を抱えている。

「そういやボウズ、昨日は学校で何あったん?
何やおもろいカルチャーショックでもあったか?」

「ヤダ服部くん、小学生が小学校でカルチャーショック受けてどうするの」

「あっ、そらそうやな」

相槌を打ってから、また笑う。
コナンは暗澹たる面持ちで頭を押さえた。

数週間前に行ったホームズフリークツアー。その時、この平次に
正体を見抜かれたのがそもそもの始まりだった。
あれ以来、平次は何かと理由を付けて毛利家に顔を出しに来る。
それも何故か決まって蘭が家事――しかも大掃除を始めようとした矢先に。
そんな事が何度も繰り返されたためか、蘭も近頃は、
平次が何故に大阪から訪れるのか尋ねようとしなくなっていた。

もっとも、仮に誰かが尋ねても、平次はまともに答えない。答えられるわけがない。

……コイツの目的は、このオレなんだからな……。

組織に命を狙われて、謎の薬で小さくされたというコナンの説明は、
平次にとってはまさに驚天動地の事だったらしい。
最初はなかなか信じなかったし、信じたら今度は質問責めを食らわせてきた。
そして今もその傾向は続いている――とコナンの方は思っている。

「ときにねーちゃん、この荷物ドコに置いたらええねん。そろそろ教えてくれへんか?」

「あっそうね。それじゃ、その右端の所に並べてくれる?」

「りょーかい」

両手一杯に資料を抱え、大股でスタスタ歩く。その足を途中で止めた。

「オイ、そないなトコ突っ立っとると怪我するで。ちぃと退き」

コナンは目の前に立つ相手を睨め上げた。
標準よりやや長い足の上、資料の山に塞がれて顔は見えない。

「……」
コナンは止むなく位置を譲った。その横を、平次は軽快に通り抜けて行く。

……こんな体じゃなかったら、退かなくてもいいのに……。
……こんな姿じゃなかったら、オレだって運べるのに……。

そんなコナンの心の呟きを知ってか知らでか、平次は鼻唄交じりに一番上の段から
ファイルを差しこんでいく。一通り入れ終わると、パンと両手をはたいて、

「よっしゃ、終わったで」

「こっちも終わったわ。ホントありがとう、服部くん」

と、蘭は爽やかな笑みを浮かべてから、コナンに向かって、

「そうだコナンくん、朝御飯は?」

「あ……うん。博士の所で済ませたから」

と、コナンが頷くや否や、平次が口を挟んできた。

「ほんならねーちゃん、オレこいつのこと借りてってええか?」

「へ? またなの?」

「も少しこの町のこと案内してほしいてな。――ええやろ、ボウズ?」

ことさら明るい声で問うた後、今度はコナンだけに聞こえるほどの小声で、

「男同士の話すんにも、ねーちゃんは邪魔やろ?」

「まぁな」

これ以上この場所に居ても、ストレスが溜まるだけだ。

「それじゃ蘭ねえちゃん、ボク達ちょっと行って来るね」

「うん、別にいいけど……大丈夫? 疲れてない?」

「平気だよ。すぐ帰るからさ。――じゃあ行こ」

「おう」

コナンが先に、平次が後に。二人連れ立って出て行ってから暫く、
蘭はどこか不安気な表情を浮かべていた。

……何かコナンくん、顔色悪かったように見えたけど。気のせいかな……。




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